2006年12月29日

「塾禁止」に必須なのは学校の厳格な習熟度別コース化

教育再生会議での野依良治座長の「塾禁止」発言があちこちで取り沙汰されている。
asahi.comより 「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調
議事要旨によると、野依氏は「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだ。公教育を再生させる代わりに塾禁止とする」と再三にわたって強調。

該当の議事録(PDF形式)へのリンクはこちら

どちみち、仮に塾禁止などという提言を行ったところでそれが実現するはずもない状況なので、まあ年寄りの戯言か、という程度の話なのだが、あちこちで反応があるのは、それなりに何か言いたくなるような案だ、ということなのだろう。
自分も反応しているし。

もしも塾禁止になったら、学校教育現場はどのようになるか、ということを想像してみた。
ここでいう塾は、野依氏の言うように、落ちこぼれを救うものは除き、学校の勉強の範囲を超えて学ぶ進学塾のようなものを考える。
また、基本的に、義務教育である小中学校を想定する。高校以上は、そもそもそこで学ぶか学ばないかが個人の選択にかかっているので、極端なことを言えば、最初から高校に進まないで私塾で学ぶ、ということも可能であるためである。

まず、塾禁止ということにすると、では学校で教える勉学のレベルをどこに置くか、ということが重要となる。
現状では、学校のレベルが低くても、塾で補うことができるため、特に「ゆとり教育」以降は、平均的な能力の児童・生徒が楽に勉強できるレベルよりもやや低く設定されているように思う。
しかし、塾がなくなると、平均的な学力を引っ張りあげるために、平均よりもやや高めの水準を基本とすることになるだろう。水準が低いままだと、大多数の児童・生徒の力を十分に引き出せないことになり、結局将来的に日本国民の平均レベルがだんだん下がることになるからだ。

しかし、そうすると、当然のことながら、勉強に追いつけない子が今よりも多く出てくることになる。そういう水準に設定するから当然である。
そういう子のために落ちこぼれをすくい上げる塾が多くなるだろうが、それでは本末転倒であるから、塾なしでも十分に落ちこぼれをすくい上げられる仕組みを学校内に作らなくてはならない。
補習を増やすという手もあるが、それでは、議事録に出てくる放課後子供プランとやらと対立する。あくまで学校の正規の授業範囲でなんとかしなくてはならない。
そのためにできる方法は、厳格な習熟度別授業である。
小学校の早いうちから、能力別コースに分け、それぞれのコースに合わせた難易度の授業を行う。もちろんさまざまな判断方法によって、コース間の移動は適宜可能とせねばならないが、進度差が出るために頻回の移動は事実上難しいだろう。多くても学期単位程度が限度だろう。

このようなコース別のクラス分けは、塾でよくされている手法である。
つまるところ、よくできる子をより伸ばし、あまりできない子には丁寧に繰り返し教えてそれなりに伸ばす、ということを目指すなら、このやり方は適しているのである。
勉学に関する子どもの能力の範囲は広い。完全な発達障害を除いても、一を聞いて十を知るような子から、発達障害とのボーダーラインの子まで、公立校には広い能力の子が集まる。その能力のグラデーションのうちのどこに水準を置いても、聡明な子には物足りないし、勉学の苦手な子には難しすぎる。たった一つの基準でそれを回避する方法はありえない。
世代の集団全体のレベルを下げて、その世代が30〜40代になるころに、箸にも棒にもかからず世界と太刀打ちできない国にしてもいいつもりならいざ知らず、そうでないなら、学校教育の水準より高い能力をもつ子には、より高い教育を受けられる状況を用意しておかなくてはならない。
現在は公立小中学校には悪しき平等主義があり、すべての子が同等・同水準の教育を受ける、という建前になっているが、それではもの足りない、つまらない子を補うために塾が存在する。塾がなくなるなら、学校がその足りない部分をも補わねばならなくなるのは当然のことだ。

学校がそこまですれば、塾を禁止することも夢ではないかもしれない。
できるはずもするつもりもないだろうが。
ラベル:教育
posted by あずみ at 00:51| Comment(14) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
平均以上の子がもっと高い水準の勉学を学ぶために通う塾を無くす、ということはナンセンスだと思う。
ニュースで取り上げられている「進学塾」は高校受験対応、あるいは中学校でのテスト対策のための塾を指すのだと信じたい。

学校では(特に公立の小中学校では)やはり平均レベルの子が問題なくついていけるくらいの水準で授業をやっていかなければ公教育とは言えない。
もちろんそれは一般的な授業であって、授業の一部や特別授業という形で、もっと高レベルな教育、あるいはもっと基礎的な教育がなされるのは当たり前であり、有意義であると思う。

