2000年01月01日

はてなダイアリーよりコメント転載

この記事は、私の別ブログ(はてなダイアリー)である「深く考えないで捨てるように書く」の中の一記事、「深く考えないで捨てるように書く - 産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられるの保守的じじいさんのコメントに答える」に寄せられた「横レス」さんという方のコメントとそれに対する私の返答コメントをまとめ転載したものです。
当該記事のコメントが長くなったうえ、元々の記事からかけ離れた内容となったことに加え、それにもかかわらず他者のブログのコメント欄をを自論を述べる場として故意に占拠して利用する意図が文中にみられたため、該当するコメントをこちらに移動しました。
コメント内容には全く手を加えずそのまま転載しています。
以後、上記の記事についたコメントは必要に応じて順次こちらに移動します。

なお、この記事自体はコメント欄をクローズしております。トラックバックのみ可能となっています。言及リンクのある場合のみ受け付ける設定ですので、トラックバックされる場合はこの記事のリンクを記事内に書いてトラックバックをお送りください。
また、私自身はこれ以上この"議論"に参加する意志はありません。興味がないからです。いわば「横レス」さんの代わりにまとめをアップしただけの形です。「横レス」さんと議論したい方のみ、トラックバックをお送りください。私あてに送っていただいても、返答しない場合があります。

以下、転載です。

横レスですが 『出産育児以上の社会貢献は、ほとんどあり得ませんよ。
だって、産んだ子供も社会貢献をするのなら、単純計算で二人ぶんの社会貢献が発生するじゃないですか。二人子供を育てたら、本人を入れて三人分。その子供がそれぞれ三人産んだら・・・と考えると、出産育児以上の貢献はほとんどあり得ない、と言えるでしょう。』(2007/02/16 23:28)

azumy 『>横レスですがさん
コメントありがとうございます。
本文で、社会貢献については、どちらが上と比べられるものではない、どれが一番貢献度が高いか、という比べ方はできない、ということを書きました。子どもが増えることと社会のための仕事や貢献は並立するものです。
一人一人の人間が全く同じ能力同じ仕事をするのであればおっしゃる通りかもしれませんが、そうではありません。

もう一つ、本文では書きませんでしたが、すべての人間が自らのできる最大限、社会に貢献すべき、という考え方でなければ、どちらが貢献度が高いか、という話は意味をもちません。どちらでも貢献していることには違いないからです。
そして、そういう社会のために最大限の努力を一様に求める考え方自体には問題があると、私は思います。(最大限でない努力はある程度求められてしかるべきだとも思いますが)

横レスですがさんがそうお考えだと思っているのではありませんが、話の流れ上、ここで書かせていただきました。』(2007/02/17 08:32)

横レスのつづき 『>一人一人の人間が全く同じ能力同じ仕事をするのであれば

もちろん個々人の貢献度は異なっていますが、全体として、あるいは平均として見た場合、子供を産んでいる人のほうが貢献度は高いと思います。
こと「社会貢献」という視点においては、仕事よりも出産育児の方が上、ということを言ったわけです。


>すべての人間が自らのできる最大限、社会に貢献すべき、という考え方でなければ、

それだとただの全体主義ですが、私は、主客を逆にした考えかたもあるように思います。
「すべての人間が最大限社会に貢献すべき」ではなく
「社会はすべての人間を最大限貢献させるようにすべき」というふうに。
そして「個人は社会から最大限利益を受けられるようにするべきだ」という個人の視点とワンセットにして、双方の妥協点・合意点を探るという考え方です。

