2006年10月30日

未履修問題と「なんで勉強なんてしなくちゃいけないの?」〜高校未履修問題(その1)

最近世間を賑わせている、高校の必須科目の未履修問題。
これについて思うところが2点あるのだが、まずはそのうちの1点について。

最初の富山県立高校のニュースが報道されてから、それに絡むいくつかのブログを読んだが、その中のいくつかで、「受験に関係ない科目はやりたくない、という受験主義の生徒も悪い」という意見が見られる。主に、卒業が3年2学期のこの時期になってから急に危うくなったり、受験期なのに猛烈な補習をせねばならなくなった生徒たちに同情的な報道などに言及したブログで見られた。
中には「生徒は被害者じゃない、加害者だ」とまで書かれたものもある。

これらの意見を読んだとき、私は「やはり生徒たちはかわいそうだ」と思った。
彼らに「受験にいらない勉強は必要ないもので、学ぶ必要はない」と刷り込んだのは、いったい誰なのだろうか。

私の上の子は現在5歳半。とにかく勉強が楽しくて仕方ないらしい。
もちろんこの年齢なので、やることはひらがなの読み方、カタカナはまだ読むくらいまで、数字を数え、大きさくらべをし、簡単な足し算引き算をする程度。あとは、迷路やしりとり、仲間わけや間違い探しなど、いわゆる知恵あそびの類。
ドリルをやり出すととまらなくなり、一気に10ページ以上やってしまう。解けるのが楽しい。
新しいことを覚えるのも楽しんでいる。小学生向きくらいのNHK教育の番組も真剣に見て、しまじろうの教材本やDVDからも次々と知識を吸収して、ときに「ママー、○○は△△からできるんだよ、しってた?」などと披露してくれる。

かわって、自分自身のことを思い出してみる。
やっぱり勉強は楽しかった。
もちろん目的のために受験勉強もした。受験勉強自体はテクニックであり、目的のための手段にすぎず、そう楽しいものではなかったが、それなりに面白く、特に嫌いということはなかった。
それとは別に、目的と関係なく、いろいろな知識を学ぶこと、新しく何かをできるようになること、覚えた知識を元にして新たなことを考えることができるようになることが、純粋に楽しく、自分自身がより大きな立派な何かになっていくような気がした。むしろ受験という目的と関係なかったからこそ楽しめたともいえる。
少なくとも、高校生当時の自分にとって、不必要な勉強というものはなかった。勉強したことが自分自身の財産になることは、自分の頭が一番よく分かっていた。
受験には不必要、と限定しても、少なくとも、学習指導要領という決まりを曲げてまで排除しなければならないほど忌避すべきものだとは考えもしなかったし、そもそも学習指導要領の内容すら知らなかった。
「受験にいらない科目はやりたくない」という子が6歳だったとき、「学校のテストに出ないことは勉強したくない」「教科書に載っていないことは勉強したくない」などと思っていただろうか。
元々、幼い子どもの中には自然な知識欲、好奇心というものがあり、なんでもかんでも知りたい、勉強したい、覚えたい、学びたい、という気持ちがあるものなのだ。
そんな子の中から、やがて、「受験に出ない勉強は必要ない」と考える子が出てくる。世の中には必要のある勉強と必要ない勉強があると考え、必要ない勉強はやらないほうがマシ、と考える。
なぜなのか。

周囲の大人がそういう考えを刷り込んでいるからだ。
親、学校の先生、塾の先生、その他の周囲の大人たちが、有言無言の圧力でそう刷り込んでいるのだ。
つまり、彼らの勉強に対する価値観は、周囲の大人たちのそれを反映している。
特に、親は自分の子にしか影響しないが、学校の先生などがそういう考えをしていれば、当然彼らは集団的に容易に染まってゆく。
学校の先生が受験至上主義で固まっていることは、実際にカリキュラムをごまかしたり、教育委員会への申請をわざと正しいものにして隠蔽したりしていることから、はっきりしている。
学校側は「生徒たちから要望があったから」と言い訳するが、学校側に「必須の科目はそれなりの理由があって必須になっているから履修は絶対しなくてはならない」という筋が一本通っていたら、そんな要望が受け入れられるはずもない。
だいたい要望を出す生徒側は学習指導要領の内容を知らないで言っているだけだし、規則で決まっているものを無理やり曲げてごまかせとまでは言っていないだろう。高校生レベルの考え方なんてそんなものだ。
一方、そんな要望はこれっぽっちも出していない生徒にとっては、本来学ぶことができるはずのチャンスを学校側の都合で勝手に奪われていることになる。

