2007年10月19日

子どもにまつわる最近の事件、3題

最近報道された子どもの事件、3題。
リンクはいずれも毎日.jpより。

▼12歳の女児がブログで知り合った男に誘拐された事件
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071014ddm041040107000c.html
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20071016ddp041040022000c.html(続報)
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20071016ddg041040012000c.html(続報)
当初は早熟なはすっぱ娘の「私だってもう大人なのよ」アピールか? と思うような話だったが、続報を読んで認識が変わった。
以下、上記リンク先記事の2つめより引用。
坂本容疑者は調べに対しても「誘う前から12歳と知っていた」と供述。マンションで母親と今年7月まで同居していたが、けんかが原因で母親が部屋を出て近くの自宅に戻ったころから、ブログ上で女児とのやり取りが始まったという。

この記事から読み取れるのは、8月以降、少女はマンションで独り暮らししていたことである。しかも、そのマンションは自宅とは別にあるもので、7月までは母と娘2人だけで暮らしていた。父親や他の兄弟の存在は明らかでないが、自宅のほうにいる可能性もある。自宅に戻った母は、少女を放りっぱなしにしていたわけではなく、おそらく毎日家事や世話で通っていたのだろう。書き置きを即日発見して捜索願を出していることからそれがうかがえる。
そういった状況から私が想像したのは、家庭不和などではなく、なにかの事情で娘だけはマンションにいるべき状況(と親は判断していた)だったのではないだろうか、ということだ。例えば、私学への通学や学区外通学などの事情があり、自宅にいては都合が悪かったとか。けんかの末、母は娘を見捨てたのではなく、頭を冷やさせるために自宅へ戻ったのかもしれない。あるいは、もう娘は一人にしても大丈夫、という信頼をおいていたのか。自前のノートパソコンを持ち、そこからネットへ繋ぐ環境ももっていて、自分でブログを開設して文章を書くことのできる少女の像からは、才気煥発で年齢よりは大人びた感じの子ではなかったか、という推測ができる。
しかし、実際はそうではなかった。というか、普通の小学6年生の少女の面も存分にもっていた。小学6年の女の子が、マンションで独り暮らしする。食事などの面倒はみてもらっていても、夜寝る時は一人。不安だったり、淋しかったりして当たり前だ。大人ならば、淋しさと解放感の双方のバランスをとって暮らすことができるけれど。
逆に、この状況で家出へのモチベーションが高いとは、あまり思えない。今でも親との接触は少ないのに。
で、その淋しさにつけこんだのが、件の20歳男性だった。少女にしてみれば、
女児は、昨年4月に開設した少女漫画のブログに「周囲の人が自分を分かってくれない」などの悩みをつづっていた。
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20071016ddp041040022000c.htmlより)

こういう悩みをもっていたところへ、なんでも「うんうん、わかるよ」と言ってくれる人の登場。男にしてみれば、そのように言うのも心に入り込むための策略のうちだったわけだが、まだ子どもである少女にとってはそんなことは分からないし、判断するだけの冷静さもなかった。
この事件については、全体に、この少女に対して周囲がみな、実際の本人以上に大人扱いしている感がある。娘をマンションに一人でおいた母親しかり。12歳の女の子に惚れてしまい、「家に帰りたくない」と言うのに対して説教も説得もできない20歳の男しかり。たぶん、実際に言うことも見かけも大人びた子なのではないか、という気がする。
しかし、そこで大人はやっぱり冷静にならなくちゃいけないと思うのだ。どんなに大人びて見えても、12歳の小学生では大人と同等の判断はできない。それができる経験も思考能力も当然に足りない。
彼女は、たぶん、この男に誘われなければ、家出はしなかったんじゃないだろうか、と思う。生活や家族に不満な部分もあったし、居住環境が特殊だったことも事実あるようだが、全て投げ出して逃げたくなるような状況ではなかった。彼女が家出を決行したのは、この男という庇護者が出現したからだ。受け皿ができたからだ。家出して、空腹を抱えて街を彷徨う気など全然なかった、しかし誰かが守ってくれるなら、よりよい環境に行きたい。淋しくない、自分の言うことを逐一うんうんと聞いてくれる人のところへ。彼女はたぶんある意味賢い、だから行き先がなければ家など出なかった。
そういう意味では、やはりこの事件でもっとも悪いのは、この20歳男性なんだろう、と私は思う。

▼7歳女児、自宅前で刺殺
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071017k0000m040111000c.html
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071017k0000m040128000c.html
きつい事件。
続報などを見ても、本当に一瞬のうちに一撃で致命傷を負わされた様子。最初は薬物中毒者かなにかか? とも思ったが、ここまで冷静に身を隠し、一瞬の隙を見極めることができるのは、そんな状態の者ではないだろう。
この手の悪意は、避けようとして避けられるものではないと思う。家の前であろうと、家の中であろうと、この手の悪意をもつ者に獲物と狙われたら、もうどうしようもない。
そう考えるしかないような事件だ。
生きて存在しているだけでとてつもなく怖くなる、そんな感じ。