自分が私立の中高を卒業し、今公立の中学校で教師をしている矛盾。いらだたしさ。そういうものは確かにある。

しかし、世の中には学力が(例えどれだけ努力をしようとも)どうしても平均に追いつかない生徒がいること、そしてそれが彼らの価値や評価につながらないこと、その事実を正面から突きつけられたと思う。

学校で評価できる能力など、人間の能力のごく一部であり、評価できないことの方が多いのだ。
つまり受験などと言うものは(特に高校受験は)ものすごく限られた能力のみの優劣によって決まる。そこに「進学塾」のつけいる隙があり、親の心を揺れ動かす部分なのだ。

私の言う不必要な「進学塾」とは、多くの時間をより高度な学問より、より洗練された受験技術にさいている塾である。
毎週学力診断テストがあり、その結果でクラスを落とされたり、席順が決められたりする。それは教育ではなく訓練だ。中学生が通う塾では、○○先生の数学のテストや△△先生の社会のテスト用紙がストックされていて、その先生の出題傾向に応じたプリントで授業が進められる。
実際「先生、今度の英語のテストはどの先生が作るんですか?」などと臆面もなく聞いてくる生徒もいる。「塾の先生が聞いていらっしゃい、って」

そのような技術屋の進学塾は必要ない。それは世界と対等に渡り合える人間を作り出すシステムとは思えないからだ。
逆に、より深く学ぶための、私塾であれば、学校で物足りない生徒のためには必要であり、有意義なものであると思う。

学校教育の水準アップは「落ちこぼれ」を増やし、自己否定に苦しむ生徒を増やすだけであろう。
小人数学習については既に取り入れている学校も多い。だが習熟度別になると、地域の大人の感情も入ってきて、公立学校では難しい面があるのだ。
ことは子どもたちだけでなく、親の感情をも激しく揺さぶるからである。
Posted by ゆーか at 2006年12月29日 05:23
>ゆーかさん
コメント重複の件は処理しておきました。

>>しかし、世の中には学力が(例えどれだけ努力をしようとも)どうしても平均に追いつかない生徒がいること、そしてそれが彼らの価値や評価につながらないこと、その事実を正面から突きつけられたと思う。
これはおそらく学校関係者や保護者の大部分は以前からいやというほど判っていることなのに、なぜか表立っては言えないことだと思ってるんですよね。表立って言えないから、お受験だの、塾だのという、代替手段で主張しているのではないかと感じます。
そういう意味で、進学塾は現状では必要悪だと思っています。公立では得られないレベルの学習を勝ち取るために私学へゆく、そのためにそれをしなければならないというか。
方向性としては歪んでいるし、なくてすめばそれに越したことはないのですが。

習熟度別コースが現状の公立では困難なことも承知のうえでこの記事を書いています。
「できるはずもするはずもないだろうが」と最後に述べているのは、そのあたりを想定しています。
ただ、基礎能力のある子でも塾へ行かなければ能力相応の教育が受けられない、という現状は、結局経済力の差が将来の能力差や待遇差に反映される、という事実となっており、経済力と関係なく受けられる公的教育をもっと充実させるべきだ、という意見も見かけますし、それも説得力はあります。それぞれの考え方次第で、難しいところです。
個人的には、資本主義社会だから、経済力のある子がよりよい教育を受けられる、というのは決しておかしいことではないとは思っていますけれどね。
Posted by あずみ at 2006年12月29日 10:17
>あずみさん

>>ただ、基礎能力のある子でも塾へ行かなければ能力相応の教育が受けられない、という現状は、結局経済力の差が将来の能力差や待遇差に反映される、という事実となっており、経済力と関係なく受けられる公的教育をもっと充実させるべき

本当に1を聞いて10を知るタイプの子どもは、公立学校で教師がちょこっと紹介した本や新聞記事や問題などで知的好奇心を満たそうとするし、現状で言って塾に行かなくとも公立学校の最難関校に合格できます。
そこまでではないけれど…という子も好奇心があれば、本や新聞、テレビのニュースでがある環境にいれば、かなり好奇心は満たされると思います。
そこから例え最難関校へは進めなくとも、高校に入ってたぶん能力は開花できるでしょう。そして進みたい大学へ進めるものと思います。

経済力の差が能力差に全く関係ないとは言えませんが、それが決定的なものとは思えないです。
能力の低い子にとっては結構反映されるという皮肉な結果になっていると思うのですが…。
Posted by ゆーか at 2006年12月29日 11:01
>ゆーかさん
>>経済力の差が能力差に全く関係ないとは言えませんが、それが決定的なものとは思えないです。
>>能力の低い子にとっては結構反映されるという皮肉な結果になっていると思うのですが…。

