2007年05月02日

「こうのとりのゆりかご」への相談とは


痛いニュース(ノ∀`):「生まれたら預けたい」“赤ちゃんポスト”にさっそく相談相次ぐ

ニュース本文ではなく、2chまとめサイトの「痛いニュース」の記事のほうへリンクする。
赤ちゃんポストこと「こうのとりのゆりかご」が設置され、まもなく運用が開始される、というニュースと、それに対する反応。反応の大部分は、口は悪いがある意味まともだ。基本は「子どもを捨てるなんてひどい」という話だから。

それはそれとして、ニュースによれば、「こうのとりのゆりかご」設置の発表以来、約30件の相談があったという。
自分としては、多いような少ないような、という感覚である。30人が全員捨てられるならそりゃ予想外に多すぎる、と思うが、それ以前の相談という話なら、そんなものかな、という数字である。
中には直接訪れた人もいるという。ということは、匿名ではなく、少なくとも姿をさらして相談に来ているというわけだ。それだけ追い込まれているとも言えるのだろう。
逆に考えると、こういう人たちは、なぜこの病院に相談に来たのだろうか。なぜ地元の自治体の役所などに相談に行かないのだろう。あるいは、行ったけれどどうにもならなかったのか。
答えは、おそらくこうだ。相談に行っても門前払いなのだ。
子どもが産まれたあとなら、自治体(行政)ができる支援はある。経済的には生活保護や児童手当など。母親自身が育てられない状況であるならば、乳児院への保護など。しかし、これらは、実際に子どもがいて、その子どもが育てられない状況にあるかどうかを判断しなければ利用できない。行政の答えは「産まれてから相談に来てください」ということになる。
しかし、一方では、当然のことながら「産みさえすれば私たちが精一杯支援しますから」などとは行政は言ってはくれない。産んでみました、それで相談に言ってみれば「いや、まだなんとかなるでしょう」「この条件では支援はまだできません」という答えが返ってくる……と、そう母親側が思っていてもおかしくはないのだ。

「こうのとりのゆりかご」は、そういうさまざまな個人的・社会的支援の狭間に落ち込んでしまってどうにもならない人を想定して作られた駆け込み寺(キリスト教だが)だ。
そのぶん、その駆け込み寺に駆け込んでくる前に、駆け込まなくてすむように話を聞いたり、アドバイスをしたりするのも、自然と期待されるということなのだろう。
そのことはおそらくこの病院関係者は承知していて、30件の相談に対しても、どんな手だてがあるか、何が可能か、ひとつひとつ答えていったのではないだろうか。そういう態度でなければ、障壁を越えて「こうのとりのゆりかご」をつくろう、という考えにはならないだろう。

妊娠していて、時期的に産む以外の道はないけれど、状況的に追い込まれて産んだが最後、母子とも路頭に迷うしかない、という場合、誰に何ができるのか。妊婦である本人、行政機関、医療機関、宗教団体を含む法人や個人による福祉施設、その他。
「こうのとりのゆりかご」は、そういった隙間を埋める一つの存在になるだろうし、そのぶん、約30人の相談者のように、そこを頼ってゆく人もいるだろう。そのとき、彼女らに対して、子を捨てる以外のどんな道を示すことができるのか。
「とにかく捨てるな。一人で頑張りなさい」などというのは意味がない。「こうすれば捨てなくてもすむんだよ」「一人で頑張るのは難しいが、こんな助けがあるよ」という情報をまず伝えなければ。
その情報、その助けがどこへ行けば手に入るのかわからない、という人は意外とたくさんいる。もしかしたら、子どもを一人残してスノーボードへ行き、子どもを火事で失ってしまったあのシングルマザーもそうだったのかもしれない。
ここに相談してきた30人の中には、そういう人、どこで誰に聞けばいいのか分からなかった人もいるように思うのだ。

最後になるが、今回相談してきた約30人は、決して捨てる気満々なわけじゃないと思う。相談するからには、迷いがあるということだ。
リンク先記事内で言われているような捨てる気満々なのは、もしいるとすれば、ここで相談していない人々だ。下手に相談して説教されるのは嫌だし、黙って捨てたほうがバレなくていいじゃん?なんて発想だろうと思う。あくまで、もしいれば、の話だが。
だいたい、最初から捨てる気満々だったら、とっくの昔に中絶してるんじゃないのかな、日本なら。
posted by あずみ at 10:46| Comment(6) | TrackBack(0) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お邪魔します。
 自分は最初『デスノート』みたいなもので
はないかと思っていました。「認知、判断、
行動の中の行動の部分だけを突出させて
問題が解決するのか」と。しかし記事を読
ませていただいて、「ここまでのセーフティ
ネットを用意して初めて母親達が苦しい胸
の内を語れるようになったのかな」と思うよ
うになりました。そうすれば「認知、判断、
行動」のサイクルがうまく機能して結果的
に「捨てられる子供を無くす」事に繋がる
かもしれません。ただ悪意を持った人もい
ますので、「男を捉まえておくために産ん
だけど、結局男は逃げちゃったから子供は
いらない」という女性や、産んだ女性ばか
りでなく「俺は堕ろせと言ったのにあいつ
は産みやがった」という男性や、「息子を
あの女から引き離したい」という家族とか
が"悪用"するかも知れませんし、そういう
事例が出れば世間の目は一変するで
しょう。それが心配です。
Posted by ブロガー(志望) at 2007年05月03日 22:03
>ブロガー(志望)さん
コメントをありがとうございます。
いくら捨て子はいけない、と倫理をふりかざしても、する人はするんですよね。殺人は重罪であると言っても殺人が0件にはならないように。
正論は正論で大切で、それを変えるべきではないけれど、一方では緩衝的な存在もあっていいのではないかと。ブロガー(志望)さんのおっしゃるセーフティネットという表現は言い得て妙ですね。

