2006年10月21日

代理出産はエゴイズムの固まりだ……反対の立場より(その3・結)

代理出産に関する記事の続き。

ここまで、私は、代理出産の問題点ではなく、主に代理出産希望者の問題点について述べてきた。
代理出産に頼らねば実子をもてない状況にある人について、その気持ちは分からないでもない。生物学的な本能として子を残したい、自分の遺伝子を残したいという欲求をもつことは、ごく自然なことでもある。
しかし、それを実現するための手段としては、現状、他者を傷つけ、危険に晒し、苦痛を与える方法しかない。
死や病気の恐れはそうそうあるものではないとしても、代理母は、つわり、身体の倦怠感、貧血といった変化からは逃れられず、約300日にわたって生活を大きく制限されるのだ。腹の中が自分の子ならまだ自己責任の範囲で、というところもあるが、他人のお子様となるとそうもいかない。そして出産時には腹にメスを入れられる。

それでも代理出産を依頼してしまう人がいるのは、なぜなのだろう。
これまでの記事で、私はそれをエゴイズムだとしてきたが、実際には、「他人に何が起こってもどう苦しんでも、自分さえ欲しいもの(子)を手に入れられればそれでいい」と思っているわけでは、決してないと思うのだ。
彼女らは、冷静にものを見られなくなっているだけなのだと思う。
自分の希望することがいかに他人を傷つけることなのか、なぜ多くの国や地域で禁止されたり厳しく制限されたりしているのか、理解しようとしていない、理解したくないだけなのだ。
「子どもが欲しい」という欲求の肥大、妄執のあまり、代理母の背負う苦しみや、代理母をせねばならなかった立場、そして自分が子どもをもたなかった場合に訪れる人生、そこに悲しみだけでなく新たな可能性もあることに、目を向けられなくなっている。

そのような状況に人が陥ったとき、自分だけで這い上がろう、自分の力だけで目を開こうとするのはとても困難だ。特に、代理出産を依頼する人の場合、悪性疾患にかかるなど、既に精神的危機を経験している人が多く、そのぶん出産不能となった自分自身に対する喪失感、敗北感、不全感が強い。独力で乗り越えるにはあまりにも重い。
だからこそ、その人の周囲の近しい人間が、道は一つだけではない、いくつもの道が行く先につながっていて、見た目の形は違えど、それぞれの行く先に良いことがあるはずだ、ということを伝えねばならない。場合によっては専門家の力も借りて。
本人のことを思うなら、結果として実の子をもつかどうかが重要なのではなく、本人自身の気持ちが和らぐことが大切であり目的なのだと分かるはずだ。

代理出産というのは、そういった周りの努力が足りなかった結果、行われる。
報道によれば、今回代理母となった50代の母親は、娘に子宮摘出の手術を説得する際、「私が代わりに産んであげるから」と言って説得したそうだ。おかしな話だ。なぜそこまで娘を想う母親なら「孫を得られないことよりも、あなたを失うことのほうが私にとっても辛い。あなた自身のほうがまだ生まれてもいない子より大切な存在なのだ」と言えないのだ。
また、向井亜紀さんについての報道を見聞きすると、同じく有名人であるはず夫の影が大変薄い。実際、夫にとっては、子どもは必須ではなかったようだ。頑固に突っ走る妻に対して、夫は説得力のある話をしてブレーキをかけることができず、ただ流された。そんな印象だ。
もちろん、近親者が嘆き悲しみ、その解決方法が他にない、となれば、情に流されるのは無理もないことである。しかし、もしそれが法律で禁止されていることであれば、通常はそこで踏みとどまるであろうし、大切な者が法に反しないよう、心底から説得に当たるはずだ。現時点では日本では代理出産は法的に禁止されていないが、禁止すべきという意見、また解禁するとしても厳しい制限が必要だという考えが主流であることは明らかである。法律で禁止されている生体臓器売買や人身売買とは紙一重なのだ。
子宮を失って傷ついた妻や娘をフォローし、実の子はないけれど落ち着いた人生をともに暮らす夫や母も現にいるのだ。表に出てこないだけで。

