2006年11月22日

病気腎移植の惜しい展開

しばらく前からいろいろと書かれている病気腎移植のことが気にかかっていた。

気持ちの上で引っかかるものがあるにはあるが、個人的には、病気腎移植そのものを否定する気持ちにはならない。
実際、肝移植の世界では、既にドミノ移植というものが何度か行われている。
これは、健康な肝臓を肝臓疾患で移植が必要な人に移植し、その病気肝を別の移植が必要な患者に移植する、という方法である。
なぜ病気の肝臓をさらに他人に移植するのか、ということについては、理由がある。
ドミノの真ん中にあたる人、つまり移植を受けると同時に病気肝を提供する人の疾患は家族性ポリアミロイドニューロパチー(FAP)という病気に限られる。この病気は肝臓が作り出す異常なタンパク質のために病気が起こるのだが、発症までに20年程度の長い期間があるとされている。*1このため、現時点で肝移植を受けないと近い将来に死亡するという患者の場合、ドミノ移植を受ける意味がある、ということにもなる。
しかしそれは、生き続けていれば将来に間違いなく別の病気(FAP)の発症を免れないことでもあり、健康な肝臓を最初から移植されるほうがいいに決まっている。しかし、脳死移植が可能であっても移植に提供される肝臓が移植の必要な患者数に対して潤沢とはなり得ず、ましてや脳死移植が進まない日本では、移植しないで死ぬよりはドミノ移植のほうがいい、という事情も現実にあるのである。

そんな事情を思うと、病気腎であっても、きちんと機能するなら移植してもいいじゃないか、癌があってもその部分を除いて再発の可能性を非常に小さくしてレシピエント側が納得するならば移植に使ってもいいじゃないか、という意見も、それはそれで筋が通っていると思うのである。
それでも、万波誠医師のやり方がベストだったとは思えなかった。
それがもっとも引っかかるところだった。
その引っかかりが何か、なかなか自分でつかめずにいたのだが、先日このような記事を見た。

病気腎移植:1例目はがん患者提供 万波医師が明らかに

毎日新聞が万波医師自身に行ったインタビュー記事。
この中から自分の琴線に触れた部分を引用する。

 −−国が規制をしなければ、今後も続けていきたいという気持ちはあるのか。

 もちろん。捨てるんじゃからな。やるべきじゃないか。ただ認められるのなら組織的な方法をとらんといけないと思う。


 −−病気腎移植が理解されるためには何が必要か。

 腎臓を摘出すべきかどうかという適応基準だ。そこの判断が非常に難しい。医師の裁量権をどこまで認めるのか。(摘出すべきでない場合も)医師の説得で患者がその気になる恐れもある。それを書面に残しても意味があるだろうか。


 −−死体腎も含め移植機会を増やすにはどうしたらいいと思うか。

 私は目の前にいる患者さんを毎日精いっぱい診ているだけ。日本の移植医療をどうするかなんて考えたこともない。


万波医師は病気腎移植に問題があることについてきちんと認識していることが読み取れる。
続けるなら組織的な方法を構築する必要性や腎摘出の基準を明確にすること、医師の裁量を認めすぎることは危険であることもインタビュー内容からは十分理解していると読める。
しかし、学会にも所属せず、生殖医療の根津医師のような表立ったパフォーマンスもせず、ただ目の前の患者さんのことを淡々とこなす。病気腎移植を一般的に認められる医療にしたい、という意志は全く見られず、問題があることは分かっているから、ただ隠れてこそこそと行う。

確かに、現在移植学会では病気腎移植は認められておらず、認めさせようとすれば長く大変な議論を要するだろう。だが、ドミノ移植のことを考えると、十分にシステムを整備すれば、第3の道として認められる道は十分にあるのではないか。
万波医師は非常に手術が上手くカリスマ的ですらあるようだが、それでももう60代半ばだ。並の外科医であれば、ピークは40代と言われる。年齢を重ねれば経験は増えるが肉体的に衰え、やがて手技も衰える。そしてその後、彼の跡を継ぐものもなく、病気腎移植の道は閉ざされるであろう。

もしも、この何例もの病気腎移植について、論文とまではいかなくても、一つ一つの症例を丁寧に記録し、術後の経過についてもしっかりとフォローして記録が残されていれば、どうだっただろう。その記録は貴重な症例報告となり、その安全・危険性や治療法、手技が検討されて、病気腎移植の道を開くきっかけになったかもしれない。
そして、今までの患者さんだけでなく、これから先の多くの患者さんが救われたかもしれない。

この人だったからこそ日本で病気腎移植を行えたのだろうけれど、一方では、この人だったからこそ研究も実技も続かず、病気腎移植がこれで終わってしまう。
この人に診てもらえた患者にとっては「他の医者には見捨てられたがこの人だけは救ってくれた」という存在だろうが、なんのことはない、目の前の患者だけしか見ない人だっただけなのだ。

