2006年11月30日

「子どもに『ルールは守るべきである』という基本は必要だ」への補足

この前に書いた記事「子どもに『ルールは守るべきである』という基本は必要だ」について、有意義な記事のご紹介をいただいたこともあり、若干の補足をさせていただく。


【補足1】

前記事で紹介させていただいた記事*1の掲載ブログ「suVeneのあれ」のsuVeneさんより、はてなブックマーク経由で次の記事をご紹介いただいた。

メモ - 子どもの素朴な疑問からたどり着くところ*2

赤信号の話について、小学5年生の息子さんに聞いてみた、という話。
この記事は、なるほど納得な記事であった。
どのあたりが納得かというと、幼稚園児と小学5年生の間には、まさに大人と子どもほどの差があるのだなあ、ということであった。

前の記事には特記しなかったが、私があの記事で「子ども」と記載する時、想定しているのは基本的に未就学児、上限を高く見てもせいぜい小学校低学年までであった。
自分の子どもが上が5歳、下がまもなく3歳で、現状の自分がその年齢を相手にしているということもあるのだが、自分の幼少時の記憶や周囲の小学生の様子などを見ても、少なくとも小学校高学年になれば、かなり自律的に多様な判断ができ、刷り込みの必要な時期は過ぎている、という印象があったからだ。
小学校5年生の子が実際に大人が発想するのと同等のレベル、○×ではなくより柔軟に赤信号無視の事情を想像した、という事実に、なるほど、やっぱりそうかー、と思ったのだった。
当然といってはなんだが、幼稚園児レベルでその発想は無理だ。目の前の現象について単純な枠組み(例えば"いい・悪い"や"していいか・いけないか"の二択など)で考えるのが精一杯で、広く周辺の状況を考慮するほどにはまだ発達していないのである。


【補足2】

育児についてこうして記事にすると、焦点を集中的にまとめた内容になるため、文章だけ読むとひどく窮屈でガチガチの育児をしているように見えるかもしれない。
しかし、現実には、育児や道徳教育は親だけでやるものではなく、子どもは多数の人間(大人・子ども問わず)から多数の価値観の影響を受け、その中から取捨選択しつつ成長し、自分を形作ってゆく。それは幼い時からすでに始まっている。

親は「ルールを守るべき」ことを教えることはできるが、「ルールなんて破ってもどうってことないよ」と(言葉でなく行動で、も含め)教える者もやがて周囲に現れるだろう。そして、実際に「ルールを守る」という行為を選択するのは本人にしかできないことなのだ。
親にやれることなんて、所詮その程度のものだ。こんなに口角に泡を飛ばしていても。
それだけに、やれるうち、やることを許されるうちには、やっておきたいと思う。

職人が弟子に技術を教え込んで、その出来がなんとなく自分から見れば不安で不完全であっても、師匠にそれ以上のことはできない。あとは弟子自身が自分で考えて自分の技術を磨き、自分自身の作品を作っていくのを見守ることしかできないし、またそうすべきなのだ。
自分のスタンスは、そんな感じに近い気がする。

*1:この記事自体は、育児・しつけについては全く触れていません。主に、記事についたはてなブックマークコメントを紹介するためにリンクさせていただいた形になりました。

*2:この記事を書いたaozora21さんは、「suVeneのあれ」さんの記事のはてなブックマークコメントでも、最も現在育児している身としての感覚にフィットするコメントをされていた。



ラベル:育児 ルール
posted by あずみ at 00:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
それこそ「馬を水呑場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」といった感じでしょうか。

私の小学高学年の頃を振り返ると、まだ、臨機応変がわからなかったような気がします。
また、小さい時に教え込んだ事と正反対まではいかないものの、
160度くらい違う事を中子供には言い出しそうな自分がいて、なんとなく怖い気も致します。
子供の頃、親の言ってる事に矛盾が生じると、悲しかったですから。

それこそ、自分だけで解決しようとせず、その度その度、主人と指針を確認して行った方が良さそうだと感じました。
Posted by こばち at 2006年11月30日 10:42
>こばちさん
コメントありがとうございます。

>>「馬を水呑場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」
それだ!

親の言うことがころころと変わるのは子どもにとって大変よくない、という話は各所で聞きます。
まさにこばちさんがお感じになった悲しさゆえなんでしょうね。
自分の思想と異なるものを引っ張ってきて教えようとしても、どこかで矛盾が出るような気がするんです。
だから、自分としては、子どもにとって大きな岩みたいな存在でありたいと思ってます。自分にまだ力がない頃は動かそうとしても動かない。でも成長して自分自身の力をつければ転がすことも可能になる、みたいな。

また、父親と母親の言うこと(育児方針)が異なるのもよくないといいます。育児についてパートナーと話し合うことはすごく大事だと思ってます。
子どもからみたら、父も母もどっちも親ですもんね。
そういう意味では、うちはわりと主人と考え方が似てる(と思っている)のでぶつからずに済んでいますが、似た者同士はそれはそれで、手を取り合ってあらぬ方へ走っていかないように自重しなきゃいけないなぁ、とも思います。
Posted by あずみ at 2006年11月30日 11:49
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