そういったことから、私は、代理出産を認める前に、すべきことがあると考える。
不妊に対するカウンセリングやケースワーキングを充実させることだ。
通常の不妊治療に対するカウンセリングの重要性は、最近になってやっと認められ始めてきた。不妊治療は、継続していくにも、中断するにも、身体的にも精神的にも社会的・経済的にも種々の苦痛と負担を伴う。そういった境遇において、カウンセリングを行うことで、治療の継続・成功率を上げることもできるし、状況に合わせて治療を中断する決意をサポートしたり、中断した後の精神的ダメージ・ストレスに対応することもできる。
しかし、子宮をもたない人の場合、不妊カウンセリングの対象にはならない。子どもをもてないことによる精神的ストレスには変わりないが、そういった人を受け入れ、ストレスを緩和する適切な場所と人がないのが実情だ。これまではただ「仕方ないから諦めろ」という論調しかなかった。
その結果、彼女らの精神的ストレスを解消する方法として、一足飛びに代理出産が脚光を浴びたのだといえる。

治療不能な不妊に悩む人を救うのは、代理出産制度だけではない。
そのことを忘れて、ただ代理出産を促進しようというやり方は正しくないし、代理出産を認めるとしても、カウンセリング制度を整備することはその前段階として重要になるのは間違いない。
そういったインフラ的な部分をきちんと作らずして、代理出産を認めろ、という意見があるとしたら、愚かな考えだと思う。その愚かな考えを具現しているのが、かの諏訪の医院の院長だと思うのだが。
当事者が冷静になれないのは当然なのだから、第三者であり出産のリスクや代理出産の問題点のある意味専門家である医療側が冷静にならなくてどうするのだ。本来すべきことをすっ飛ばして、要は結果さえよければいいだろ?という発想が見える。実のところ、最も悪いのはこういう奴だと思う。

私はこれまで述べてきたように、代理出産は禁止すべきだと考えているが、もし例外的に認めるならば、最低でも以下の制限や規定をつけるべきだと考えている。

・金銭授受を伴う代理母依頼は禁止
これは人身売買や生体臓器売買に等しい。厳密に禁止すべき。

・専門家のカウンセリングを受けることを義務づける
依頼者は、代理出産が代理母に多大な負担をかけること、生命や健康のリスクを負うこと、妊娠中生活に制限を受けることなどを十分に理解せねばならない。自分の望みが他者を傷つけるものであることを理解するべきである。
また、なぜ自分が代理出産を願うのか、血をひく子どもを得ることによって何を得ようとしているのか、代理出産以外の方法ではそれは得られないのか、を心理的に探究せねばならない。その過程で、代理出産に依らない解決法でそれが解決できると判る可能性がある。

・生まれた子は分娩した者を実母として戸籍を作成する
依頼者(卵提供者)を実母として戸籍に記載してはならない。
AIDによる子は、父と遺伝的つながりを全くもたないが、父の実子として戸籍に入る。もし遺伝的つながりを主として親子関係を規定するなら、AIDのケースと矛盾する。
また、依頼者を実母と記載すると仮定すると、分娩者は戸籍に一切記載がないことになり、将来的に依頼者と分娩者の間にトラブルが発生した場合、代理出産の事実関係を確認する証拠に欠ける可能性がある。

・未出産や明らかな閉経後の女性の代理母を禁止
代理母側のリスクを最小限に抑える必要がある。
これでは代理母のなり手がいないのではないか、と考える向きもあるだろうが、最初はこのくらい厳重でよいだろう。

・代理出産を取り扱う医療機関を制限する
ただでさえ出産にまつわる事故や医療訴訟が取り沙汰されている現在、最低でもNICUを持ち、内科、脳外科、小児科(新生児科)を備え、当直帯でも十分な対応ができるクラスの医療機関が携わらなければ、どんなトラブルが起こるかわかったものではない。特に、トラブルによって不利益を被るのは依頼者ではなく代理母のほうだから、慎重にも慎重を重ねる態度が必須である。

一方で、代理出産依頼者側の制限については、迷うところがある。
子宮をもたないことによる不妊と、慢性疾患などの理由で、生殖器官には問題ないのに生涯妊娠出産できない場合との間に差があるとは思えないからだ。
現実には、代理出産の解禁をそこまで広範囲に広げることには問題があるだろうが、この不公平感は拭えない。