先日、同じく毎日新聞で「異端の医師:移植・生殖医療で独自の道徳観 2氏の共通点」という記事が載っていた。万波医師と代理出産・生殖医療の根津医師とを比べて共通点を語る記事だ。
しかし、この2人には、絶対的な違いがある。
根津医師はもともと学会に所属し、自分から学会をやめたのでもない(除名処分にされた)。自分のしていることの正しさを確信し、学会や世間と真っ向から向かい合い、生殖医療を必要としている患者の立場や思いを主張する。こんな治療を行いました、ということをマスコミに発表する。
一方、万波医師は、これまで一切マスメディアなどの表に出ず、ただ手術を行っていた。たまたま腎臓売買の件で表に出ることになってしまったが、そうでなければ、このまま引退するまで表に出ることなく移植を続けていただろう。学会や世間などと相対して病気腎移植を普及させる気は全くなく、自分のやり方がバッシングされるだろうことも分かっている。だから黙っていた。黙って、自分のしたいことだけをしていた。
根津医師のやり方は理解できるが、万波医師のやり方は、ただの自己満足にすぎず、患者を助けたいという気持ちも、患者のためではなく、自分の満足のため以上の何ものでもないのだろうと思う。

だからといって、万波医師自身が何かと立ち向かわなければならなかったのか、というと、そうも思わない。きっとこの人は性格的・人格的にそういうことには向いていない。
こういうカリスマ的な人の場合は、周囲の者がサポートをしていくべきなのだろう。グループと称されるくらいの取り巻き医師はいたようだし、取り巻き医師たちは学会にも所属していたのだろうから、そのうちの誰かがそういう面でのサポートをすることができたなら、また違った局面になったかもしれなかった。

ただ、ただ、もったいない。
そんな気持ちが正直なところである。

*1:ただし、最近では、移植後比較的短期間のうちに被移植者がFAPを発症するという報告もある。あくまで緊急避難的な治療ではある。
ニュースソース:熊本日々新聞サイト くまにちコムより


posted by あずみ at 14:51| Comment(4) | TrackBack(0) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
何と言いますか、私の母は28年前に腎不全となり、透析治療をずっと続けていました。4年前に不慮の事故で他界しましたが、その間に腎臓移植の話などもあり、この件に関しては、ものすごく複雑な思いがあります。たとえば移植自体について、
病気腎移植はどの程度成功し、受けた側の腎臓機能が働き続けているのか?
もし手術後数年以内に機能がだめになっているとしたら、体にメスを入れるリスクの方が大きいような気がします。
もちろん手術には大金が動くことでしょう。その辺りがとても気になるところです。
私の母は結局移植をしませんでしたが、お陰で20年以上も生き続けることができたような気がします。むしろ先に移植手術を受けた友人が、拒絶反応による腸からの出血などで、まだ生きる事ができた命を早々と失ってしまったという事もたびたびありました。もちろん現代の医学は格段に進歩していると思いますが、手術を受けるリスクは変わらないところもあると思います。なんとも難しいですね・・・
Posted by ハル at 2006年11月25日 21:26
>ハルさん
病気腎移植に限らず、腎移植の場合、短期間のうちに腎が機能しなくなる原因は、拒絶反応や移植時の腎の保存状況、手術手技の問題、腎不全の原因(糖尿病など腎外に主病があるケース)などが主であり、腎臓自体が元の病気で機能しなくなることは原因としてはほとんど考えなくていい程度の割合です。
ただ、腎移植に関しては、肝や心・肺移植と異なり、人工透析という、いわば長年の実用に堪える人工臓器システムが実用化されており、ドミノ移植と同等になぞらえていいものかどうかは難しいところです。

そのぶん、腎移植に関しては、患者側およびドナー側の治療に関する十分な情報取得と考慮が重要だと思います。ハルさんのお母様もそうですが、腎移植を行わないという選択をしている人も多数います。
私の身内にも若い時から慢性腎炎→腎不全となり長らく透析を行っていた者がいます。近年、親族間の生体腎移植を受けました。彼女は移植後、顔色もよくなり、透析から解放されることで随分と楽になったようです。
どちらが正解かというのは実際にやってみて結果が出るまで分かりません。同じ手法でもある人は助からず、ある人は救われる。一人一人にとって結果はすべて違います。それが医療の限界でもあります。

医療の現場でできる大事なことは、正しい情報を患者さんに伝えること、できるだけ正しい情報を得るためにデータを積み重ねることだと考えています。
その点で、万波医師はその非常に大事なことをあえてしなかったことが問題と考えています。
Posted by あずみ at 2006年11月26日 11:10
母は透析以前に胃潰瘍を患った事があったので、移植してもらえなかったのが実のところですが、そのお陰で寿命が延びたのかな?と思えることもあります。
確かに透析から離れられるというのは、本人にとって何よりも望ましいことだと思いますが、結局手術は一か八か、その部分で、リスクの多い(病気腎移植など)手術をあえて行なうこと自体に、私は何よりも疑問を感じています。(大金が動いているのでは・・・などと勘ぐってしまいそうです)
もちろん、医師による正確な情報説明や術後のデータをとっていないことは論外だと思っいますが・・・
Posted by ハル at 2006年11月26日 16:41
>ハルさん
今回のケースではリスクの説明を十分にしていない(リスクについて十分なデータがないこともある)ので論外です。
ただ、もしデータが十分に揃って危険性について予測がつき、統計的にリスクが移植を行わない場合と比べて小さいとされる場合には、そのリスクを説明した上で移植を希望する人には移植を行うことになると思います。
また、研究レベルであれば、データがはっきりしていないことを患者に説明し承諾を得た上で移植を行うケースはあり得るでしょう(新薬の臨床実験などと同様)。日本国内では難しいかもしれませんが。
現状ではリスクについて判明していないため、これ以上の検討は不可能です。

実際に病気腎移植が一般化されるには多数のハードルが存在し、国内では完全に禁止される可能性もあります。それもまた一つの道であり、私はそれにも反対ではありません。
Posted by あずみ at 2006年11月26日 19:43
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