▼小3男児、エスカレーターで首を挟まれ重体
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071017k0000m040092000c.html
エスカレーター設置者にも問題は若干あったようだが(危険防止用のアクリル板が規定より短かったと)、それが主要な原因かというと、そうとも言えない。短いアクリル板の両側についている円筒部分は十分な長さがあったということなので、危険防止については考えられていて、だが現実に事故が起きてみたらそれが不十分だった(円筒部分を越えて挟まる、という思わぬ結果になった)、ということだろう。最初から危険防止を全くしていないのとは若干異なる。
このくらいの年齢の子どもだと、普段はエスカレーターの脇に首を出したら挟まれてあぶない、と分かっていても、咄嗟のときにはつい思わず顔を出してしまうことはありえる。特に今回は、お金を落としたという、子どもにとっては重大な過失があったわけだ。50円の価値は、大人と小学生では格段に違う。
加えて、今回のエスカレーターは、よくある階段状のものではなく、オートスロープという傾斜のなだらかなものだった。この形状が事故の誘因になったような気はする。オートスロープに乗ったことが何度かあるが、段差がなく傾斜がゆるいため、危険性の感じ方は通常型のエスカレーターと比べかなり低い。親の立場としても、エスカレーターならばかなり注意して子どもを見ているが、オートスロープだと段差がないこともあり、ちょっと気を許してしまいやすい感じはある。
で、子どもとしても、その気安さがあり、通常のエスカレーターでは首を出したりしないところを、オートスロープなので首が挟まるという感覚が無意識のうちに薄くなっていて(ちょっと覗いてすぐ引っ込めれば大丈夫、というような)、つい覗き込んでしまった、ということがあったのではないか、と思う。しかし、意外とオートスロープの速度は速いのだ。動く歩道もそうだが、その上を歩いて進むと、終点で体に強い慣性を感じてどきっとする。人間の感覚はけっこうあてにならない。
設置者側の管理や注意は当然として、保護者の側も、オートスロープ(あるいは動く歩道)だからといって気を抜いてはけいないし、むしろ、エスカレーター以上に甘く見ないでよく注意するよう、子どもにもしっかり注意しておかないといけない。自分としてはそういう教訓を得た。
posted by あずみ at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月14日

ケミカルライト破損時の注意

備えあれば憂いなしさん経由で知ったニュース。

asahi.com:ケミカルライトの液体でけが、子どもの被害相次ぐ - 暮らし
http://www.asahi.com/life/update/0811/TKY200708110236.html
 夏祭りやコンサート会場で販売されている発光性の「ケミカルライト」が破損し、漏れ出た液体が目に入るなどして子どもがけがをする例が相次いでいることが、東京消防庁の調査でわかった。05年4月以降、都内で誤飲も含め14人が病院に搬送された。夏休み中の発生が多く、同庁は「強く折り曲げたりぶつけたりしないように」と注意を呼びかけている。


ケミカルライトは我が家でも人気のおもちゃで、よく100円ショップで買ってくる。これまで危険な目にあったことはないので、あまり気にしていなかった。
記事の内容をまとめると、

・ケミカルライトが破損し、中の液が目に入り、目に炎症を起こしたケースがある。
・液体を触った手で目をこすり、目が痛くなったケースがある。
・3歳の子どもが液を誤飲し、入院したケースがある。(病状についての記載なし。おそらく経過観察入院ではないだろうか)

これに加えて、メーカー側からの情報として。

・中の液体は1〜10g程度。毒劇物は含まれない。
・嚥下時の致死量は体重1kgあたり約17g。
・液体が目に入ると痛みをおこす場合があるが水で洗い流せば大事には至らない。

そこで、日本中毒センターのサイトにもあたってみた。
ここに一般向け中毒情報データベースがある。家庭での誤飲や中毒時に頼りになるサイトである。
ここに、やはりケミカルライトに関する情報も載っていた。データベース内の「蛍光玩具−ケミカルライト」(pdfファイル)という項目である。
これによると、内容液の90%が溶剤(フタル酸ジブチルなど、フタル酸エステル系)で、毒性のほとんどはこの溶剤によるものだという。
フタル酸エステルは、大量に飲んだ場合、口の中や喉の刺激症状のほか、嘔吐、めまい、中枢神経抑制傾向、腎炎などが起きる可能性があるという。ただ、asahi.comの記事同様、1つの玩具に含まれる溶剤の量が少ないため、全量を飲んでしまったとしても急性中毒になる可能性は低いとされている。
また、吸い込んだ場合は鼻や気道の粘膜の刺激、濃度が高い場合は呼吸障害。ただし、揮発性は少ないので、通常の状況ならば大量に気道に吸い込む可能性は低い。
目に入った場合は痛みや炎症、皮膚についた場合はアレルギー性皮膚炎になる可能性があるという。

処置としては、飲んだ場合は大量に水を飲ませること。目に入った場合はよく流水で洗うこと(15分以上)。痛みなどが続くなら医療機関に受診すること。
どうやら、このフタル酸エステル溶剤は、粘膜の刺激性が強く、飲んだり目に入ったりした場合は、毒性のわりには痛みをかなり発するらしい。たぶん、ニュース記事に載ったようなケースでも、相当子どもは痛がって、どんな恐ろしいことが起こったのかと周りの大人たちも思ったのではないだろうか。
ケミカルライトに含まれる溶剤の量からすると、最も問題になるのは、この痛みと炎症だろう。強い中毒が起こる可能性はほとんどないといってよさそうだ。フタル酸エステル自体の蓄積性も少ないとのことなので、ひどく恐れる必要もないだろう。