私もそう思います。塾だけに限らず、私立高校やいわゆる底辺校への進学や卒業にも影響が大きいですね。底辺校では経済的理由による退学がけっこう多いという話も耳にしたことがあります。
Posted by あずみ at 2006年12月29日 12:00
随分遅いコメントで済みません。
私は、野依氏の「塾禁止発言」少しばかり納得する部分があります。

現在の公立中学校の現場を覗いてみると、数年前と明らかに変わってきた事を実感します。

まず、塾に行っている子は、夜遅くまで塾通いで外に出ているため、翌朝はボーッしたままで、授業を受ける体勢にはなっていません。なので、半分寝たままの子や、授業を受ける態度とは思えない姿であったりします。加えて、そんな子ども達に限って、塾でもう習ったとばかりに、先生の話を聴かない子、授業中に騒ぐ子などが沢山居ます。そのため塾に通わずに頑張っている子どもたちは、先生の話が聞こえずに大変困っています。

実際にクラスの8〜9割は塾通いですが、近頃は学力の低下が著しい。反対に塾に通わない子の方が成績が良かったりするのです。それは、授業に集中してちゃんと先生の話を聞くしかないからです。

塾に通わせていれば安心と考えている親御さんのなんと多いことか・・・
夜遅くの外出は、子ども達にとって、百害あって一利なしと思えてなりません。

まあこんな現状もあるということで・・・
Posted by ハル at 2007年01月22日 23:06
>ハルさん
コメントをありがとうごさいます。
塾通いに関連する問題については、報道などで聞いている範囲でしか知りませんが、健康上の問題等あることは耳にしていますし、それは現実にある大きな問題だとは思います。
現状がよいとは思いませんが、問題は、単純に塾を禁止することでそれが解決するかどうかなのではないでしょうか。
野依さんの言う単純な塾禁止では、解決どころか、却って悪いほうへ向かうだけなのではないかと思います。
ようするに、高校(卒業)までで要求されるレベルと、大学(入試)以降で要求されるレベルの間にあまりに差がありすぎるのです。
現状では、どんなに賢い子でも、公立高校の授業だけで一流レベルの大学には受かりません。(通信教育や家庭教師、あるいは独学で問題集を解くことで可能にはなりえます。)大学合格は最終目標では絶対にありえませんが、充実した大学教育を受けることを望めば、普通の教育だけではそのスタートラインに立つことすらできない、というのは、現状として認めねばなりません。
その現状が変化しないことには、塾禁止など意味がないばかりか逆に子どもたちの能力を伸ばす機会を奪う悪策にしかなりえないと思います。

>>実際にクラスの8〜9割は塾通いですが、近頃は学力の低下が著しい。反対に塾に通わない子の方が成績が良かったりするのです。それは、授業に集中してちゃんと先生の話を聞くしかないからです。
これは、成績がよくない子は少しでも成績をあげたいために塾へ通う一方、成績のもともといい子は塾へ通う必要がない、という図式の可能性もありますね。
鶏が先か卵が先か、という気がします。

いずれにしろ、教育に関しては、子どもたちだけの問題ではなく、日本という国の将来を含めた包括的な問題として、直接学校教育と関係しない層にも考えてほしいものだなあと思います。
おそらく、既に子育てを終わってしまった層や、子をもたない層にとっては、あまり興味をそそられない話題なんでしょうけれど、教育とはお金のかかるものなので、そういう方の税金も大切な財源ですから……。
Posted by あずみ at 2007年01月23日 09:04
塾は高いレベルの学習を勝ち取るために行くというよりは、受験のコツや情報を得る為に行く場合が多いですし、塾もそれを売りとして経営しているところが大半を占めています。

塾で受け身の勉強をしている子ども達は、自分から学び取ってゆく力が欠けているような気がします。これは、健康上の問題だけでなく、人としての精神的の根本の問題だと思います。

元々日本は教育費が高すぎる。私学が多い上に国公立も授業料が高いです。

本当に政府が日本の子どもたちの将来や教育に危機感をもっているのならば、大切な税金をそちらに使って欲しいものです。

小・中・高の子どもを持つ親の切実な望みです。

まあ、レベルの高い学校へ行ったからとって、社会に通用するとは限らないですしね(苦笑)
Posted by ハル at 2007年01月23日 19:33
>ハルさん
私自身の経験からいくと、やはり自分の夢や目標を達成するために、進学塾が有用である子が多数いることは否定できないです。塾自体で高いレベルの学習を得るのではなく、大学で高いレベルの学問を得たり研究に携わったりするために、あるいは最終的な目標を達成するために(例えば、官僚になりたい、医師になりたいなど)進学塾を利用するという図式です。
そうでない場合の子にとっては、進学塾はあまり意義がないかもしれません。
そうすると、