高校生というと身体の発達もよくなってほとんど大人に近いように感じるかもしれないが、特に精神的発達が昔より遅くなっている現在、内面的にはまだまだ子どもである。それは実際に接している現場の先生方が一番よく分かっていることだ。
小学生が「なんで勉強なんてしなくちゃいけないの?」と言ったら、大人はあれこれと理由をつけて、なぜ勉強すべきなのか伝え、最後には「だから勉強しなさい」と言うだろう。
高校生が学習指導要領の内容も知らずに「なんで受験に関係ない勉強なんてしなくちゃいけないの?」と言ったときだって、ちゃんと理由を説明すればいいだけの話なのだ。しかも、ここで問題になっているのは、そもそも大学に行く子がほとんどないような教育困難校ではなく、大学進学を目指す子の多い、それなりのレベルの高校である。大人がちゃんと真摯に話せば、ひねくれずに、それなりに素直に受け取ってくれるだろう。
それを怠って、たかが子どもの戯れ言を真に受けて、守らねばいけないはずの規則を曲げて「勉強しなくてもいい」ことにしてしまった高校。
根本的におかしくはないか。

都市と地方の格差、などという話も出ているが、同じ地域でも違反しないでやっている学校もあるし、愛知県などは、名古屋などそれなりに大きな街と多数の大学を擁しているにもかかわらず、多数の未履修高校が出ている。しかも山間部などの塾通いに不利な高校ではなく、比較的市街地で進学塾に通うこともできる地域にそういう高校がある。
地域格差と言って逃げていい問題ではない。

最後にまとめる。
この問題を生徒のせいにするな。
根本的にいけないのは、学校側の考え方だ。そして、未履修となった生徒たちの中には、たしかに「共犯者」もいるだろうが、それもたかが教唆程度のものだ。カリキュラムの決定権は絶対的に学校側にあり、教唆にのったのは学校側の全責任である。
そして、間違いなく一方的な「被害者」もいる。未履修のまま高卒資格が認められる者はすすんでズルをしたわけではなく、むしろ学校側に詐欺にあったようなものだ。
責めるべき先を間違えてはいけない。学校側に同情的になって矛先を間違えてはいけない。
私はそう考える。


思うところのもう1点については、次の記事に譲る。
posted by あずみ at 12:26| Comment(8) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして〜。ハルと申します。
竜馬さんのブログから飛んできました。

今回の未履修に関しては、もう何年も前から公然の秘密のように行なわれていたわけで、マスコミの操作によるもの(現在教育基本法などが審議されていますし)ではないかと疑いたくもなります。
そしてあずみさんがおっしゃるとおり、この非は生徒にはないと私も思います。たぶん生徒に非があるとおっしゃる方は、現状の高校をよくご存じない方々なのでは・・・と感じます。
我が家には高3の娘がいますが、私達の地域は未履修はありませんでした。しかしこれは喜ぶべき事でもなんともなく、皆が受験に足りない分を塾や予備校で補っているからなりたっているという背景があります。これでは、カネを持たざる世帯は進学もままならないということです。偏差値の高い大学の学生を企業や役所などの社会が優先的に受け入れる限り、この問題はなくならないのでは・・・と思っています。
Posted by ハル at 2006年10月31日 09:37
ハルさん、はじめまして。ようこそおいでくださいました。
この件がこの時期に急に明るみに出たのは、何か裏があるのではないか、という意見はちょこちょこ拝見しますね。しかし、そのまま隠蔽を続けていくわけにはいかないのも確かで、どこかで明るみに出すしかなかったのは事実だと思います。春先ならばまだよかったのですけどね。

塾や予備校の必要性のために地域・金銭格差が出ている、というのも現実的な問題だと思っています。そもそもどうして「受験に足りない分」というものが出てしまうのか、が実は次の記事のテーマです。
またよろしかったら読みにいらしてください。