最後に。
向井さんの子どもの裁判の件だが、情に流されて安易に実子の戸籍を与えるべきではないと思う。
もちろん、子ども自身の福祉のために、早急に向井夫妻との親子関係を確立すべきである。現時点での最大の問題は、子どもたちが戸籍をもっていない、誰が法的な親か確立していない点である。
しかし、同じく福祉という点で見れば、彼らが実子とされる必然性は全くない。生活上は親から十分に愛情と手間をかけられて育っているわけで、ただ日本人として、親子としての戸籍さえきちんと作られれば問題は解決する。
従って、方向性としては、子どもたちはまず親不明として戸籍を作成し(捨て子の戸籍を作るやり方に準ずる)、続いて特別養子縁組制度によって向井夫妻の子とする。これで問題ないはずなのである。

仮に国内での代理出産が認められたとしても、海外での金銭授受による代理母出産を止めることはおそらくできない。国内での制限に合わない人も必ずいるし、金さえあれば他人に産んでもらうほうがずっと楽、と考える人がいないとは限らない。法的に向井夫妻のケースを認める、つまり実子として認める判例を作ると、こういった流れに歯止めをかけられくなり、むしろ国内で頼むより海外で頼むほうが早いし実子にできるから都合のいい話じゃないか、ということになってしまう。
最高裁が問題ある判決を出さないことを祈りたい。
タグ:代理出産
posted by あずみ at 11:37| Comment(12) | TrackBack(1) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
特別養子制度っていうのは戸籍上も実子に準ずる扱いを受けることができる制度で、養子ではなく長女、長男のように記載されますよね?それは向井さん夫婦と親子関係ができて実子としての戸籍がもらえるということになりよね?あなたの言ってること矛盾していませんか?なぜなら実子の戸籍をあたえるべきではないというけれど結局は実子としての戸籍があたえられるから。

Posted by マナ at 2006年11月04日 01:37
マナさん、コメントありがとうございました。

向井さんの件に関しては、現行の法律の範囲の運用で戸籍上実子となる場合は特に問題ないと考えています。また、今後法律の整備や判例により、今後このようなケースも実子として認める、ということになれば、自分の考えとは異なりますが、そのように運用すればよいと思っています。
自分が問題と考えているのは、彼らが実子の身分を持つことそのものではなく、そこへ至る手続き、プロセスです。
したがって、マナさんのおっしゃる矛盾はありません。
本文内に分かりにくい表現があり、申し訳ありませんでした。

ただ、トラックバック先の春霞さんの記事にあるように、現行の法律の範囲内で向井さんのケースがそのまま実子として認められる可能性が高いというご意見もあります。このあたりはいろいろな解釈があり、最終的には最高裁が出す判例が今後の代理出産子に対する国の方向性が否が応にも決定することとなるでしょう。
Posted by あずみ at 2006年11月04日 10:11
お邪魔します。