この記事と情報から思ったことは、次の点。

・ケミカルライトを折る時は、力まかせに折らず、ゆっくりと曲げるように折ること。子どもにもそう指導する。これで内容液の漏れを防ぐ。
・光り終わったものはあとあとまでおもちゃにせず、すぐに捨てること。光っていなくても溶剤が含まれているから、危険性は変わらない。
・もし液漏れして目に入ったり口に入ったりしたら、上記に従って処置する。その時、子どもの痛がりようを見て焦らないこと。まずとにかく綺麗に洗ってやることが先決だし、そのほうが本人も楽になる。
・洗った上で痛みや炎症が残れば受診する。逆に言えば、痛みが消えて炎症も目立たなければ受診の必要は必ずしもないということ。ただし量が多めの誤飲の場合は、水を飲ませたうえで最初から受診したほうがいいだろう。飛び散った飛沫が口に飛び込んだ程度なら必要ない。
・子どものおもちゃには液量の少ないものを与えるほうがいい。もし折れても飛び散りにくいし危険が少ない。また、細いほうが折り曲げた時に柔軟なので破損しにくい(経験上)。

なかなか勉強になりました。「備えあれば憂いなし」さん、どうもありがとうございました。
posted by あずみ at 12:34| Comment(4) | TrackBack(1) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月18日

「親学」提言はなぜ支持あるいは反発されるか

別宅ダイアリーのほうの記事『マクロとミクロと「親学」』へトラックバックをいただいた、rajendraさんのこちらの記事、
まず自分ありきと思っていた
http://d.hatena.ne.jp/rajendra/20070614/p1
を読んで、特に後半、そうそうその通りだなあ、と思いつつも、でもたぶんそこはこういうことなのじゃないか、と思うところもあり、ちょうど取り上げたいニュースでもあったので、こちらで返答を兼ねて記事を書かせていただくこととする。



もともと、別宅の記事を書いたきっかけは、既にやや旧聞に類するも、こちらのニュースを見たからであった。
親学:政府提言に賛否が拮抗 毎日新聞世論調査−教育:MSN毎日インタラクティブ
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20070602k0000m010042000c.html
に向けた子育ての指針(親学(おやがく))を政府が提言することについて尋ねたところ、賛成47%、反対44%で賛否が拮抗(きっこう)した。

 親学提言への評価を年代別に見ると、20代は賛成が68%で反対の28%を大きく上回った。30代、60代、70代以上も賛成が反対より多かった。逆に40代、50代はいずれも賛成が約4割で反対が約5割。これから子育てが本格化する世代と子育てを終えた世代で賛成が多く、思春期の子供を抱える世代で抵抗感が強い傾向が出た。

毎日新聞が独自に行った全国世論調査の結果である。もう少し具体的な数字が出ていた記事もあったと記憶するが、内容的にはこれ以上の情報ではなかった。

このニュースを見て、私はちょっと意外な結果だと感じた。
「親学」提言に対する感触が、ネット上でみられた大きな反発に限らず、マスコミの報道でも大部分が批判的なニュアンスをどこかに含んでいて、特に「政府が『育児はこうあるべき』という指針を押しつける」ことに対する反感・批判が相当大きい、そしてそういった「押しつけ」を嫌がるのは今現実に子育てに従事している人なのだろう、となんとなく思っていたからだ。
しかし、この結果は私の予測とはやや異なった。現在子育てに従事している20代、30代での反対はむしろ少なく、子育ての重点的な部分(特に「親学」で取り上げられるような乳児〜中学生の時期)はほとんど終わったであろう40代、50代での反対が多かったのである。
60代以上での賛成が多いのは、ほぼ予測どおりである。この世代の感じているのは「今の若い者の子育てはてんでなっとらん」であろうから。もっとも、彼らは子育て以外のことについても大抵「今の若い者はなっとらん」と思いがちでもあるから、これはある意味仕方がない。現在の高齢者のせいではない、高齢者はいつの時代でもそう思いがちなものである。

