2007年10月19日

子どもにまつわる最近の事件、3題

最近報道された子どもの事件、3題。
リンクはいずれも毎日.jpより。

▼12歳の女児がブログで知り合った男に誘拐された事件
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071014ddm041040107000c.html
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20071016ddp041040022000c.html(続報)
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20071016ddg041040012000c.html(続報)
当初は早熟なはすっぱ娘の「私だってもう大人なのよ」アピールか? と思うような話だったが、続報を読んで認識が変わった。
以下、上記リンク先記事の2つめより引用。
坂本容疑者は調べに対しても「誘う前から12歳と知っていた」と供述。マンションで母親と今年7月まで同居していたが、けんかが原因で母親が部屋を出て近くの自宅に戻ったころから、ブログ上で女児とのやり取りが始まったという。

この記事から読み取れるのは、8月以降、少女はマンションで独り暮らししていたことである。しかも、そのマンションは自宅とは別にあるもので、7月までは母と娘2人だけで暮らしていた。父親や他の兄弟の存在は明らかでないが、自宅のほうにいる可能性もある。自宅に戻った母は、少女を放りっぱなしにしていたわけではなく、おそらく毎日家事や世話で通っていたのだろう。書き置きを即日発見して捜索願を出していることからそれがうかがえる。
そういった状況から私が想像したのは、家庭不和などではなく、なにかの事情で娘だけはマンションにいるべき状況(と親は判断していた)だったのではないだろうか、ということだ。例えば、私学への通学や学区外通学などの事情があり、自宅にいては都合が悪かったとか。けんかの末、母は娘を見捨てたのではなく、頭を冷やさせるために自宅へ戻ったのかもしれない。あるいは、もう娘は一人にしても大丈夫、という信頼をおいていたのか。自前のノートパソコンを持ち、そこからネットへ繋ぐ環境ももっていて、自分でブログを開設して文章を書くことのできる少女の像からは、才気煥発で年齢よりは大人びた感じの子ではなかったか、という推測ができる。
しかし、実際はそうではなかった。というか、普通の小学6年生の少女の面も存分にもっていた。小学6年の女の子が、マンションで独り暮らしする。食事などの面倒はみてもらっていても、夜寝る時は一人。不安だったり、淋しかったりして当たり前だ。大人ならば、淋しさと解放感の双方のバランスをとって暮らすことができるけれど。
逆に、この状況で家出へのモチベーションが高いとは、あまり思えない。今でも親との接触は少ないのに。
で、その淋しさにつけこんだのが、件の20歳男性だった。少女にしてみれば、
女児は、昨年4月に開設した少女漫画のブログに「周囲の人が自分を分かってくれない」などの悩みをつづっていた。
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20071016ddp041040022000c.htmlより)

こういう悩みをもっていたところへ、なんでも「うんうん、わかるよ」と言ってくれる人の登場。男にしてみれば、そのように言うのも心に入り込むための策略のうちだったわけだが、まだ子どもである少女にとってはそんなことは分からないし、判断するだけの冷静さもなかった。
この事件については、全体に、この少女に対して周囲がみな、実際の本人以上に大人扱いしている感がある。娘をマンションに一人でおいた母親しかり。12歳の女の子に惚れてしまい、「家に帰りたくない」と言うのに対して説教も説得もできない20歳の男しかり。たぶん、実際に言うことも見かけも大人びた子なのではないか、という気がする。
しかし、そこで大人はやっぱり冷静にならなくちゃいけないと思うのだ。どんなに大人びて見えても、12歳の小学生では大人と同等の判断はできない。それができる経験も思考能力も当然に足りない。
彼女は、たぶん、この男に誘われなければ、家出はしなかったんじゃないだろうか、と思う。生活や家族に不満な部分もあったし、居住環境が特殊だったことも事実あるようだが、全て投げ出して逃げたくなるような状況ではなかった。彼女が家出を決行したのは、この男という庇護者が出現したからだ。受け皿ができたからだ。家出して、空腹を抱えて街を彷徨う気など全然なかった、しかし誰かが守ってくれるなら、よりよい環境に行きたい。淋しくない、自分の言うことを逐一うんうんと聞いてくれる人のところへ。彼女はたぶんある意味賢い、だから行き先がなければ家など出なかった。
そういう意味では、やはりこの事件でもっとも悪いのは、この20歳男性なんだろう、と私は思う。

▼7歳女児、自宅前で刺殺
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071017k0000m040111000c.html
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071017k0000m040128000c.html
きつい事件。
続報などを見ても、本当に一瞬のうちに一撃で致命傷を負わされた様子。最初は薬物中毒者かなにかか? とも思ったが、ここまで冷静に身を隠し、一瞬の隙を見極めることができるのは、そんな状態の者ではないだろう。
この手の悪意は、避けようとして避けられるものではないと思う。家の前であろうと、家の中であろうと、この手の悪意をもつ者に獲物と狙われたら、もうどうしようもない。
そう考えるしかないような事件だ。
生きて存在しているだけでとてつもなく怖くなる、そんな感じ。

▼小3男児、エスカレーターで首を挟まれ重体
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071017k0000m040092000c.html
エスカレーター設置者にも問題は若干あったようだが(危険防止用のアクリル板が規定より短かったと)、それが主要な原因かというと、そうとも言えない。短いアクリル板の両側についている円筒部分は十分な長さがあったということなので、危険防止については考えられていて、だが現実に事故が起きてみたらそれが不十分だった(円筒部分を越えて挟まる、という思わぬ結果になった)、ということだろう。最初から危険防止を全くしていないのとは若干異なる。
このくらいの年齢の子どもだと、普段はエスカレーターの脇に首を出したら挟まれてあぶない、と分かっていても、咄嗟のときにはつい思わず顔を出してしまうことはありえる。特に今回は、お金を落としたという、子どもにとっては重大な過失があったわけだ。50円の価値は、大人と小学生では格段に違う。
加えて、今回のエスカレーターは、よくある階段状のものではなく、オートスロープという傾斜のなだらかなものだった。この形状が事故の誘因になったような気はする。オートスロープに乗ったことが何度かあるが、段差がなく傾斜がゆるいため、危険性の感じ方は通常型のエスカレーターと比べかなり低い。親の立場としても、エスカレーターならばかなり注意して子どもを見ているが、オートスロープだと段差がないこともあり、ちょっと気を許してしまいやすい感じはある。
で、子どもとしても、その気安さがあり、通常のエスカレーターでは首を出したりしないところを、オートスロープなので首が挟まるという感覚が無意識のうちに薄くなっていて(ちょっと覗いてすぐ引っ込めれば大丈夫、というような)、つい覗き込んでしまった、ということがあったのではないか、と思う。しかし、意外とオートスロープの速度は速いのだ。動く歩道もそうだが、その上を歩いて進むと、終点で体に強い慣性を感じてどきっとする。人間の感覚はけっこうあてにならない。
設置者側の管理や注意は当然として、保護者の側も、オートスロープ(あるいは動く歩道)だからといって気を抜いてはけいないし、むしろ、エスカレーター以上に甘く見ないでよく注意するよう、子どもにもしっかり注意しておかないといけない。自分としてはそういう教訓を得た。
posted by あずみ at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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