2009年09月18日

更新を停止しています

こちらのブログは事情により更新を停止しています。
また、スパムコメントが増えたため、コメントの受付も停止しました。
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2007年01月25日

何歳から一人で外に出すべきなのだろうか

自分の子らもだんだん大きくなってきて、いつごろから一人で外に出そうか、と考えている。
下の娘は3歳だからまだまだだが、上の娘は年中、次の春には年長になる。既にぼちぼちと単独で家の外に出かけるようにはなっていて、歩いて2〜3分のスーパーまで一人で「はじめてのおつかい」に行って成功したこともある。
身体を動かす遊びが好きな子だから、もっと公園などに連れていってやりたいのはやまやまだが、通園バスの時間の関係で、幼稚園から帰ってくるのは小学生と同じくらいの時間。既に夕方になりかかる頃で、親が一緒に公園に行ってやるにはちょっと遅い。
一人で近場の公園まで行けるようになればいつでも遊びに行けるのだが、それは何歳ごろなのか。そこの見極めに迷っている。

自分の子どもの頃、今から30年ほど前のことを思い出してみたが、参考になりそうにない。
まず、当時の住まいは家の規模にしてはけっこう広い庭のある一戸建てだったので、公園まで行かなくても、家の庭で遊んでいて十分に満足に遊べた。庭に小さな砂場もあった。
もう少し大きくなって、一人遊びがつまらなくなると、近所の子と一緒に、家の前の路地で遊んでいた。住宅地内の未舗装の路地なので、よっぽど車は通らなかった。やがて道は鋪装されたが、やはりあまり車は通らず、近くにオープンな空き地もあったので、遊ぶには困らなかった。よくゴム飛びやかくれんぼなどをやっていた記憶がある。

ちなみに、私の実家と現在の住まいの環境は、ある意味よく似ている。30年前には一面田んぼや畑ばかりの中にやっと拓けた新興住宅地のはしりだったが、15〜20年ほど前から急速に田畑が消えはじめ、最近は次々にマンションや分譲一戸建てが立ち並ぶようになってきた地域だ。

今はどうか。
まず、一戸建て自体があまりない。現在の住まいもマンションだ。なんとか一戸建てに住めたとしても、庭は申し訳程度にあるくらい。子どもの遊べるスペースはない。
そして、当時とは圧倒的に車の通行量が違う。家と家の間の狭い路地でも、抜け道として結構なスピードで車が走り抜けてゆく。とても路地では遊べない。路地が狭くて歩道もないぶん、子どもを一人で歩かせるのでもびくびくものである。
この時点で、自分の子どもの時とは明らかに状況が違う。外で遊ぼうと思うと、まず公園まで行かねばならない。公園まで一人で行かせるなら、それなりの覚悟が必要である。途中の路地で交通事故に遭う可能性、不審者に出会う可能性。公園に不審者が来る可能性もある。
昔のように、家にいても子どもの声が聞こえるような、もし何かあったらすぐに家まで誰か友達が声をかけにきてくれるような、そんな環境で外遊びさせるというのは、環境にもよるが、事実上無理なのだ。

昔は良かった、と言うだけならば誰にでもできる。
昔はこういうことができたのに、今できないのは○○が悪いんだ、と文句を言うことも誰にでもできる。
しかし、世の中は常に変化している。
昔のことを持ち出して、昔はこうだった、昔は良かった、だから昔のようにしよう、と言っても、そんなことはできっこない。現状があるのは、それなりに理由がある。一つの原因だけで現状があるのではない。
例えば、今回の外遊びの話ならば、車を減らせばいい、住宅地は歩行者専用にすればいい、なんて簡単な話ではないことは明らかだろう。住宅地に住んでいる人の車はそこを通らないわけにはいかないのだから。

今の子どもたちは室内で遊ぶことが多く外遊びが少なくなった、ということもしばしば言われるが、上記のような状況があるのだから、それも当然だ。
たまに夕刻に公園へ行くと、小学生くらいの集団が自転車で遊びにきていることがある。その多くが男子である。女子はほとんど見かけない。就学前の小さな子では男児も女児も同じくらい見かけるのに、小学生となると、見かける女子の数が明らかに減る。
私の近くの公園がたまたまなのかもしれない。が。

窮屈で暮らしにくい世の中だって、今自分がそこで生きているのなら、そこでできることをやっていくしかない。
昔はこうだった、昔はよかった、なんてことは、参考にはなっても解決には決してならない。
何もかもが違いすぎる。