この結果から私が想像したのは、こういうことだ。
まず、20代について。
晩婚・高齢出産化している現在の日本の社会では、20代で既に子育てをしている人は決して多くない。これから子育てをする、あるいは自分は子どもはもたないと思っている人がかなりの割合いる。
これから子育てをしようと思う人にとっては、「親学」提言はひとつの参考になる。正直に言えば、既に子育てをしている自分からみると、あの「親学」提言はそれほど無茶苦茶なことを言っているわけではなく、実際に産院で指導されたりもしていることで、普通に育児書に載っていてもおかしくないような内容であった。政府の出した「親学」提言であるからマイナスのバイアスがかかっただけであって、(身体的に可能でかつ周囲の環境が許すなら)母乳で育てましょう、(上の子の面倒をみなくてすむような状況なら)テレビを消して赤ん坊の目を見ながら授乳しましょう、というのは基本ラインとしては間違ってはいない。現実には括弧内のような条件があるので、実現することは難しいわけだが、指針として方向性が間違っているというわけではない。
そこで20代の、まだ子育てしていない、かつ将来子育てしようと思っている人について言えば、そういった育児書的な何かは、あってくれればありがたいものである。昔は「スポック博士の育児書」という定番の書があり、猫も杓子もスポック博士だった。しかしその後さまざまな育児に関する知見が出てきて、これも決して正しくはない、ということになっている。その他、育児書というものも多数あるが、どれが正しく、どれか誤っている、という基準はない。さらに、ネットなども含めると、新しいけれど混沌とした育児情報が処理しきれないほど存在している。結果、どの育児書を読めばいいのか、なにを参考にすればいいのか、判断する手がかりを手に入れることすら困難、ということになってしまっている。実はその判断が可能なのは、既に育児を経験した者だけであるから。
そのような状況の中で、ある程度厳選された項目をわかりやすく、しかも信頼のおける者(怪しいトンデモ理論は出さないだろう、という意味で)提示してくれるものがあれば、これから子育てをしようとする人にとっては恩恵でもあるのだろう。分厚い育児書を隅から隅まで読むのは困難な人も意外と多数いるはずだし。以前はそういう人は自分の親なりなんなり、一世代上の者にいろいろと訊きながら子育てしていたのだが、今は、その「一世代上の者」自身がスポック博士世代(育児書至上世代)なので、あまり頼れないのが実情である。
さて、20代のもう一方、これから子育てするつもりのない人。この人たちは、立場的には60代以上と近いだろう。自分たちは関係ない、子育てする人はちゃんと私たちに迷惑かけないように、きちんと子育てしてよね! あるいは、子育てする以上、ちゃんと最後まで育てきる、面倒を見きる覚悟できっちりやってよ、自分はそんな覚悟できないから最初っからしないんだけどね! そんな感じで「親学」提言を支持するのではないだろうか。
結果、20代での「親学」提言支持率が特に高くなっているのだろう、と思う。

30代になると、実際に子育てしている人が増えてくるが、まだ子どもらは小さい。
20代同様、「親学」提言を参考にしたい、という人と、実際には提言どおりになんてできないんだから! 政府わかってない! と反発する人が現れてくる。
この「提言どおりになんて現実にはできないよ」という現実派の思いはよく理解できる。というより、私の立場はこれに近い。そして、実際、できないものはできない。できないものは結果としてやらない。現実の育児では、ただそれだけである。
しかし、では、やれるのにやらないのは悪いことなのだろうか。問題になった「親学」提言に沿って言えば、自分のプロポーションを維持するために人工乳で育てることや、都市部に住んでいて金銭的・時間的にも余裕があるのに演劇舞台を見せに連れて行かないことなど。こういったことが、そんな悪いことだとは思えない。あくまで本人の裁量の範囲であって、こんなことをしなくても存分に愛情を注いで育てていれば、親にとっても子にとっても些細なことである。
ところが、こういったことが、政府の提言として出された途端に、別の意味を持つ。実は政府は何も押しつけてはいない。しかし、政府の提言という後ろ楯を得た別の者が、こういった些細なことに圧力をかけ、「お前は政府の提言すら守ろうとしない悪い親だ」と非難する力をもつのだ。こういった圧力は表立っては行われない、大抵は身内やごく親しい間の話だ。「悪い親だ」という言い方すらされない場合も多い。「政府もこう言ってるんだから、こうやったほうがいいんじゃない?」と圧力をかけてくる。あげくに、提言どおりにしていないことを「子どもへの愛情が足りない」と勘違いし非難する輩すら出てきかねない。現に、プロポーションを維持するために人工乳育児している母親への視線は、そういうものとしてある。
私は、そのことが怖いのだ。政府が何を言っても私は怖くはない。所詮はマクロな、概観的な話にすぎない。しかし、マクロはミクロに投影される。
だけども、そんなふうに深刻に受け止める人、あの提言を実践しないといけませんよと解釈しちゃう人だったら、それは圧迫感を感じるかもしれませんね。他人の意見に左右されることの少ない両親のもとで育ったせいか、僕はあの提言を真面目に受け止める人のことに想像が及びませんでした。最初からマクロな話と思い込んでいたし。
http://d.hatena.ne.jp/rajendra/20070614/p1

子育てする本人は深刻に受け止めなくても、それ以外の人間が深刻に受け止める可能性は十分にある。むしろ、自分自身のことでないために余計に深刻に受け止め、強く非難するかもしれない。「今の若い者は……」理論である。
子育てについて政府がなんらかの具体的な指針・見解を示すこと自体に危険性があると、実際に子育てをして、周囲の圧力環境についてよく知っている者は、気がついている。逆に言えば、その環境にない者には非常に気づきにくい点でもある。
「親学」提言に対する強い反発は、だからこそではないだろうか。