きっとお嬢さんもご家族も忙しく、これからさらに大変になる時期ですね。皆様、お身体に気をつけて頑張ってください。
Posted by あずみ at 2006年10月31日 11:19
>「受験にいらない科目はやりたくない」という子が6歳だったとき、
>「学校のテストに出ないことは勉強したくない」「教科書に載っていないことは勉強したくない」
>などと思っていただろうか。
私が子どもの頃は、テストというものはふるい分けのためのものではなくて、単純にどこまでわかったかをみるためのものだったと思います。
(田舎の小学校だったので、そうなのかもしれませんけど)
「やった! おれ90点!」というのは、今の子がゲームで「Wow, level 3 クリアー!! 」と言うのに似ていたかも知れません。

でも、おむつも取れないうちからお受験塾に通ったり、家で親がプログラムを組んだ教材をこなす毎日を送っている子ども達には、そもそも学ぶ楽しみを味わったことがないんじゃないか、と危惧しています。

引用させていただいた箇所のように思う子どもがいそうで、心配です。
Posted by calmbrook at 2006年10月31日 15:54
>calmbrookさん
それはありえますね。「世の中には必要な勉強と必要ない勉強がある」という大人の価値観を刷り込まれる年齢が早まっているんですね。

あまりに幼いうちから具体的な目的(受験やテストで何番以内、など)をもって勉強をはじめるのは、新しいことを学ぶ喜びが、誰かに成績で勝ったり、親に褒められたりという別の喜びにすり代わってしまうという点で、危険なことだと、私も思います。

でも、今の日本の状況を考えると、小学校から受験させたいという親の気持ちもわかるんですよね。つらいところです。
Posted by あずみ at 2006年10月31日 17:54
こんにちは。
未履修問題に関しては、とりあえず救済策を決定したようですね。
私も自分なりの考え方を日記にまとめてみました。あくまでもこんな意見もあるということで参考にしていただけたらと思います。
小さいうちからのお受験体制は、親の満足であって、本人にはどんなものか・・・と感じることがあります。子ども時代にしかできない遊びや人とのふれあいが、なおざりにされていないかと心配です。
Posted by ハル at 2006年11月02日 08:28
>ハルさん
未履修救済策については、だいたいどの方面へも引っ掛かりの少ない、中庸なあたりで落ち着いたようなので、よかったなあと思っています。生徒たちにとってみれば、決定・開始が早ければ早いほど安心ですしね。

ハルさんの日記、読ませていただきました。
いろいろな点で共感いたしました。やはり実際に受験生や高校生が身近にいる立場だと、いろいろな問題点も経験としてはっきり感じられる面があるのでしょうね。大変参考になりました。どうもありがとうございました。

お受験は、難しいですねぇ。幼稚園お受験はそもそも本人に役に立つも立たないもないレベルですし、小学校受験は……受験自体は大変らしいですが、入った先は公立校では望めないすばらしい環境であることは事実です。公立で学級崩壊や理不尽ないじめなどに遭う可能性を考えると、受験を突破できた子にとっては、それだけの価値はあるかとも感じます。
全員が受験に成功するわけじゃないところが、一番難しいところでしょうか。
Posted by あずみ at 2006年11月02日 15:44
あずみさん、こんばんは。
押しかけばかりでスミマセン。
「教育改革」の声を大にして叫んで始まった某首相の新体制のもと、今年の受験生が一番煽りを受けたのでは・・・と心が痛いです。
まあ、首相はパンドラの箱を開ける時期を間違えたのかもしれませんが(苦笑)

お受験、地域によっては公立校は荒れまていて、とても通わせられないという現実もありますもんね。
幼稚園・小学校のお受験、学校側の本音は親をみるそうですね。(どれだけ教育熱心かとか財力があるかなど)やはり、整った教育環境を手に入れるにはお金が掛かるということでしょうか。
我が家は子どもが多い上に、経済的・親と子の知性にも問題があるので、選択の余地がなかったのです(苦笑)
Posted by ハル at 2006年11月02日 23:57
未履修だった3年生たちはこれからが大変ですね。
大学側も対処に困っているようで、地元では、完全に対処が決まっていない未履修校の子でも指定校推薦入試などは卒業見込として変わらず扱う、などの内容を公表している大学もありました(新聞で記事を見かけました)。

お受験については、いろいろと思うところもあります。幸いにも(?)うちは首都圏ではなく地方都市なので、もともとお受験自体があまり盛んではありません(選択肢が極めて少ない)。悩まなくて済むのはありがたいですが……。
これについては、また機会を改めて記事を書きたいなと思っております。
Posted by あずみ at 2006年11月03日 17:28
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/26455219
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。