タグ:育児
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2006年10月07日

また引っ越してここに来ました

この記事をもちまして、このブログに引っ越して参りました。

以前「ふたつとない日常 〜Azumy's Standard Daytime」というブログを書いていて、事情によりそこを閉めてしばらく休み、8月からふたたびはてなダイアリーにて「ふたつとない日常::Diary」というブログを書かせていただいておりました。
そのあたりの経緯はこちらの記事に書いてある通りです。
しかし、しばらくはてなダイアリーで記事を書いていたところ、とある事情ができ、はてなダイアリーで続けることができなくなりました。
このため、本日より、こちらに再度引っ越して再出発させていただくこととしました。

とある事情といっても、大したことではなく、はてなダイアリーではJavaScriptが使えない、という、ただそれだけのことです。
これまでは特に食指を動かされるブログツールもなく、自分にはJavaScriptは必要ないわ、と思っていたのですが、先日発表されたツールが自分にとっては非常に魅力的で、使わずにいられなかったというのが正直なところです。
それは、ここの右に張り付けてありますので、一目瞭然だとは思いますが。
そこで、はてなダイアリーの記事数がまだ少ないうちに、と、思い切って引っ越しとあいなりました。

たびたびのことで読んでくださっている方(そう数はいないと思いますが)にはご迷惑をおかけいたしますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

なお、この記事より前の日付の記事は、はてなダイアリーに掲載したものをそのままインポートしております。一部リンク切れなどがあるかもしれませんが、なにとぞご了承ください。そのうちぼちぼちと直していこうと思います。
posted by あずみ at 21:41| Comment(2) | TrackBack(0) | よもやま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月05日

漢字バトン

3x exceptional ver. 2のcalmbrookさんから「漢字バトン」をいただきました。
ちなみにcalmbrookさんは、私の古い友人ですが、友人と呼ばせていただくには恐れ多いくらいのものすごい方です。などと書くと、どこがどうものすごいか、と思われるでしょうが、この人に多少なりとも似ている人は生まれてこのかた他に見たことがない、唯一無二の存在、というくらいの方です。
褒め言葉になってますか? もちろん褒め言葉のつもりです。

☆ 前の人が回してくれた漢字に対して自分が持つイメージ


1. 松
  イメージといっても……まあ、植物の松ですね。松というと、ふすまに描いてあるようなモコモコした形の模様を思い出します。

2. 竹
  やはり植物の竹しか思い浮かばないです(笑) 竹といえば、エジソンの発明した電球のフィラメント。

3. 梅
  すっぱい。そのまんまだな。

☆ 次の人に回す漢字を3つ
ええーと、これについては後述するような事情で、割愛させていただきます。

☆ 大切にしたい言葉を3つ
・言葉
「言葉」という言葉という意味ですね。ものを考えるにも他人とコミュニケーションをとるにも、言葉は重要。言葉があるからこそ今の人間がある、ともいえます。
・平凡
若いときは平凡なんて忌むべきことだと思っていたけれど、やはり歳をとってみると、これこそが大切で愛すべきものだと感じます。
・満足
私は言霊信仰の人なので、この言葉を口にするだけで幸せになれます。大したことじゃなくても、「今日はやりたいと思っていたことができたから満足」「おいしいもの食べられたから満足!」なんて使い方。

☆ 漢字のことをどう思う?
So cool!
日本語は漢字とかなの両方があるからこそ、他に類を見ない面白い言語になってると思います。

☆ 好きな四字熟語を3つ
一石二鳥
一挙両得
画竜点睛(を欠く)

☆ 次に回す人は、次の3名の方
回したいのはやまやまなのですが、私の場合、バトンを回せるくらいの知人で、表でブログをある程度の頻度で書いている方がほとんどいなくて。みんなmixiに潜行しちゃってるんですよね。
せいぜい旦那くらいなのですが、旦那に回しても面白くもなんともないので、申し訳ありませんが、こちら方面は私のところで止めさせていただきます。
posted by あずみ at 11:50| Comment(4) | TrackBack(0) | よもやま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月27日