>>塾で受け身の勉強をしている子ども達は、自分から学び取ってゆく力が欠けているような気がします。これは、健康上の問題だけでなく、人としての精神的の根本の問題だと思います。

こういうことがでてくるのではないかと思います。
塾が生徒をそのようにさせているのではなく、そういう受け身な考えの生徒は有効に塾を利用できない、ということなのではないでしょうか。
少なくとも一方的に塾が悪いということではないでしょう。

話は全然違うのですが、最近の塾はなぜあんなに夜遅くまで授業をしているのでしょうか。昔は夕方か、遅くとも8時くらいには授業が終わったものでしたが、ずいぶん夜遅くまで近所の塾の電気がついていて人影が見えるのを見ると、不思議です。始まりが遅くなっているのでしょうかね。
Posted by あずみ at 2007年01月23日 22:37
あずみさん、もちろん私は塾を全否定しているわけではないです。ただ、塾に頼りすぎている親や一部の学校側の態度が、今の現状に拍車を掛けているということですね。それで野依氏の発言も一理あるということを言いたかったのでした。

もっと高い知識を身につけたいと願う子ども達にとっては、塾のような場も必要でしょう。が、現在の日本の子どもの多くが、私が上でコメントしたような状態で塾に通っている現実だったりします。

実際に予備校が少ない地方の方が全体の学力レベルが高い、というのがそれをあらわしていると思います。(そのために未履修になったりするわけですが・・・)

結局塾が遅くまで経営しなくてはならないのは、ゆとり教育のツケもあるのではないでしょうか?
土曜日が削られ、総合学習の時間など、学習に回される時間が削減したお陰で、こどもの平日の授業終了が遅くなりました。中学生はどれだけ部活動を真面目に続けたかなどが重視される受験体制なので、部活動に入る生徒(あまり気が乗らなくても)も増やされ、当然塾開始時間も遅くなります。

10時過ぎに家に帰って、やっと夕食、お風呂に入ったり携帯やPCでメールしたりすれば睡眠時間など無くなっても不思議ではありません。あまりにも不健康な生活を現代の子ども達は送っているのだと思います。
Posted by ハル at 2007年01月24日 13:06
>ハルさん
おそらく、現在の塾を含めた教育現場の状況に問題がある、という考えは、ハルさんと私とでは共通していると思います。
ただ、私は、塾というものは義務で行く場所ではないのだから、多数の生徒が通うということは通わねばならない理由がある、ということだと思います。
そして、塾に通わねばならない状況を作り出しているのは、他ならぬ中学・高校・大学です。
野依氏は大学教育に携わっていた人です。そういう人が、自分たち(大学)が入試という形で与えている悪影響を棚に上げて塾を一方的に悪者扱いしていることに納得がいきませんでした。
たとえ一理あるとしても、それは大学教育に直接携わる者(しかも決して下っ端ではなく管理職レベルの者)が言ってはいけません。言うならば同時に自分たちのあり方も反省し、自分なりの改善案を出して言うべきではないでしょうか。
この記事は、そのように考えて書いたものです。

塾の時間が遅い件については、ご教示ありがとうございました。どうも最近は子どもが多くのものを要求されすぎているようですね。平日の終了が遅くなったのはあっても、土曜も塾に通ったりしているのでしょうし。
Posted by あずみ at 2007年01月24日 19:11
長いコメントで恐縮します。

>塾に通わねばならない状況を作り出しているのは、他ならぬ中学・高校・大学です。野依氏は大学教育に携わっていた人です。そういう人が、自分たち(大学)が入試という形で与えている悪影響を棚に上げて塾を一方的に悪者扱いしていることに納得がいきませんでした。

この部分が、多分私とあずみさんの決定的な考えの相違なのだと思います。

私はむしろ、国(政府)の教育方針のぐらつきのツケが、小・中・高の学校現場を混乱させているのだと思います。むしろ学校現場は被害にあっている立場ではないかと・・・

国が税金を使って教育費に当てるよりも、塾や予備校などの教育産業を盛り上げる方が、国の利益(税金)は潤うわけです。国としては一石二鳥。
子ども達も、「友達が通うから」「皆が行っているから」というノリで塾通いを始める訳です。

結局、塾が繁栄して”誰が一番、特するか”と言うことですね。実際に、塾の金取り主義には、おどろかされますから(笑)

