2006年10月19日

代理出産はエゴイズムの固まりだ……反対の立場より(その2)

この前の、代理出産に関する記事の続きである。

前の記事で挙げた、代理出産における当事者のエゴイズムを現していると思う項目

1)自分の子を得るために他人の健康を害することを厭わない。
2)得たいのは自分の血をひく子であり、養子であってはならない。

のうち、2)について。


「子どもが欲しい」という言葉。不妊者に限らず、よく普通に使われている言葉であるが、妊娠する可能性が全くない完全な不妊者、具体的には子宮がなかったり、卵巣や妊娠可能な卵自体を持たなかったり(極端ではあるが、男性同士カップルの男性なども含む)して、なおかつ本人がそれを自覚している人が、それを発言した場合、その内容はいささか複雑である。
通常の妊娠出産は不可能である、という前提にもとづくと、その言葉の真意を分けてみると、こんな感じになるかと思う。

1.自分の遺伝子をひいた子どもをもちたい。
2.育児をしたい。子どもを育てたい。子どものいる生活をしたい。

1.と2.の両方を同時に感じる場合はもちろんある。というより、多数であろう。
が、代理出産を希望する人が、養子をとることを考慮せず、自分の血をひく子に拘るのは、その人の中では1.が重要である、ということになる。
もらいっ子では、楽しく子育てなんかできない、きっとうまくいかない、とどこかで思っているのである。

しかし、現実には、血のつながらない子どもを育てている人はたくさんいるのだ。不妊かそうでないかと関わりなく。
血のつながらない子というと、養子を想像することが多いかもしれないが、夫の連れ子というケースはそれよりずっとたくさんある。
そういった人を見て、彼女らは「すごいわ、私は実子でない子にあんなことできないわ」とでも思っているのだろうか。
実際、それで親子関係を構築することに苦労し、破綻する人もいる。しかし、血のつながらない同士でも、良好な親子関係を築くことに成功しているケースも十分に多数あるのだ。そして、血のつながった親子同士でも破綻することはしばしばある。
代理出産を希望する人は、血のつながらない親子関係を軽視し、実の親子よりランクの低いもの、忌避すべきものと考えているんじゃないかとすら思えるのだ。
実際、隠れて代理出産をした人には、戸籍の上で、生まれた子を「養子」とすることを嫌がる人がいるという。生まれた子が自分の遺伝子をひく子であり、これから親子としてごく普通にともに暮らしていくのにも関わらず、戸籍の上での「養子」という存在に嫌悪を示す。
もしかしたら、彼女らの望みのうちに、

3.自分も正常に子を産んで母になれるという体裁を整えたい。

という、理解しがたいものがあるのかもしれない。

彼女らの本当の望みがなんなのか、分からない。
1.が望みなのであれば、代理出産でもなんでも、遺伝子を継ぐ子どもを手に入れた時点で、話はメデタシメデタシで終わる。しかし、本当の親子関係、子育ては、そこから始まり、長く長く続く。
本当の望みが2.なのであれば、代理出産などという無茶な方法をあえてとらなくても、他にもいろいろな方法があるよ、と言いたい。
3.はコメントするまでもない。


で。
おそらく、代理出産に拘る人々は、自分自身が本当に何を望んでいるのか、振り返って冷静に考えてみることすらできない状態にいる。
もちろん、代理出産自体に問題がなく、広く認められている方法であるなら、それを用いて子どもを得ようとしても、何のおかしいこともない。しかし、現在(従来)の日本では、法的な決定はないものの代理出産を禁止する方向の政府答申が出ており、産婦人科学会は禁じている。するべきでない、するな、うちではできません、と言われていることを、無理やりにでも行おうとしているわけだ。
そこまでして血をひく子を得ようとすることの意義はなんなのだろう。血をひく子でなければいけない理由はなんなのだろう。
第三者的に見れば、それは、養子をとって育てたり、子どもをもたずに別の道を行くことを考えたり、そういった苦労や苦痛からの逃避でしかない。自分はほとんど苦労せず、他人(代理母)にだけ苦労させて、楽々と子を得る。結果がよければめでたしめでたし、自分がよければそれでいい。
そんなエゴイズムが見える。


ここまで書くと、代理出産を希望する人、代理出産にごり押しで踏み切った人々に対して、あまりにひどい書きようだと思う人もいるだろう。
しかし、産みたくても産めない人は、子宮がない人だけじゃないのだ。
長く苦しい不妊治療を続けて、しかし結果が出ず、妊娠・出産できなかった人はたくさんいる。
自分自身が慢性の病気をもっていて、妊娠出産を止められている人もいる。
子宮のない人は代理出産で子どもをもつことができて、今あげたような不妊の人や慢性疾患の人は代理出産の恩恵に預かれない。
それはおかしくないだろうか。同じように「産みたくても産めない人」なのに。なぜ子宮のない人だけ優遇されるのか。不公平ではないか。
それならば、と、代理出産を認め、子宮のない人以外にも広く認めるとすると、とんでもないことになるだろう。苦しい不妊治療を続けるよりも、代理母になってくれる人さえ見つかれば、代理出産のほうがずっと簡単に楽に子どもを得ることができるのだから。

私は、「産みたいけど産めないこと」がとても苦しく辛いことだということは分かる。
しかし、それが、人生におけるその他の苦しく辛いことと比べて、格段に大きい問題だとは考えない。同等に苦しく辛いこともあると思うし、そういったことが全て根本的に解決できる問題ではない。この問題の解決が「実際に子をもつ」ことしかあり得ないとは思えない。
その解決法しか考えられないとしたら、不妊に苦しみ、子をもつことができなかったが、その辛さを乗り越えて生きている人たちに対してあまりに失礼じゃないかと思う。彼女らはごり押しで代理出産を利用する機会にすら恵まれないのだ。なぜ? どこが違う?


この話はもうしばらく続く。長くなったので、続きはまた次の記事とする。
タグ:代理出産
posted by あずみ at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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