>私はこれまで述べてきたように、代理出産は禁止すべきだと考えているが、もし例外的に認めるならば、最低でも以下の制限や規定をつけるべきだと考えている。

 「世界まる見えTV特捜部」で「モロッコ等
の国へ美容整形ツアーに行くフランスの
女性(制作はフランスのテレビ局)」という
のを見ました。モロッコといえばかつてカ
ルーセル麻紀が性転換手術を受けた国で
す。日本で性転換手術が認められたのは
ずっと後の事ですか(向井亜紀の代理出
産と同じ?)。なぜフランスの女性がモ
ロッコ等で美容整形するかといえば「人件
費が安く、よって手術費用が安い」からだ
そうです。一度やると決めた以上「よりや
りやすい」方へ向かうのは必然でしょう。
借金する人間が何か無い限り利息の高い
方を選んでは借りないように。代理出産も
やると決めた人は「より安くできる(お金が
ありあまっている人はそういない)「より規
制が緩い」方へ流れていくでしょう。「金銭
授受」どころか「女性受刑者に対し、刑務
所行きを免除する条件としての代理出産」
とかどっかの国がやるかもしれませんし
(死刑囚の臓器を移植に使った国とか)、
結局はそれに引きづられていくのではな
いでしょうか。それが「グローバリズム」と
いうものでは。
 それと芥川龍之介の小説に『芋粥』とい
うのがあります。「芋粥を腹一杯食べるに
が夢だった男がいたが、いざ食べてみる
とそれ程ではなかった」というお話です
が、ミュージシャンの小室哲也(?)も「子
供を持ちたいという思いは強かったが、い
ざ持ってみると彼が考えていたのとは違
い、子供のままでいたい小室哲也と子供
を産む事で大人になった妻との間に齟齬
ができて結局別れてしまった」というのを
聞いた事があります。不妊の間は結束し
ていた夫婦が実際子供を得た事で夫婦の
関係が変わるということはないのでしょう
か。もしか向井亜紀も「世間を敵に回す事
で自分達(家族)の結束を保とうとしてい
る」のかも。
Posted by ブロガー(志望) at 2007年01月26日 22:48
>ブロガー(志望)さん
示唆に富んだコメントをありがとうございます。
現状でも、代理出産に関しては、正式に認められ、国民にも受け入れられている国・地域があることは事実です。これは、それぞれの国の文化的・宗教的背景や倫理観によって異なることで、他国の人間がそれに対してどうこう言えるものではありません。
しかし、一方では、多数の国が、同様に文化的・宗教的背景や倫理観から、代理出産を自国の判断として禁止していることも事実です。それらの国は、他に認めている国があるから、という理由で解禁することはないでしょう。新たに倫理観・文化的背景の変化によって認めることはありえるとしても。
日本(一人一人の国民という意味も含めて)としても、他の国がやっているやっていないという見地ではなく、自らの国のスタンスとして、きちんと検討すべきだと思います。必要なのは、個々人の倫理の正誤ではなく、システムとしてどのように規定する(許可・禁止も含めて)べきか、ということだと考えます。
それだけに、「代理出産でしか子どもをもてない人はかわいそう」という見地から議論することだけは避けるべきだと思っています。

後半の、子どもをいざもってみると……という話は、非常に気になるところです。実際、不妊治療を行って子を得た人々の全てが楽しく幸せに子育てしているとは言えない現状があります。一度子をもてば、出生の方法(実子か否かも含めて)に関わらず、現実の育児という難関に直面します。特に、不妊治療が大変だった人は、出産がひとつのゴールになってしまっていて、育児のことまで事前には気が回らない人もいるでしょう。受験に必死で大学に入ったら無気力になってしまったた、というような話との共通点があるかもしれません。
代理出産の場合、余計にそういう危険性を注意し、心理的な面も含めたフォローを考慮するべきなのだろうと思います。

向井夫妻のように、先駆者的な立場の人は、たとえ育児につらい面があったとしても、表には出せない、という可能性はあるかもしれません。
しかし、伝え聞きの話によれば(ネット上でちらりと見たものですが、出所は週刊誌かなにかなのでしょうか)、向井さんは代理出産関係の運動や仕事が忙しく、ゆっくり落ち着いて育児をしている状況ではないらしいです。保育施設やベビーシッターなどを利用しているのかもしれません。
彼らはタレントなど有名人なので、こういったことを利用してプロパガンダしたり、自分自身の名を売ったりすることも重要な要件のひとつなので、市井の一般の夫婦とはいろいろな意味で異なると考えておいたほうがよいようにも思います。
Posted by あずみ at 2007年01月27日 21:02
こんにちは。
今朝の新聞に出ていました。
子どもは親が育てはしないといけませんが、全く別の人なんです。
生まれた瞬間からまずお腹が減りますし、
何十年も続く別の人の人生の一日一日が積み重なっていくんです。
代理出産を希望する人にとって、
その子どもの別の人としての人生とは、
なんなのだろう?と思います。
喜びもたくさんあるだろうけど、悲しいこともたくさんあるわけで、
そんな人生を始めてしまうのは、どうなのだろう?と思います。
科学が進歩すればその技術によって
ある苦しみは解決されるでしょうが、
別の苦しみが生まれもします。
なので、自然にしておくのが良い、と思います。
Posted by きょうこ at 2008年03月08日 13:27
>きょうこさん
コメントをありがとうございます。
ここのところ、代理出産に関する最終報告案が出た関係で、またニュースにちょくちょく話が出ていますね。
この記事を書いてから時間がたっていますが、私の考えは今でも代理出産には原則反対ということに変わりありません。最終報告案もそういった方向で出たので、正直ほっとしています。
生殖医療の分野は、代理出産問題に限らず、どうしても子ども自身の権利の問題をはらみます。

