2006年11月16日

「いじめたい」には理由がある気がする

最近の報道は、いじめ自殺の件でかまびすしい。
そして、あちこちで、いじめられっ子への応援だの、いじめっ子への非難だの、いじめ先生への糾弾だの、自殺報道への非難だの、果ては文科省にいじめ告発の手紙まで続々届いたりして、もはやカオス状態である。

自分自身は、いじめらしいいじめを受けることもすることもなく、近くで見かけることもなく、学生生活を終えた。
たぶん、いじめが近くになかったわけではないのだろうが、それがはっきりといじめという形を取ることがなかったのだろう。いじめは多対一の構成である、とどこかのブログで読んだ。人間関係上での確執は、小学校から高校に至るまで確かにいろいろとあったが、多対一という構成をとることはなく、多対多(友達グループ間の確執)であったり、なんとなくクラスの中で浮いていたり避けられがちだったりする子はいても完全に無視されたり暴力的な行為をされることはなかったりと、そんな状況ではあった。

避けられがちだったり、なんとなく友達がいなかったりする子は、本人にそれなりの事情はあった。
自分の記憶にある子では、非常に無口でおとなしく、自分から積極的に動くこともなく、友人としてはどう接していいかわからないような子。嫌われる要素があるわけではないが、いつも一人という感じになり、好きな子同士の班分けをすることになると、結局一人余ってしまう。
また、なぜか服装がみすぼらしく見える子もいた。女の子なのだけれど、いつも暗く色彩の色あせた服で、スカートをはいてくることがなかった。髪も男の子のような短髪。かといってボーイッシュなのでもなく、加えてしゃべり方がなんとなく癇に触るというタイプ。ちょくちょく彼女としゃべる機会もあったが、しゃべっている内容は普通なのだけれど、声質やしゃべり方がどうも好きになれない、という感じであった。

当時、そんなふうになんとなく離れてしまう子でも、あからさまないじめに遭っていることはなかった。もちろん、たまたま自分のクラスがそうだっただけかもしれないが。
積極的に近寄って仲良くしよう、ということはないけれど、積極的にいじめたり無視して仲間はずれにしてやろう、というわけでもない。
そんなのが普通だったような気がする。

いじめという行為は、積極的かつ攻撃的な行為である。
単にその子にあまり興味がない、別に親しくなりたいと思わない、という段階を超えて、その子を傷つけたい、屈させたい、馬鹿にしたい、という暴力的な意志がなければ、いじめは始まらない。
無視によるいじめにしても、何をしゃべってきても、必要があって接することになっても、絶対に無視する、という強固な意志がなければなかなか成立しない。子どもの頃に「もう絶交!」と友達と"絶交"した経験のある人なら分かるだろうが、「絶対に無視する」というのは相当な精神的エネルギーを要するのだ。

そこまでエネルギーを消耗してまで他人を攻撃したい、という気持ちは、正直自分にはよく分からない。
なんとなく、幼児・児童虐待に近い根があるんじゃないのか、と感じている。
幼児・児童虐待の場合、子どもに対する憎しみのために虐待するわけではなく、親自身の抱えている大きなストレスがあり、それを発散するためにより弱い存在である子どもへの虐待によってストレスを解消しようとする、というからくりがある。
いじめも、そういう面が大きいのではないかと感じるのだ。

いじめは、どうしても現実に起こっている現象や、被害者や学校側に注目が行きがちだけれど、本当はきちんと解決したいなら、いじめ加害者側へのフォローが重要なのではないかと思うのだ。
今回の一連のいじめ自殺報道の端緒となった福岡の事件がその典型だと思うのだが、いじめグループは、被害者が自殺したあと、いじめを反省するどころか、今度は別の子を標的としていじめを始めたという。
彼らは、被害者に憎しみがあるからいじめたかったのではなく、いじめという行為をしたかっただけだったのだ。欲しいものがあるから万引きするのではなく、万引きという行為をしたいから万引きするのと同じだ。