そこで、40代・50代。
この世代は、子育てをしていても既に「親学」提言に該当しない、つまり事実上子育てを終わった人々が大半であろう。
彼らは子育ての全体を知っている。既に結果も出ている。中には、自分はうまく子育てできなかった、子育てに失敗した、と感じている人もいることだろう。
加えて、この世代は、例の「親学」提言に出されたことを実行できていない場合がかなりあるはずだ。母乳は時代遅れと、人工乳がもてはやされた時期でもあった*1。子ども向けの舞台演劇など、普通の生活をしていて見られるようなものでもなかった。そのかわりに学校で演劇や演奏会を見る会があったりしたものだ。
そういった場合に、今回の「親学」提言はどのようにうつるだろうか。「お前たちのしてきたことは間違っていたんだ、足りなかったんだ」、そう言われたように見えないだろうか。
彼らは、身を持って知っているのである。今回の提言ですら、正しくはないかもしれない。
そんなものを政府が堂々と出して、それに従って子育てをしても、結局あとから「それは間違っていたよ」と言われるかもしれないのだ、その時にはもう子育てをやり直すことなんてできないのだ、と。

私は、例の「親学」提言の中身については、自分自身は、はいはいなーに言ってんだか、と話半分に聞くだけである。一理あるな、と思う部分もある。賛同できない部分もある。
しかし、政府が「親学」提言なるものを出すという行為自体に対しては、反対だ。そこに国が口を出してはいけないのじゃないか、と思っている。もし出すのなら「子どもを大切にしましょう」「子どもの権利を尊重しましょう」くらいしか言えないと思う。それですら「でも私は子どもをかわいく思えない」と苦悩する人も出てくるだろう。それはそれでいいのだ、かわいくなくても大切にはしなくてはならない。政府は、最低限親として求められることだけ述べればいいし、それ以上言ってはいけない。
それ以上は、政府ではなく、独立行政法人かどこかでやってもらいたい。むしろ、どんどんやってほしい。20代の賛成率の高さに応えてくれるといいなと思う。手さぐりで子育てして、実際に困っている人、どうしたらいいのか迷っている人に、具体的な方法も抽象的な考え方も広めてもらえると嬉しい。母乳や離乳食の時期から、反抗期の時期や対応、子どもの発達や心理に関するさまざまな情報。そういったことこそ、本当に知りたい、ほしいことなのだ。子どもを母乳で育てましょう、と言うくらいなら、母乳育児のメリットやデメリットについて伝えるべきなのだ。



*1:参考資料:厚生白書(昭和51年版)より
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197601/b0025.html

posted by あずみ at 13:00| Comment(6) | TrackBack(3) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月25日

こんにゃくゼリーの窒息事故

死亡事故2件発生 こんにゃく入りゼリーの事故 −子どもや高齢者に与えないこと!−

最近報道された、こんにゃくゼリーの死亡事故の話。リンク先は国民生活センターのサイト内の記事。
これ、ずいぶん旧聞に類する話じゃないかなあ、少なくとも上の娘(もうすぐ6歳)が産まれたころには当然の話になっていたような……と思ったら、最初に国民生活センターから警告が出たのは1995年だそうな。

こんにゃく入りゼリーで、死亡事故が起きています!

そのころ、ゼラチンや増粘多糖類によるゼリーより弾力のある食感が受け、加えて健康によさそうなイメージから、子ども向け菓子に限らず、こんにゃく(マンナン)素材がブームになっていたような記憶がある。

今回報道された事件で、へぇ、と思ったのは、事故の犠牲者がいずれも小学生であることだった。
乳幼児に関しては、こんにゃくゼリーは危険だよ、少なくともカップから吸い込んで食べるような食べ方は厳禁だよ、というのは、ある程度アンテナを高くしている保護者にとっては既に頭にあることだろう。しかし、では何歳からなら大丈夫なの? ということになると、どこにも回答はないし、回答を出すこともできない。
上記の事件のひとつ、学童保育での死亡例は、家庭内ではなくある程度公の場で出されたものである。こんにゃくカップゼリーは乳幼児には危険だと分かっていても、小学生にも危険だ、という認識はなかったのではないだろうか、と推測する。
リンク先の、国民生活センター発表のデータ、1997年〜2007年の報告された危害14件のうち、年代別の表をみると、圧倒的に多いのは10歳未満だが、意外にもかなり広い年齢層で危害の報告があることがわかる。30代、40代にも報告がある(ただしどのような人であるかまでは分からない。嚥下等の身体的障害やその他の障害などをもつ人である可能性もある)。

一口カップゼリーは、子どもには大変人気のあるお菓子だ。色もきれいだし、こじんまりとした量も食べすぎにならなくてちょうどよい。そしてゼリーは昔から人気のお菓子のひとつだ。
一方、こんにゃく入りゼリーもおいしい。寒天のようにすぐにさくっと壊れてしまうような感じでもなく、ゼラチンのゼリーのようにすぐ溶けてなくなってしまうのでもなく、あの弾力感がいい。グミ菓子が子どもに人気なように、適度な弾力はおいしさに通じる。
EUのように、こんにゃく入りゼリーを全面的に禁止する方法もあるだろうが、なんとなく、日本においては「餅は幼児や高齢者には危険な食品だから禁止しろ」と言うのに似ている感もなきにしもあらず。まあ、日本で餅が禁止になることはないだろうし。
例えば、駄菓子にあるような細長いチューブ状の袋入りのこんにゃくゼリーは、形態的および食べ方的に窒息の原因にならないだろうし、カップゼリーはこんにゃくを使用していないものならば、ゼリーが壊れやすいため吸い込んで食べる方法はまずできない。
ようするに、カップゼリーの大きさ・形態とこんにゃくの弾力性・非融解性が相性が悪いような気がするので、これらを切り離せばずいぶんと安全にカップゼリーもこんにゃくゼリーも楽しめるようになるんじゃないかと思うのだが、どうなのだろう。
タグ:育児
posted by あずみ at 10:22| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