後半の「悪意をもって利用する人々」に関しては、この例で出ている男性や家族の行動は未成年者略取に該当する犯罪だと思いますが……。病院側では、あとから捨てた親が名乗り出てきた場合を想定して、子どもを返せるような記録などは必ず残しておくはずですから、警察が入る事態になれば犯罪として立件は十分に可能であると思います。こういうケースは「こうのとりのゆりかご」の存在の有無に関わらず、許されるべきではありません。
例に出ている女性のケースは、心理的な事情は他者から判断することはできませんし、逆に心情によって捨てる行為を肯定することもできません。どちみち、捨てた親が「実はこういう理由で捨てました」とどこかで言う可能性はほぼゼロに等しいですしね。
Posted by あずみ at 2007年05月05日 13:58
初めまして。
あずみさんのご意見に賛成です。
ないで済むならない方が良いでしょう。でも、こういった施設が必要なのも確かだと思うし、何故必要になるのかを考えなければならないと思います。
お前、親だろ。そう言って責める人はいても、手助けをしてくれる人はいない。助けてくれる環境があれば、子供を捨てなくても済むかも知れないのに。

相談してきた30人が、なんとか自分で子供を育てられる道を見出せると良いですね。
どんな人でも、自分の子供くらい、自分でちゃんと育てたいって、本当は思っていると思います。


「っていうか、まず、生めないなら作るなよ」って言う人にはどうしましょう・・・
よほど節度を守っている自信がある人なんでしょうけれど。
Posted by chocoholic at 2007年05月08日 20:29
>chocoholicさん
はじめまして。コメントをありがとうございます。
現実に、「こうのとりのゆりかご」の報道がされている間にも、複数の捨て子事件や遺棄された嬰児・乳児の遺体が発見され、報道されているんですよね。
そういうのを見ていると、「こうのとりのゆりかご」を否定する気持ちにはどうしてもなれないです。

>>「っていうか、まず、生めないなら作るなよ」って言う人にはどうしましょう・・・
これはこれで正論ですし本道ではあるんですよね。私も、産める状態でないならまず避妊すべきだし、、と思っています。
ただ、産んで育てられるはずだったから妊娠したのに状況が変わってしまった、という場合もありますし、避妊も100%成功するとは限りませんしね。
一旦妊娠してしまったあとで「作るなよ」と言われても時間をもどすことができるわけではないのだから、正論を言っているだけでは意義はなく、なんの有効な解決策にもならないと思います。
そういう意味でも「こうのとりのゆりかご」設置を多数の反論にも曲げず、あえて行う病院側の問題意識と判断に敬意を覚えます。
Posted by あずみ at 2007年05月08日 22:06
そうですね、正論は正論でもっともで、無視は出来ないけれど、解決策にはならないですよね。
政府も、子供を捨てるなんてあってはいけないことだ、なんて正論言うだけで無視してる場合じゃないですよね。それならゆりかごが要らなくなるくらいのサポート体制を整えて欲しい。
養護施設は、人手と資金の不足で悲鳴を上げているし。
一人親家庭に支払われる児童扶養手当が、08年には最大半額まで減額するそうです。
児童相談所は、9時5時で土日祝日は休みだし。


ゆりかごと道徳教育は相容れないもので、同時進行は出来ない。ゆりかごは道徳教育の妨げになるし、崩れかけている日本の道徳を崩壊させてしまう危険性がある
こういう反対意見も読みました。
私は、『道徳』という観念自体があまり信用出来ないのですが、
両立していけることを願います。
少なくとも、赤ちゃんが犠牲になる必要は感じません。
Posted by chocoholic at 2007年05月09日 11:22
>chocoholicさん
同感です。昔は昔で、捨て子や口減らし、子どもの人身売買などがあって、それに比べれば現代はそれなりに良い環境にはなってきてはいるんだろうけれど、それでもどうにもならないこともありますよね。
「こうのとりのゆりかご」を通じて、結果的に親元にいるか離れるかを問わず、救われる赤ちゃんがいることを願わずにはいられません。
Posted by あずみ at 2007年05月09日 17:47
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