彼らはかなり悪質なほうだと思うが、同様に、表立ってはいないが、いじめによってストレスを発散したいがためにいじめをする、という例は数多くあるのではないかと思う。
そういう者たちに「いじめは悪いことだからしてはいけない」と言ってもやめるはずがない。
彼らの抱えるストレスに対し、精神的ケアを行わなければ、いじめは止まらないと思うのだが、実際は、親や家庭に問題があってそもそもストレスの元がそういうところだったりするケースがけっこうあるのではないかとも思われる。
教師ではそこまでするのは専門家でもないし、困難だろうから、スクールカウンセリングがもっと普及すればいいのかな、とも思う。

とりあえず、「いじめは悪いことだから」と言っても、いじめっ子たちの心には全く響かないだろうとは思っている。
ラベル:いじめ問題 教育
posted by あずみ at 12:43| Comment(13) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いじめ問題は多くを語りにくいのですが、教師の中には「事なかれ」的な人もいます。教師も仕事の一種と簡単に割り切れてしまう人はこういう傾向にあると思います。何かあったらつっこまれるから何もしない、と考えるのが普通になってしまうんでしょう。

あずみさんのブログに触発されたようで、実は、(ここではないんですが)ブログをはじめてみました。向こうでは、職業不詳ですが(*^^*) そのうちいじめについても書いてみたいと思います。

Posted by ヒデ at 2006年11月17日 01:38
>ヒデさん
ブログ開設おめでとうございます。また読みにうかがいますね。

「いじめをなくそう」というスローガンがよく聞かれますが、はるか昔からいじめは存在していて、なくすことは不可能だと思っています。
起こったときにどう対処するかのほうが大切なのですが、下手に「なくそう」と言うから、かえって「事なかれ」主義に走る人も多くなるのではないでしょうか。
いじめは普通にあるけれど対処できるんだよ、起こったらこうすればいいんだよ、という認識が普通になれば、そういった「事なかれ」主義も減るのではないかな、と感じます。
それが個人の能力によるのではなく組織として機能すれば一番安定するんじゃないかと考えています。
Posted by あずみ at 2006年11月17日 10:40
お邪魔します。
いじめ。いじめを受けて自殺する、若しくは自殺意志を持つ児童に対し「死なないように」と語ること自体がおかしい。いじめは、人間の尊厳もなにもかもを踏みにじる。対象者を、蝕み、殺すものだ。いじめは、殺人だ。「死なないように」「あなたの命は大切だ」と言葉を重ねるより「いじめは許されない。」「いじめたものには厳罰と長い謝罪を科す」と、言ってもらいたい。いじめに加担したもの・黙認したものは逮捕されてしかるべきだと思っている。
人には、やっていいことと、悪いこととがあるのに、いじめに関しては、軽く見られすぎてると考えています。
一方的なコメントで、ごめんなさい。
でも、うまく纏まらなかったんです。申し訳ありませんです。
Posted by 阿部まりあ at 2006年11月17日 21:11
「いじめ」による自殺のニュースがあるたび、学校側がいじめた側を守ろうとしているのではないかと思うほど保守的なのには驚きます。クラス=いじめた人+黙認している人といじめられている人という状況では、皆同罪ですね。
小学校では親友がいじめられていたので(確かに貧しい感じの子ではあったけど、芯の強さには感服していた)、「いじめっ子」を止めたことはあったけど、かばいきれなかったことに、今でも忸怩たる思いがあります。「多数」という暴力は本当に怖いです。
中学高校では、多少何かあれど「私は私」という雰囲気だったので、「いじめ」が成立しにくかったかも。恵まれてました〜。
Posted by ぽよまま at 2006年11月17日 22:09
我ながら、感情的なコメントしてるなぁ、と思います。
ぽよままさん、かばいきれなかったことなんか、きにしないでいいと思うよ。自分を大事に思ってくれる友人がいるということがわかるだけで、生きていられるんです。
2年生のときから6年生の卒業まで、いじめられ続けた私がいうんだから、間違いありません。
体操服が落とされてる、なくなっている、新しい鉛筆・消しゴムが取られて誰かの筆箱の中で名前が書き換えられている、靴が、トイレ(汲み取り)の中に連日落とされている、ランドセルごと後ろに引き倒される、髪の毛に消しゴムのカスの山が撒き散らかされる、私が触ったものは誰も触らない、毎日『あの子が欲しい〜』で、最後の一人になる(もちろん最初から手を繋いでもらえないでやる)
きりがないですが・・。
ただ、同じグループでもなく、通学路も同じではなかった子が「やっぱり、どう考えても、あなたがいじめられる理由がわからない」と言ってくれたことが、とても心強かったんですよ。本人は言ったことなんか覚えてないんだろうなぁ。
Posted by 阿部まりあ at 2006年11月17日 23:30
まりあさん、辛かったですね!そんなことになっていようとは、全然知りませんでした。知っている誰かだと思うと恐ろしいです。
今は背筋を伸ばしてしなやかに生きているまりあさんは、とても素敵だと思います。

