2006年12月11日

教員の保護者評価には果たして意味があるのか

保護者による教員の指導力の評価を導入する、という方向で行政は話が進んでいるらしい。

教員指導力:保護者も評価へ 教育再生会議が中間報告案−行政:MSN毎日インタラクティブ

YOMIURI ONLINE: 教委設置義務の撤廃見送り、規制改革会議が最終答申案
 同会議は、安倍内閣が教育再生を重点政策としていることを踏まえ、教育分野で、〈1〉生徒や保護者による教員評価や学校評価を法令で義務化する〈2〉中央教育審議会が提言した教員免許更新制度を、不適格教員の排除を可能な制度とする――ことなど、中間答申より踏み込んだ内容も最終答申案に盛り込んだ。
(上記リンク先、YOMIURI ONLINEより引用)

この方向性は、非常に不安である。
なぜなら、評価する保護者の側が、公正かつ冷静な立場で評価ができるわけがないと思うからだ。
ここでの指導力というのを、教え方のわかりやすさや教科の理解力といった、純粋に教科に関する学力だけの問題だと限定すれば、それに対して多少なりとも評価することが可能なのは、実際に授業を受ける児童・生徒だけであろう。親が子どものテストの点や教科の理解度を見ても、それが先生側の問題なのか、それとも子ども側の問題なのか、切り分けることができるはずがない。授業内容を又聞きしても、子どもが正確に伝えない限り、その伝聞内容から指導力のレベルを推し量るのはまず無理であるが、中学2〜3年生ならともかく、小学生の子どもにそんなことを期待するのが無理な話である。

おそらく、この程度の役割しか果たせないであろう保護者の評価で明らかに悪い評価を得るような教員であれば、保護者に聞くまでもなく、同僚や上司(校長、教育委員会など)から見ても言い訳のきかないような指導力不足が見て取れるはずだ。
現在、指導力不足の教員の処分が意外と少ない、ということが問題とされているようなのだが、これは教育現場においての運用が不十分だということであり、評価の仕方自体が甘くなっていることとは別の問題があると思う。
保護者の評価が行われても、その結果を見て処分を決めるのは当事者である教育現場に他ならない。処分を基準を曖昧にしていれば現状と変わらないし、かといって「何人の保護者から×がついたら処分」などという話になったら、保護者たちが簡単に組織票で"気に食わない"教員を処分することができることになってしまう。それはひどい話だ。

外部からの目が必要、ということであれば、利害関係の大きい立場にいる保護者ではなく、少なくとも教育に関する知識をある程度持った第三者が評価すべきである。保護者評価を導入しても、何も変わらない。
むしろ、上記の組織票の例のように、悪い方に向かう可能性すらある。保護者たち自身、レベルはピンキリなのである。自分の子をひいきする教師に良い評価をつけ、子どもを公正に扱う教師に悪い評価をつける保護者だっているに違いない。そういう保護者は、時として地域社会で力をもち、他の保護者たちを動かす力を学外で持っているケースがある。
つまるところ、学外の力関係を学内に持ち込むだけの結果になるかもしれないのだ。

教員の評価を学内の関係者以外が行う、という考え自体が完全に間違っているというわけではないと思う。
しかし、誰が評価をするのか、については慎重に考えるべきではないだろうか。
少なくとも保護者がするべきではないだろう。保護者は期待されるほど公正でも冷静でもないし、的確な判断力を持っているとはいえない。
保護者の大多数は子どもの親であり、親たちは大抵自分の子のこととなると、広い視野で大局的な判断をすることが難しく、多かれ少なかれ感情的な判断に傾きがちなものであるからだ。

この問題については、やがて小学生の保護者になるであろううちの一人として、そう感じている。
ラベル:教育
posted by あずみ at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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