今どきの中学生の塾費用は高くなる一方ですし、高校生の親は予備校や塾に年間100〜200万円はざらにつぎ込んでいます。

私が子供の時代は、塾に行く生徒がほとんどいませんでした。でも今よりも考える力や学力はすぐれていたような気がします。
野依氏が言わんとしたかったのは、このような背景があるからではないでしょうか?私は「良くぞ言ってくれた」と、氏に感謝しています。
Posted by ハル at 2007年01月25日 13:35
>ハルさん
お考え拝聴しました。
そのうえで、私自身は、野依氏の発言は無責任であり、大学入試の難易度や方法を変えない限り塾をなくしてもおそらく他の方法(塾が家庭教師的な形に変わったり、塾でなく大学入試情報提供を専門とした機関が成立したり)がとられるだけで、現状の生徒たちにとっては混乱するばかりでなんらメリットはないのだから、まず大学がなんとかせよ、という考えには変わりがないことをあらためて主張します。
学校現場も、国の方針ぶれに困っているのは重々承知です。そういった国の方策も含めて、学校と言っています。学校現場とシステムとしての学校は別物です。

また、ハルさんが繰り返しおっしゃっている、塾に通わない子のほうが通っている子より学力が高い、そしてそれは塾が悪いからだ、という件については、根拠が乏しく、納得しかねます。
ご自身の周囲での印象としてはあるのでしょうが、私の周囲ではそのような印象はありませんので。

>>私が子供の時代は、塾に行く生徒がほとんどいませんでした。でも今よりも考える力や学力はすぐれていたような気がします。
これも、塾とは関係ありません。学習指導要領や履修内容(分量も)自体が今とは全然違っています。学力が高くて当たり前なのです。そのぶん塾などなくても十分だったとは言えるでしょう。
しかし今は状況が違います。学校は「ゆとり教育」です。しかし大学の入試問題がそのぶん簡単になったという話は聞きません。ということは、高校の標準的学習内容と大学入試で要求される学力の間の乖離は大きくなっているはずです。
野依氏も、そこを履き違えていると思います。塾なしで、学校だけで十分な学習ができるシステムを考えるのが先です。
本記事で書いた、学校の習熟別コースはそれを可能とすることができるのでは、と思います。学校の進学塾化になるので、反論も多いとは思いますが。

ハルさんの主張したいことは分かる気はしますが、私が書きたかったのは「塾を禁止しちゃったら、学習機会を奪われて放り出された児童・生徒はじゃあどうしたらいいの?」ということでした。
ハルさんが、塾禁止さえすれば他には手をつけなくてもとりあえず状況が良くなるとお考えなら、それには同意できません。その理由はここまでの本文とコメントで既に書いてきました。

すでにハルさんのコメントも私のコメントも、同じ内容の繰り返しになっています。どちらかの意見が正しい、というものでもありません。これ以上ほとんど同内容のコメントを繰り返しても、お互いに得るものはないように思います。
単に野依氏への共感を語られるだけなのでしたら、これまでお書きになったコメントで十分伝わっているかと思います。しかし私は彼には共感を感じませんでした。それしか言えません。
Posted by あずみ at 2007年01月25日 14:40
あずみさん、お気を悪くされたのならお詫びいたします。

まあ、私も
>年寄りの戯言 に、少しだけ言いすぎなのでは?と疑問を抱いただけですので。

それぞれの意見の違いがあってあたりまえだと思います。
このブログではこのようなコメントが失礼にあたるのであれば、これからは気をつけます。それでは失礼致しました。
Posted by ハル at 2007年01月25日 22:55
>ハルさん
失礼というようなことは全く思っていません。そのようにお感じになられたなら、こちらこそ失礼いたしました。お詫び申し上げます。

ただ、今回のやりとりでは、あまりに双方とも堂々巡りで新しい見解や見地がないままに、長いコメントを千日手のように繰り返すことになってしまい、どこでまとめなり区切りなりをつけたらいいものか先が見えなくなってしまっていたのは事実だと思います。そういうわけで、ブログ主の責任として区切りをつけさせていただいた、と解釈いただければ幸いです。
話がさらに展開したり新たな話題が出てくるならば、コメントが長く続くことも歓迎いたします。

年寄りの戯言については……あれが戯言でなく、野依氏が本当に実現可能だと思っているなら、本気で「生徒をバカにするな、ふざけるな」と怒るところです。個人の発言なら構わないのですが、教育再生会議の議長という立場で、なおかつ議論の中での発言ですから。
とはいえ、言い過ぎと感じるかどうかも個人の感覚の違いですので、そのように感じる方もいらっしゃるでしょうね。
Posted by あずみ at 2007年01月25日 23:46
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