あずみさん、私信に使ってすみません〜。
「いじめ」はいじめられた立場の人にしか分からないことがあるような気がします。
今は親の立場として、安心して通える学校であってほしいですね。
Posted by ぽよまま at 2006年11月18日 08:49
>阿部まりあさん
コメントをありがとうございます。
いじめを理由に自殺する子に関しては、それがその時点では唯一の逃げ場になっている場合もあり、「死ぬな」とは誰にも言えないと思います。
とはいえ、身近な者で直接何かの助けの手を出すことができない立場からは、「そんなに辛いならすぐにでも死になさい」とも言えないのも事実ですね。そんなことを言ったら、いじめに加担するのか、と叩かれるのは間違いないですし。
文科大臣はなかなか難しい立場だなぁとは思います。

本文にも書いたように、いじめは非常に暴力的なものだし、大人ならば傷害罪、暴行罪、窃盗罪、器物損壊罪、その他の刑法上の罪に問われる行為なのですが、ほとんどの場合、年齢的に罪を問うことができません。そこが難しいところなのだろうと思います。高校での非行は内容によって刑法に問われ逮捕されるケースもありますが。
個人的には、悪質な例に対しては学校内(教師)だけで対処するのは不可能で、警察が介入して補導するなどの強い方法を取らなければ対処できないと思っていますので、その点の考えはまりあさんに近いかもしれません。

本文の意図としては、もちろん「いじめは悪い」と言い、教え続けることは当然だけれど、しかし実際に「悪いからこそやる」という非行傾向の児童・生徒については、「悪いことだからやめよう」という意識自体がないわけで、別のアプローチから対処しなければならない、という考えです。
いじめっ子に対する精神的フォローというのは、そういったストレスを軽減することにより、いじめたいという気持ち自体を減らし、いじめっ子である自分を反省しいじめをやめるために有効な手段だと考えています。
当然のことながら、いじめられっ子に対するフォローや対処はそれ以前に必要なのですが、それについてはいろいろなブログや報道で語られているので、ここでは特に言及していません。

それから、ご自身のいじめの経験についての言及、ありがとうございました。読んでるだけで心にきついです。
誰かそばにいてくれる人が一人でもいる、というのが大切なんですよね。


>ぽよままさん
おっしゃる通り、いじめはいじめられた人にしか分からないものだろうと思います。
あちこちのブログを読んでいて、いじめを受けた経験を語る人はたくさんいましたが、いじめた経験を話す人はほとんどいなかった。もちろん自分が悪かった体験を表で話すのにためらいがあることもありますが、おそらく、いじめた側からは、何がいじめなのか、自分はいじめをしたのか、いじめってなんなのか、よく分かっていない人が多いんじゃないかと。

けれど、いじめを減らすためには、いじめられっ子を減らすのではなく、いじめっ子を減らすしかないんですよね。
いじめられっ子には基本的には悪いところは全くなく(たまに性格に難があるなどでいじめられる子もいますが)、悪いのはいじめっ子の側だけです。
けれど、いじめられっ子を守ることばかり言われて、いじめっ子をなんとかする、という方策が語られないんですよね。なぜか。