>>科学が進歩すればその技術によって
>>ある苦しみは解決されるでしょうが、
>>別の苦しみが生まれもします。
ここに同感します。科学技術的に可能であればなんでもやっていい、というわけではないのは当然で、社会的にどこで線を引くか、ということに結局なるのでしょう。その線を誰が決めるのか、というところが難しいのですが、全ての人が同じ意見ではない以上、全ての人が満足する結果になることもあり得ないでしょう。また、単純に多数決で決められることでもない。
「苦しみを取り除く」ということだけを正義にするのは私もちょっと違っているのではないかと思います。
どうもありがとうございました。
Posted by あずみ at 2008年03月08日 15:50
こんにちは。21歳男性です。
現段階では法的に禁止することには私も賛成です。またおっしゃるように代理出産を認める前にやるべきことがあるのも事実でしょう。


しかし代理出産をエゴと考えるのには疑問が残ります。
(以下は反対意見ですが悪意はありません)


例えば
>代理出産における当事者のエゴイズムを現していると思う項目
1)自分の子を得るために他人の健康を害することを厭わない。
2)得たいのは自分の血をひく子であり、養子であってはならない。
とおっしゃていますが、1については当事者間で合意が形成されているのだから第三者が善悪を議論すべきではないでしょう。代理母は自分の意思で体を提供しているわけで寄付と本質的に同等であり、寄付を受けることがエゴイズムだとは思いません。「自分の意思で」という部分が強要という形で不成立になるケースを説明されていますが、ドナーバンクのような形での匿名性の確保は可能でしょう。ただし「代理母が死ぬ事もある」という事実・その確率など依頼者・提供者ともに正確かつ冷静なリスク判断ができるような環境な必要です。逆に言えばリスクに関する問題は、情報の開示や理解、きちんとした契約などといったシステムの整備で解決するべきことであると思います。

次に2ですが、
>もらいっ子では、楽しく子育てなんかできない、きっとうまくいかない、とどこかで思っているのである。しかし、現実には、血のつながらない子どもを育てている人はたくさんいるのだ
と続けてらっしゃいます。そこで伺いたいのですが、「養子をとって幸せになっている人がいても自分にとっては血のつながった子の方が幸せな気がするし、欲しい」という発想と「養子で十分に幸せになれると感じるので養子が欲しい」という発想のどこに違いがあるのでしょうか?両者とも、そして人間は皆、それぞれが(もちろん周囲の人間の状況を観察したうえで)自分にとってどう生きるのが幸せかを追い求めてるのであって(自分のことしか考えていないというわけではなく他人の幸不幸も自分の幸せに影響し、その影響を内包する形での幸せを議論しています)、自分が自分の血の繋がった子供がいることで幸せになれると感じて代理出産する人間が養子を取る人に比べて自己中心的だという根拠はどこにあるのか理解できません。ちなみに、養子と代理出産のどちらが依頼者が幸せだと感じるかは主観の問題ですから、どちらを幸せだと感じるのが正しいというのを論理的に示すのは不可能だと思いますから、その点でも「代理出産を幸せだと思ってしまうのは間違い」とは言えないと思います。(ここでも情報が正しく提供されて養子・代理出産の現状が理解されることの必要性には賛成です)

(下に続きます)
Posted by こうじ at 2008年03月09日 07:15
(続きです)

他にも
>依頼者が、子供が産まれる前に事故などで死亡したりして引き取り不可能になるという事も考えられる。
というのは通常の分娩でも赤ちゃんが生まれても母親が死んでしまうケースがあるのと本質的には同じですよね?(このケースで元々父親が死亡してるパターンもありえますし)ですから、これを代理出産固有の問題といえるかは疑問です。
なお、
>子供が障害を持って産まれてくる事もある。産まれた子供に障害があったため依頼者夫婦が引取りを拒否する事もある。
>依頼者が、子供の引き取り拒否する事もある
依頼者の都合で代理母に中絶をさせることもある。
に関しても同じく、障害児・中絶そして引き取り拒否に関しては拒否権を法的に否定すれば「親が子供を捨てたがってる」状態、という通常でも発生しうる問題に帰着され、ここでで代理出産の問題として主張されるべきではないと考えます。勿論、それらの通常起きうる問題が対策を必要としているのは明白な事実ですが、代理出産とは切り離して議論すべきでしょう。