また公開の日記を始めることにしてみた

はじめまして。あずみと申します。

以前、「ふたつとない日常 〜Azumy's Standard Daytime」というブログをやっていました。子どもたちの育児日記を中心として、その他、昔の仕事がらみで医療関係の話や、ネット関係のこと、趣味のことなど、あまりまとまりのない内容でやっていました。
そちらは、子どもたちが大きくなってきて、幼稚園の話など個人特定が可能なネタを書くようになってきたことと、mixiを始めて、そちらで日記を書くようになったこと、有料サーバを利用していたことなどもあって、サーバの契約切れを機会にやめてしまいました。
その後mixiに引っ込んで身内向けに日記をやっていたのですが、今度はニュースに対する意見の表明などの時事ネタはちょっとやりにくくなった感がありました。馴れ合い空間はやはり馴れ合い空間のままが気持ちいい、といいますか。

そんなわけで、そういったネタ向けにまた公開の日記を書き始めることとしました。
再開のためにブログスペースもとってあったのですが、そういえばはてなのidとってたな、と思いだし、こちらでやってみることにしました。
どんな具合になるかはしばらく書いてみないとわかりませんが、どうぞよろしくお願いします。

【追記 2006.10.8】結局、はてなダイアリーから、事前にとってあったここseesaaに引っ越してまいりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
posted by あずみ at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | よもやま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2000年01月01日

はてなダイアリーよりコメント転載

この記事は、私の別ブログ(はてなダイアリー)である「深く考えないで捨てるように書く」の中の一記事、「深く考えないで捨てるように書く - 産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられるの保守的じじいさんのコメントに答える」に寄せられた「横レス」さんという方のコメントとそれに対する私の返答コメントをまとめ転載したものです。
当該記事のコメントが長くなったうえ、元々の記事からかけ離れた内容となったことに加え、それにもかかわらず他者のブログのコメント欄をを自論を述べる場として故意に占拠して利用する意図が文中にみられたため、該当するコメントをこちらに移動しました。
コメント内容には全く手を加えずそのまま転載しています。
以後、上記の記事についたコメントは必要に応じて順次こちらに移動します。

なお、この記事自体はコメント欄をクローズしております。トラックバックのみ可能となっています。言及リンクのある場合のみ受け付ける設定ですので、トラックバックされる場合はこの記事のリンクを記事内に書いてトラックバックをお送りください。
また、私自身はこれ以上この"議論"に参加する意志はありません。興味がないからです。いわば「横レス」さんの代わりにまとめをアップしただけの形です。「横レス」さんと議論したい方のみ、トラックバックをお送りください。私あてに送っていただいても、返答しない場合があります。

以下、転載です。

横レスですが 『出産育児以上の社会貢献は、ほとんどあり得ませんよ。
だって、産んだ子供も社会貢献をするのなら、単純計算で二人ぶんの社会貢献が発生するじゃないですか。二人子供を育てたら、本人を入れて三人分。その子供がそれぞれ三人産んだら・・・と考えると、出産育児以上の貢献はほとんどあり得ない、と言えるでしょう。』(2007/02/16 23:28)

azumy 『>横レスですがさん
コメントありがとうございます。
本文で、社会貢献については、どちらが上と比べられるものではない、どれが一番貢献度が高いか、という比べ方はできない、ということを書きました。子どもが増えることと社会のための仕事や貢献は並立するものです。
一人一人の人間が全く同じ能力同じ仕事をするのであればおっしゃる通りかもしれませんが、そうではありません。

もう一つ、本文では書きませんでしたが、すべての人間が自らのできる最大限、社会に貢献すべき、という考え方でなければ、どちらが貢献度が高いか、という話は意味をもちません。どちらでも貢献していることには違いないからです。
そして、そういう社会のために最大限の努力を一様に求める考え方自体には問題があると、私は思います。(最大限でない努力はある程度求められてしかるべきだとも思いますが)

横レスですがさんがそうお考えだと思っているのではありませんが、話の流れ上、ここで書かせていただきました。』(2007/02/17 08:32)

横レスのつづき 『>一人一人の人間が全く同じ能力同じ仕事をするのであれば

もちろん個々人の貢献度は異なっていますが、全体として、あるいは平均として見た場合、子供を産んでいる人のほうが貢献度は高いと思います。
こと「社会貢献」という視点においては、仕事よりも出産育児の方が上、ということを言ったわけです。


>すべての人間が自らのできる最大限、社会に貢献すべき、という考え方でなければ、

それだとただの全体主義ですが、私は、主客を逆にした考えかたもあるように思います。
「すべての人間が最大限社会に貢献すべき」ではなく
「社会はすべての人間を最大限貢献させるようにすべき」というふうに。
そして「個人は社会から最大限利益を受けられるようにするべきだ」という個人の視点とワンセットにして、双方の妥協点・合意点を探るという考え方です。