いずれ自分の子も学校へ通うようになりますが、その時にいじめられっ子になったら、私は全力を尽くして(可能ならばコネだって使って)しかるべき対処をしようと思っています。
少なくとも進んでいじめっ子になるタイプではないと思いますし。
けれど、一番怖いのは、クラスでいじめが起こってしまった時の「その他大勢」になることなんです。いじめられっ子に対して好感をもっているならまだしも、もしそのいじめられっ子が子どもから見てもあまり好きになれなくて仲良くなりたくない子だったら……。
倫理と交際(友達を選ぶこと)の自由とのせめぎ合いになるでしょう。親としてはどう子どもと話していくべきなのか。今から心配してもしょうがないんだけれど、そんなこともあり得るんだろうなと漠然と思っています。
Posted by あずみ at 2006年11月18日 11:56
あずみさんお久しぶりです。
いじめ問題は、最近特に騒がれていますが、昔から多かれ少なかれ有りました。
特に最近は、虐めによる自殺が表面に出て来ていますが、私の記憶が正しければ、二十数年前には虐めに対する報復としての殺傷事件も起きています。
実際、苛められていた者が加害者に成るケースも少なくないと思います。
又、苛められてた側の子供が、卒業を境に苛める側にまわるケースも良く有る事です。
一番に子供が苛め側に追随する原因は、苛める側に就かないと其れを理由に苛められる等が有ります。
其れと、苛めている側のリーダー等には罪悪感は無く誇らしく考えている者もいる始末です。
又、苛める側の論理として苛められる方が悪いと言う人が良くいますが、苛められている側には何が原因で虐められているのかが解らないのも事実です。
昔と今の違いが大きい様に言われますが、根本的には何も変わってないように思いますし、対策としては両方に精神的なケアーが必要なのだと思います。
Posted by Iwasaki at 2006年11月18日 18:31
>Iwasakiさん
コメントありがとうございます。
いじめは昔からありましたね。たまたま私の近くには目立ってなかっただけでしょう。野口英世もいじめられていたそうですし(っていつの時代の話をしているのだか)。
本文で特に昔と今が違うとは書いてないつもりだったのですが(自分の周りで見なかったとは書いてますが)、そうとられるような書き方をしていたかもしれません。そうであれば、そういう意図はなかったということでご理解いただければ幸いです。

>>対策としては両方に精神的なケアーが必要なのだと思います。
直上のコメントにも書きましたが、結局これに尽きると思っています。
Posted by あずみ at 2006年11月18日 22:27
呼ばれた気がしましたので。(^_^;)

私の自覚としては、幼稚園年中さん〜高校卒業するまで、いじめられっ子でした。

私にもいくつか原因があったと思います。

いろいろ言われる中に「自己中」とかって言われた事がありました。
でも、言い訳するならば、他にも自己中な人いるじゃん。
なんで、その人は、いじめっ子だったり、ちやほやされるのに、
私はいじめられっ子になるの?と当時素朴な疑問でした。

「いじめという行為をしたかっただけ」という気持ち、
なんとなくわかります。みんな、一人じゃ怖いんじゃないんでしょうかね?

誰かをつるし上げて、仲間意識を持ちたいという気持ちからだと思います。

ちょっと偏見かもしれませんが、会社でも上司がちょっと?な部署の部下たちは、
和気藹々なところが多いように感じます。
上司をサカナにして、みんなで、仲間意識というつながりを強めたいのかな?と
私の目には映りました。

そんな経験をしているからか?私、未だに一匹狼です。
仲間意識が弱いのか?(やはり)性格が悪いからか?
リアルでもネットでもお友達がめちゃめちゃ少ないです。

いじめられていた当時、すごくすごくすごーく辛かったですよ。
ホント、死にたいって何度思ったことか。
自転車通学でしたが、その自転車のタイヤ、毎日、パンクさせられました。
幸い自宅に数台の自転車があったので、修理中は違う自転車に乗って通学していましたよ。

あの時、されたこと・・・思い出したくもないですし、
おかしなもので、何が辛かったの何の部分を忘れちゃうものですね。
ただ、めちゃめちゃ辛かったという感情しか今は残っていません。