最後に産まれてくる子供への影響についてですが
>自分が倫理的に問題のある方法(貧困、立場の弱い女性を生殖の道具として扱うことによって)で産まれて来たことに悩むかもしれません。
>AID精子提供で産まれた子供の多くがアイデンティティについて悩み、なかには自殺したケースあります。
とあります。では、なぜ、「そういう特殊な事情の中で生まれてきた事実を受け入れられる社会を、彼らが悩まずに生きていけるシステムを築いていこう」という方向性が存在してはいけないのでしょうか?「精子提供で生まれてきても、代理出産で生まれてきても、それは気にしなくていい」という社会を作ればいいと思います。なお、
>貧困、立場の弱い女性を生殖の道具として扱うことによって
という部分に関しては先ほども述べたようにドナーバンクのようなシステムにより親族からの強要を防ぎ、これが無償ならば貧しい女性に対する強制はなくなります(金銭の授与がある場合はやや複雑になりますが御主張にあるような無償の場合で問題ないのは明白と思われます)
ちなみに「思春期の子供は気にしなくてもいいと言っても気にする」という主張はあるでしょうし、私も簡単にそういった悩みが皆無になるとは思っていませんが、「養子ではなく血の繋がった子供が欲しい」と悩んでいる女性がいたときに、彼女たちの悩みと生まれてくる子供たちの悩みを比べて、どちらの悩み大きいか・優先されるべきかというのを議論することはほとんど不可能です。(不可能といった論理的根拠は哲学や経済学で『世代間公平性の問題』として扱われる研究結果に依拠しています)。もちろん母親の満足が優先されるべきだとも主張できませんが、少なくとも「子供への影響という観点から代理出産がエゴである」と言うことができないということも示しているのは事実です。

以上、長々と書かせていただきましたが、冒頭に述べたとおり、今すぐに代理出産を許可する法律を作れとか、代理出産は素晴らしいとかいうつもりは勿論無く、例え認められるとしても、上で述べたような準備が入念に必要でしょう。ただし、ここで一番重要なのは、倫理というものは不変の真実ではなく、生命に関わるものを含めて、時代とともに技術とともに移ろうものであるということ、そして同じ時代・コミュニティに複数存在しうる上、それらの間の優劣は決められないということです。生命科学がこれからも進歩していくのは間違いのない事実で、もはや誰かに止められるものではないでしょう。もちろん手綱を握ってコントロールする努力は必要ですが、幸か不幸か、少しずつ進歩は続くでしょう。我々がなすべきは多様化し、変化していく規範・倫理の中で、自分が慣れ親しんでいるものに固執し、自分にとって不自然なものは他の人間にも行わせるべきではないという自己の規範の他者への一方的な適用ではなく、より多くの規範を受容できるような社会を築くことであると思います。
その観点からも「代理出産はエゴイズムの塊だ」という主張は、何らかの修正を要しているような気がしてなりません。
よろしくご検討お願いします。
Posted by こうじ at 2008年03月09日 07:16
>こうじさん
コメントをありがとうございます。
コメントは全文読ませていただきましたが、率直に申し上げて、元々この記事に書いたことは、こうじさんがお書きになったような考え自体に私は同意できない、納得できない、ということです。今後考えを変える可能性はないとは言えませんが、現状では変わっておりませんし、こうじさんの文章を読んでも変わりませんでした。

>>ただし、ここで一番重要なのは、倫理というものは不変の真実ではなく、生命に関わるものを含めて、時代とともに技術とともに移ろうものであるということ、そして同じ時代・コミュニティに複数存在しうる上、それらの間の優劣は決められないということです。生命科学がこれからも進歩していくのは間違いのない事実で、もはや誰かに止められるものではないでしょう。もちろん手綱を握ってコントロールする努力は必要ですが、幸か不幸か、少しずつ進歩は続くでしょう。我々がなすべきは多様化し、変化していく規範・倫理の中で、自分が慣れ親しんでいるものに固執し、自分にとって不自然なものは他の人間にも行わせるべきではないという自己の規範の他者への一方的な適用ではなく、より多くの規範を受容できるような社会を築くことであると思います。