その場合、とりあえず個人の視点を差し挟まず、社会にとって個人がどうあるのが良いかという視点によって、社会の損得を明確化する議論は必要だと思います。』(2007/02/17 17:49)

azumy 『>横レスさん
社会貢献の件については、社会貢献を定量化する方法がないので、全体とか平均とかと言いだすと、単なる印象のレベルでしかなくなってしまいます。
>>こと「社会貢献」という視点においては、仕事よりも出産育児の方が上、ということを言ったわけです。
これは横レスさんご自身はそう感じている、という以上の意味はありませんね。こちらが見解を新たにしたり、さらに論を述べるような内容がありません。
この発言が出てしまった時点で、論点がなくなってしまいました。それぞれに個人的な見解が違い、互いに相手を納得させる論拠は出せなかった、というところでまとめるしかないでしょう。
それぞれ違う見解を持ち続けることは別におかしなことでもなんでもありません。さまざまな見解や立場というものはあるものです。
そんなところでどうでしょうか。

後半の
>>そして「個人は社会から最大限利益を受けられるようにするべきだ」という個人の視点とワンセットにして、双方の妥協点・合意点を探るという考え方です。
については、なるほど、納得しました。行政はマクロに”社会”側の視点から対策を考えるべきです。いわば”社会”側の代表です。それと”個人”的な考えや事情とのバランスの支点をどのようにして現在より”社会”の側へ移動させて出生率を上げるか、そこが少子化問題の焦点になっているわけです。
差し詰め、私の立場は”個人”側の極のひとつといえるでしょう。
>>その場合、とりあえず個人の視点を差し挟まず、社会にとって個人がどうあるのが良いかという視点によって、社会の損得を明確化する議論は必要だと思います。
私も必要だと思います。でもわざわざ”個人”側の場でやるものではありませんね。例えていうなら、これは政府の内部機関でまず検討するものであって、いきなりオープンにやったら非難轟々になるんじゃないでしょうか。』(2007/02/17 23:09)

横レス 『論点が増えると議論が散漫になるので、とりあえず一番大切だと思える点についてコメントします。

何を持って貢献とするか、どのような尺度によってその貢献を量るかについての合意を得ずとも、「現状において、平均すれば個人は社会にプラスの影響を与えている」という仮定さえ受け入れることができれば、「社会貢献」という視点においては、仕事よりも出産育児のほうが上、という結論になります。
平均的な個人の貢献がプラスなら、人数が二人になれば倍の貢献があるわけですから。
もちろん、育児のためのコストなどの問題があるので、単純に人数が増えたぶんだけ平均を掛けるわけにはいきませんが。』(2007/02/18 22:17)

azumy 『>横レスさん
まとまったコメントをありがとうございます。わかりやすかったです。
私は、子の社会貢献を親世代にもプラスとすることに疑問があるので(それをすると2世代、3世代前、n世代前の貢献度は指数関数的にとんでもないことになる)、その計上方法自体に難点があるんじゃないかという気はしています。
とはいえ、これは定義の問題なので、やはりこれ以上議論するのは難しいと思います。定義が一定していない時点で。
面白い議論だなあとは思うのですが、今のところ考えるための礎と材料と時間が私の側に足りません。
申し訳ありませんが、ここではこのあたりでいったん考える時間をとるということで、お開きにさせてください。横レスさんがどこかで自論をまとめてアップしていただければ、また読みにいかせていただきたいと存じます。』(2007/02/19 09:06)

横レス 『ちょっとした勘違いだけ、訂正しておきます。
これは定義の問題より何より、まず「視点」の違いです。
ここで話したのは、発生した貢献は誰のおかげか?という個々人を評価するための議論ではありません。
社会の視点に立って、どのような方向に人々を誘導したらより多くの果実を手に入れられるか?という意思決定のための議論です。

人類の今までの社会貢献のうち、何割がアダムとイブの取り分か?という視点ではなく、ただ単純に、アダムとイブがいなければ現在までの発展はありえなかった、という視点での議論です。
アダムとイブが仮に人類の発展を最優先に考えた場合、とるべき最善の選択肢は「とりあえず子供をたくさん産むこと」です。

とりあえず持論をアップする予定はないので、ここに書いておきました。』(2007/02/20 10:01)


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