また、
「死んだら負け!」
「そんなに私がうざいなら、反撃するべく、生き続けてやる!」
とずっと心に念じておりましたっけ。

でも、たまーにスーパーとかで同級生(いじめっ子以外でも)見かけると、
心拍が聞こえてくるくらいドキドキしますし、気付かれないように身を隠してしまいます。

高校の時、友達に「こばちがいじめられる理由がわからない」って
言われた事が一度だけ。その言葉が救いの言葉でしたね。

二転三転とまとまりがないお話になりましたが、最後に。。。
日本人の気質もいじめの足枷になっていると私は推測致します。
また、散々いじめられたおかげで、今起こっているもっと陰湿な大人のいじめには、
そんなにダメージを受けていません。

支離滅裂でワケ判らなくなりましたが、お許し下さい。
Posted by こばち at 2006年11月19日 01:06
>こばちさん
ご自身のきつい体験について書いてくださり、ありがとうございます。
今のこばちさんの日記や書いたものを拝見している限り、いじめられっ子だったという面影を全く感じないので、正直驚いています。
ある人のブログで、「いじめられる子は弱かったり悪かったりするからいじめられるのではなく、ただ異端であるからいじめの対象になる」という意味のことが書いてありました。容易に周囲と馴れ合わず自身の立場や考えを崩さない人は、それだけでいじめの対象になる、ということがあるのでしょう。残念で腹立たしいことですが。

>>高校の時、友達に「こばちがいじめられる理由がわからない」って
>>言われた事が一度だけ。その言葉が救いの言葉でしたね。
これは上でコメントされた阿部まりあさんの言われた言葉とよく似ていますね。
これを拝見して、なんとなく、ちょっと自分の中でまとまってきた考えがあります。次の記事になるかどうかはわかりませんが、これもまた文章にしてぜひここに書き込みたいと思います。

貴重なコメントをどうもありがとうございました。そしてこれからもまたよろしくお願いいたします。
Posted by あずみ at 2006年11月19日 22:11
あたたかいレス、感激しました。

> ただ異端であるからいじめの対象になる
これは、すごく思い当たります。
例えば、良かれと思ってお節介をすると、その行為自体が目立ち
いわゆる「いい子ぶりっ子」(古っ!)って言われた事もありますよ。

ただ単に相手を喜ばせようと思っているだけなのに。

だからでしょうか?私の知っている限り“事勿れ主義”の方達は、
いじめっ子にもいじめられっ子にもなりませんでしたね。

こうやって、お話していると、自分がどうしていじめられた(ている)のか、理由がわかってきました。

その一つに相手の求めている言葉や行動を察知していないんです。
そうすると、相手は「何言ってるの?」「何やってるの?」になるんですよね。
みなさんの顔を見ていると、そういいたいのかな?と感じます。

先日も旦那様に指摘されました。

私の頭の中では、相手の言っている事の次の事も想像しちゃうんです。
で、出てくる言葉が先走って考えた事に対する答えを言ってしまう。

また、言葉が足りずに相手に理解してもらえないこともあります。

説明する時に順序だてて説明すればいいのですが、
お恥ずかしながら現状を表現するのが精一杯で、
まるで、言葉を覚えたての幼児のように
「咲いた 花 赤い もらった 友達」
という具合に話してしまうことがあります。
相手によっては、最後まで聞いてもらえず、
途中で終わってしまうため、余計に「何言ってるの?」となるのでしょうね。

そういう点では、日記とかは、後から何回も何回も読み直して、
少しでも誤解されないように書く事ができるので、助かります。
また、日記のおかげで、口語の方も、ほんの少しマシになってきました。

今は、亀や牛並みの進みですが、少しずつでも、自分を改善していきたいと思います。
それが、自分のためでもあり、子供や家族のためでもありそうな気がしますから。

またもや、へんてこりんなコメント、失礼しました。
Posted by こばち at 2006年11月20日 09:32
>こばちさん
>>私の頭の中では、相手の言っている事の次の事も想像しちゃうんです。
>>で、出てくる言葉が先走って考えた事に対する答えを言ってしまう。

なんとなく、これは頭が回りすぎる方がそうなるような気がします。思考がどんどん先走りするので言葉がついていかない、みたいな。私も友人にもそういう人がいました(というか、今でもいます)。

いや、勝手なことを言っていますが、あまり気になさらないでくださいね。直接お話したこともない奴の言ってることですから(笑)
Posted by あずみ at 2006年11月21日 23:00
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