「こうのとりのゆりかご」への相談とは


痛いニュース(ノ∀`):「生まれたら預けたい」“赤ちゃんポスト”にさっそく相談相次ぐ

ニュース本文ではなく、2chまとめサイトの「痛いニュース」の記事のほうへリンクする。
赤ちゃんポストこと「こうのとりのゆりかご」が設置され、まもなく運用が開始される、というニュースと、それに対する反応。反応の大部分は、口は悪いがある意味まともだ。基本は「子どもを捨てるなんてひどい」という話だから。

それはそれとして、ニュースによれば、「こうのとりのゆりかご」設置の発表以来、約30件の相談があったという。
自分としては、多いような少ないような、という感覚である。30人が全員捨てられるならそりゃ予想外に多すぎる、と思うが、それ以前の相談という話なら、そんなものかな、という数字である。
中には直接訪れた人もいるという。ということは、匿名ではなく、少なくとも姿をさらして相談に来ているというわけだ。それだけ追い込まれているとも言えるのだろう。
逆に考えると、こういう人たちは、なぜこの病院に相談に来たのだろうか。なぜ地元の自治体の役所などに相談に行かないのだろう。あるいは、行ったけれどどうにもならなかったのか。
答えは、おそらくこうだ。相談に行っても門前払いなのだ。
子どもが産まれたあとなら、自治体(行政)ができる支援はある。経済的には生活保護や児童手当など。母親自身が育てられない状況であるならば、乳児院への保護など。しかし、これらは、実際に子どもがいて、その子どもが育てられない状況にあるかどうかを判断しなければ利用できない。行政の答えは「産まれてから相談に来てください」ということになる。
しかし、一方では、当然のことながら「産みさえすれば私たちが精一杯支援しますから」などとは行政は言ってはくれない。産んでみました、それで相談に言ってみれば「いや、まだなんとかなるでしょう」「この条件では支援はまだできません」という答えが返ってくる……と、そう母親側が思っていてもおかしくはないのだ。

「こうのとりのゆりかご」は、そういうさまざまな個人的・社会的支援の狭間に落ち込んでしまってどうにもならない人を想定して作られた駆け込み寺(キリスト教だが)だ。
そのぶん、その駆け込み寺に駆け込んでくる前に、駆け込まなくてすむように話を聞いたり、アドバイスをしたりするのも、自然と期待されるということなのだろう。
そのことはおそらくこの病院関係者は承知していて、30件の相談に対しても、どんな手だてがあるか、何が可能か、ひとつひとつ答えていったのではないだろうか。そういう態度でなければ、障壁を越えて「こうのとりのゆりかご」をつくろう、という考えにはならないだろう。

妊娠していて、時期的に産む以外の道はないけれど、状況的に追い込まれて産んだが最後、母子とも路頭に迷うしかない、という場合、誰に何ができるのか。妊婦である本人、行政機関、医療機関、宗教団体を含む法人や個人による福祉施設、その他。
「こうのとりのゆりかご」は、そういった隙間を埋める一つの存在になるだろうし、そのぶん、約30人の相談者のように、そこを頼ってゆく人もいるだろう。そのとき、彼女らに対して、子を捨てる以外のどんな道を示すことができるのか。
「とにかく捨てるな。一人で頑張りなさい」などというのは意味がない。「こうすれば捨てなくてもすむんだよ」「一人で頑張るのは難しいが、こんな助けがあるよ」という情報をまず伝えなければ。
その情報、その助けがどこへ行けば手に入るのかわからない、という人は意外とたくさんいる。もしかしたら、子どもを一人残してスノーボードへ行き、子どもを火事で失ってしまったあのシングルマザーもそうだったのかもしれない。
ここに相談してきた30人の中には、そういう人、どこで誰に聞けばいいのか分からなかった人もいるように思うのだ。

最後になるが、今回相談してきた約30人は、決して捨てる気満々なわけじゃないと思う。相談するからには、迷いがあるということだ。
リンク先記事内で言われているような捨てる気満々なのは、もしいるとすれば、ここで相談していない人々だ。下手に相談して説教されるのは嫌だし、黙って捨てたほうがバレなくていいじゃん?なんて発想だろうと思う。あくまで、もしいれば、の話だが。
だいたい、最初から捨てる気満々だったら、とっくの昔に中絶してるんじゃないのかな、日本なら。
posted by あずみ at 10:46| Comment(6) | TrackBack(0) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月20日

代理出産認可の前にまずドナーによる卵提供を認可すべきだ

卵子提供:容認派が4分の1超える 初の意識調査−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ
 不妊の女性が他の女性から卵子の提供を受けて妊娠・出産を目指す治療について、厚生労働省の研究班(主任研究者=吉村泰典・慶応大教授)が実施した国内初の意識調査の結果がまとまった。国内で卵子提供が認められるようになった場合、「自分の卵子を提供してもよい」「どちらかといえば提供してもよい」と答えた女性が4分の1を超えた。また卵子提供にあたり、金銭など何らかの報酬を求めた女性が全体の46.5%だった。