このご意見には同意です。
そして、私は、お言葉を借りれば、少なくとも現状の日本社会において代理出産は「手綱を握ってコントロールする」範疇に入るものであり、そのコントロールの度合いとしてはきつくしておくべきだ、と考えています。
以上、よろしくご理解のほどお願い申し上げます。
Posted by あずみ at 2008年03月09日 20:35
今日は。
「我慢」が出来ない人、「謙虚の心」を忘れた人が増殖していますね。
それを新たなフランケンシュタインと名付ければ、それはドクターだけには止まらずに、一般大衆のあちこちに、新たな時代の様相を背景に現れました。
現代大衆消費社会のなかでの、「欲望に対して我慢をしてはいけない」人間が製造されてきた、という事象と重なって見えます。
認識と思考、意思と実行を忘れた大衆は、そのように自身と他人を商品化、家畜化されることに対して意識することなく時間が進む中で、ますます人間としての尊厳を失って行く可能性が高いのでは、と思えてなりません。
Posted by どろぼうカモメ at 2009年11月29日 10:34
>どろぼうカモメさん
コメントをありがとうございます。
ほとんど放置状態のブログにコメントがついて驚きましたが、そういえば、ちょうど代理出産をカミングアウトした方の報道がありましたね。お嬢さんは物心もつかぬ幼児期に手術をされたという話でしたね。
あのようなケースでは、ご本人自身よりも、お母様のほうが、なんというか、お嬢さんへの大事なことを伝え方を間違ってしまっているのではないか、という気がしてなりません。物心つく前のことだから、親御さんがお嬢さんへ、あなたは子どもを産む能力はなくてもほかにたくさんのものを持っていて、幸せに生きることができる、と伝えることができる時間はたっぷりあったでしょうに。
代理出産に限った話ではありませんが、「我慢できない人」が増えてきた、ということは、私も感じます。もちろん、とことん方法を追求して、望みをかなえようという気持ち自体は素晴らしいことだとは思うのですが……やはり、どこかに線引きは必要なんですよね。
Posted by あずみ at 2009年11月29日 12:02
早速の御返事に感謝します。
「線引き」
そうですね。私は、前文(理屈っぽい悪文で申し訳ありなせん)にあるように、人間を商品・家畜として社会的に扱うか、あるいは人間の自由と尊厳を求めて生きようとするのか、こんな世の中であればこそ、そこを何時も要に考えたいと思います。
あのお母さんに限って言えば、お母さんは娘と生まれてくる孫?を人として尊厳を抱き、生まれた後には、共に人として生きる道を探して行こう、と考えた結果の選択なのではなく、結局は我が意を実現する道具と対象としたにすぎないように見えて、それは思慮に浅い行いで、やるせなくなる話でした。
自らの欲望を遂げるための一点に向かって突き進む一心不乱の姿は、Dr.フランケンシュタインの姿そのものです。
生まれてくる者の全人格を尊重し、その子の未来を想像すれば、その一点だけからでも、選択すべき道は自明のはずでした。
愛犬管理や、ガードマンの管理、イギリスでの服役囚の管理などの例を超えて、全ての人間に、マイクロチップを埋め込もうと発言した倫理欠落症ニック・ロックフェラー(アメリカ・ロックフェラー財閥の一族)が存在する現実は、かつてのヒトラーの時代と何も違いがない世の中です。
そういう倫理なき支配層が引導する現実の世界を直視すれば、医療技術の進歩が、医療どころか医商業としての性質を肥大化させることが容易に想像できます。
さらには、膨れ上がる欲望を引っさげた消費者としての患者(?)と、治療と称して別な種類の欲望を膨張させる一部の医業界との間の共犯関係が、正当性を繕った顔を演出して、さらに問題を複雑にさせています。
まさに、資本主義社会の全力疾走(暴走)が加速しつつあるのが、今なのですね。
お休みなさい。




Posted by どろぼうカモメ at 2009年11月30日 03:07
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代理出産(代理母)による法律関係〜「代理出産禁止」を見直しを含め再検討へ
Excerpt: 10月17日の報道によると、柳沢伯夫・厚生労働相は17日の閣議後会見で、現在は代理出産禁止の方針をまとめている厚労省の報告書にとらわれずに、見直しも含めて再検討することを明らかにしました。この報道につ..
Weblog: Because It's There
Tracked: 2006-10-22 00:53

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