その場合、とりあえず個人の視点を差し挟まず、社会にとって個人がどうあるのが良いかという視点によって、社会の損得を明確化する議論は必要だと思います。』(2007/02/17 17:49)

azumy 『>横レスさん
社会貢献の件については、社会貢献を定量化する方法がないので、全体とか平均とかと言いだすと、単なる印象のレベルでしかなくなってしまいます。
>>こと「社会貢献」という視点においては、仕事よりも出産育児の方が上、ということを言ったわけです。
これは横レスさんご自身はそう感じている、という以上の意味はありませんね。こちらが見解を新たにしたり、さらに論を述べるような内容がありません。
この発言が出てしまった時点で、論点がなくなってしまいました。それぞれに個人的な見解が違い、互いに相手を納得させる論拠は出せなかった、というところでまとめるしかないでしょう。
それぞれ違う見解を持ち続けることは別におかしなことでもなんでもありません。さまざまな見解や立場というものはあるものです。
そんなところでどうでしょうか。

後半の
>>そして「個人は社会から最大限利益を受けられるようにするべきだ」という個人の視点とワンセットにして、双方の妥協点・合意点を探るという考え方です。
については、なるほど、納得しました。行政はマクロに”社会”側の視点から対策を考えるべきです。いわば”社会”側の代表です。それと”個人”的な考えや事情とのバランスの支点をどのようにして現在より”社会”の側へ移動させて出生率を上げるか、そこが少子化問題の焦点になっているわけです。
差し詰め、私の立場は”個人”側の極のひとつといえるでしょう。
>>その場合、とりあえず個人の視点を差し挟まず、社会にとって個人がどうあるのが良いかという視点によって、社会の損得を明確化する議論は必要だと思います。
私も必要だと思います。でもわざわざ”個人”側の場でやるものではありませんね。例えていうなら、これは政府の内部機関でまず検討するものであって、いきなりオープンにやったら非難轟々になるんじゃないでしょうか。』(2007/02/17 23:09)

横レス 『論点が増えると議論が散漫になるので、とりあえず一番大切だと思える点についてコメントします。

何を持って貢献とするか、どのような尺度によってその貢献を量るかについての合意を得ずとも、「現状において、平均すれば個人は社会にプラスの影響を与えている」という仮定さえ受け入れることができれば、「社会貢献」という視点においては、仕事よりも出産育児のほうが上、という結論になります。
平均的な個人の貢献がプラスなら、人数が二人になれば倍の貢献があるわけですから。
もちろん、育児のためのコストなどの問題があるので、単純に人数が増えたぶんだけ平均を掛けるわけにはいきませんが。』(2007/02/18 22:17)

azumy 『>横レスさん
まとまったコメントをありがとうございます。わかりやすかったです。
私は、子の社会貢献を親世代にもプラスとすることに疑問があるので(それをすると2世代、3世代前、n世代前の貢献度は指数関数的にとんでもないことになる)、その計上方法自体に難点があるんじゃないかという気はしています。
とはいえ、これは定義の問題なので、やはりこれ以上議論するのは難しいと思います。定義が一定していない時点で。
面白い議論だなあとは思うのですが、今のところ考えるための礎と材料と時間が私の側に足りません。
申し訳ありませんが、ここではこのあたりでいったん考える時間をとるということで、お開きにさせてください。横レスさんがどこかで自論をまとめてアップしていただければ、また読みにいかせていただきたいと存じます。』(2007/02/19 09:06)

横レス 『ちょっとした勘違いだけ、訂正しておきます。
これは定義の問題より何より、まず「視点」の違いです。
ここで話したのは、発生した貢献は誰のおかげか?という個々人を評価するための議論ではありません。
社会の視点に立って、どのような方向に人々を誘導したらより多くの果実を手に入れられるか?という意思決定のための議論です。

人類の今までの社会貢献のうち、何割がアダムとイブの取り分か?という視点ではなく、ただ単純に、アダムとイブがいなければ現在までの発展はありえなかった、という視点での議論です。
アダムとイブが仮に人類の発展を最優先に考えた場合、とるべき最善の選択肢は「とりあえず子供をたくさん産むこと」です。

とりあえず持論をアップする予定はないので、ここに書いておきました。』(2007/02/20 10:01)


posted by あずみ at 00:00 | TrackBack(0) | よもやま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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