関連記事:
卵子提供:「前向き」25% 希望報酬、平均は40万円−−厚労省初調査−話題:MSN毎日インタラクティブ
解説:卵子提供・厚労省初調査 報酬など国に宿題−医療:MSN毎日インタラクティブ

具体的には、卵子提供による不妊治療の国内での実施については、52.6%が肯定的な答え。もし制度ができた場合、自分の卵子を提供することに肯定的な答えが25.8%であったという。
調査対象は、20〜34歳の女性517名で、インターネットを通じた調査の結果だということである。

こちらは、記事によると、代理出産よりもかなり前から、4年前にはすでに容認の報告書が厚労省の部会から出ているそうだ。しかし、なかなか制度化に至らない、という状況であるらしい。
記事によれば、焦点としては、出生した子が遺伝上の母(卵提供者)を知る権利をどのように保持するか、という問題と、卵提供者への報酬をどうするか、ということのようだ。
前者に関しては、既に行われているAIDと同様に考えられていくことになるのだろう。
後者はいささか微妙な線がある。提供者はそれなりに身体的苦痛や拘束(採卵のためにホルモン剤を一定期間服用するなど)を要求される。採卵に伴うリスクも、腹腔内に針を刺すという手技を行う以上、ゼロではない。
だからといって有償とすべき、と言えるかというと、そうとも言えない。骨髄移植ドナーは骨髄採取時にもっと大きなリスクを負うが、原則無償(入院費用などの負担はないはずだが)で行われている。
このあたりの落としどころが微妙で、なかなか制度化されないという事情なのだろうか。とりあえず、今回初めて意識調査が行われたことから、これから動き出すのかもしれない。

個人的には、卵提供については容認の考えである。自分が卵を提供してもよいとすら思うが、残念ながらもう30代後半となり、年齢的に不適切であろう。
なぜか代理出産については喧々囂々取り沙汰されているが、それに比べればはるかに実施しやすく、遺伝的な問題についても既に行われているAIDと同等の問題しかないはずの卵提供についてここまで黙殺されているのは、なぜなのだろうか。
こちらの制度化を進めることによって自分の子を"産む"ことができる不妊者の数も多いはずだ。卵巣腫瘍で摘出、ホルモン治療の奏功しない無排卵、その他自分での排卵が不可能な人は、一定数存在する。代理出産と比較して、需要が極めて少ないとは思えないのだが。

そして、こういう方法について、代理出産容認を声高に主張する人々はどう思うのだろう。自分のDNAをひかない子どもなど要らないから養子でももらっておけ、とでも言うか。養子を検討せず、いまだ制度的には「抜け穴」にすぎない代理出産を妄執的に主張する人は、そういう価値観、遺伝的に繋がっていてなんぼ、なのだろうか。
本当にさまざまな不妊について対策すべきだと思うならば、そして出産と遺伝を別物と分けて、どちらか片方でも満たせば実の子とする価値観を広めようと思うならば、こういう視点も当然支持すべきではないのか。
根津院長は「緊急避難的に代理出産が必要な人がいる」と言った。それは卵提供による体外受精についても同じことではないのか。4年前に認められていれば妊娠して自分の手に新生児を抱き、乳をやり育てることができたのに、今ではもう歳を重ねすぎてできなくなってしまった人もいるのではないのか。

不妊治療の問題についてきちんと考えるならば、問題が鬱積している代理出産を認めるかどうか以前に、こちらをきちんと検討して実施にもっていくべきではないだろうか。代理出産という言葉のインパクトや、ある芸能人の過剰なまでのプロパガンダによって、代理出産だけに感傷的な注目が集まってしまい、私たちはそこに惑わされすぎているきらいがある。
乗り越えられるかどうかは、垣根の高さの問題だけではない。乗り越える意志があるかどうか、まずそこからだ。

タグ:不妊治療
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2007年04月11日

保育園児の上履きが盗まれる

個人的に気になったニュース。

上履き:5保育園で計19足盗まれる 愛知県春日井市−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ
 愛知県春日井市内の5保育園で9日夜から10日朝にかけて、園児の上履きが盗まれる被害が相次いだ。盗まれたのは計19足。県警春日井署が、同一人物による窃盗事件とみて捜査している。

地元局の報道はもうすこし詳しかった。
盗まれたのは、すべて、ピンク色だったりキャラクターが入っていたりするような、通常の白い上履きとは違う特徴のあるもので、すべて女児のものであったという。
そういうことなのかな、とうすうす思っていたが、やはりそういう犯罪である可能性が高そうだ。もうちょっとはっきり言えば、ロリコン的な趣味からくる犯罪の可能性が疑われる状況である。
キャラ入りの上履きということで、もしかしたらオークションで売ったりするのかも、とも思ったが、保育園の上履きなんて、当然のことながら所有者の記名があるので、出品すればバレてしまう。単価も安く、ほとんど儲けは出ないだろう。

上履きを盗まれた子の親にしてみれば、上履き自体の値段なんて大したことはない。いくらキャラ入りとはいっても、上履き自体が安いものなので、たかが知れている。
何が気持ち悪いかといえば、子どもの名前がロリコン犯罪者(と思われる犯人)に分かってしまっている、ということだ。当然園で使う履物には、フルネームと組が書き込んである。つまり、通っている保育園と名前と組(つまり年齢)が犯人には分かってしまっている。
ただでさえ、保育園に通っている子の親は、仕事をしているなどの理由で子どもを手元に置けないから保育園に通わせているわけで、自分の目が届かず、やむを得ず他人に任せている時間が多いのだ。親御さんの不安は増大するばかりだろう。もし自分がその立場だったら、転居したいくらいの気持ちになるところだ。

それ以上に驚いたのは、下駄箱が野外にある、ということであった。
そういえば、自分の子どものころは、通っていた保育園の下駄箱は野外だったような気もする。小学校では、土間のような室内であった。
公立の保育園の周りはそんなに塀や門が高いわけではなく、やろうと思えば乗り越えて園庭に入るのは簡単なことだろう。もちろん建物は施錠されているだろうが、野外の下駄箱にある靴なら、野良犬でも持っていけそうなくらいだろう。
上履きといえど私物だから、せめて夜間は施錠できる室内に置くようにしてほしい、というのが、利用者側としては正直なところではないだろうか。あまりにも牧歌的すぎるというか。
ちょっと今回の話は保育園側がセキュリティに関して甘すぎる感があった。
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2007年04月04日

"女子大"に入学した男子という話

中京女子大に男子学生6人入学 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 同大は今年度から、人文学部で「女子のみ」の条件を外した。入試では15人が受験し、保育士を育成する児童学科に4人、企業人などを育成するアジア学科に2人が合格、入学した。


昨年に、中京女子大学がこの名称のままで男子学生の受け入れを開始する、というニュースがあって、ネタ的にあちこちで扱われていたのですが、果たして入学者はいるかしら? と思ったら、勇気ある男子学生が6名いました、という話です。

と言うと、これまたネタ的な、という感じになってしまいますが、入学した学生の内訳やインタビューを見ると、ああ、なるほどな、この大学を選んだわけだな、と思うところがありました。

うちは地元なのでやや詳しく取材された記事が新聞に載っていて、2人の新入男子学生について、短いインタビューコメントが掲載されていました。
一人は児童学科の学生でした。「保育士めざして頑張りたい」のようなごく普通のコメントでした。保育士を目指すなら、どこの学校・学部へ行っても、ほとんどが女子で男子はごく少数、という境遇にはかわりません。中京女子大もいくつかの受験候補のひとつにすぎなかっただけで、名称を気にする必然性もなにもなかったのでしょう。だって実質はどこへ行っても「ほとんど女子大みたいなもん」なんですから。

もう一人は、たしかアジア学科の学生なんですが、彼のコメントは、こういうものでした。
「やりたい棒高跳びを続ける環境が整っている」
そうでした。中京女子大は体育学部もあり、ジャンルによっては非常に充実したスポーツ環境があります。有名なところでは、日本トップクラスの選手を出している女子レスリングなど。
団体競技ではそういうわけにもいかないが、陸上などの個人競技に関しては、競技施設や指導者が整っていれば、もともと女子ばかりのところに男子が行っても差し支えることはあまりないので、こういう選択肢は十分にありますよね。
彼は体育学部ではないのですが(体育学部は男子の募集をしなかったはず)、どっちかというとスポーツ寄りの魅力でこの大学を希望してきたのかな、というインタビューでした。

初年度から6名も男子がきた、というのは、意外と多いんだな、という感ももちました。やはり保育系という学部の特性もあるのかもしれません。
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2007年03月24日

最高裁、代理出産子を実子と認めない決定

向井亜紀さんの代理出産による子が実子と認められるか、の裁判の結論が最高裁で出た。
結論からいうと、実子とは認めない、という決定となった。結局、昨年9月に出た東京高裁の判断を覆す結果となった。
各新聞社サイトで報道されているが、内容はYOMIURI ONLINEが最も詳しいもよう。

向井亜紀さんの双子男児、出生届受理を認めず…最高裁


この件について、昨年高裁の判決が出たあとに、ここで一連の記事を書いている。

代理出産はエゴイズムの固まりだ……反対の立場より(その1)
代理出産はエゴイズムの固まりだ……反対の立場より(その2)
代理出産はエゴイズムの固まりだ……反対の立場より(その3・結)
代理母を守れ 〜代理出産問題に関連して


今回の最高裁決定についは、自分としては、やはりこうなったか、という感もある。現行法での限界だと思う。違憲裁判などでもそうだが、高裁までは控訴によって必ずしも最終決定とはならないので、比較的リベラルあるいは新しい法解釈による判決・決定が出ることがあるが、最高裁ではなかなかそうもいかない。現状で最高裁が冒険的な決定を下さなかったのも無理はない。ここで一家族について認めてしまったら、おそらく次から次へ歯止めなく海外での代理出産→実子認定が続くことになっていただろう。そして、別に国内を整備する必要なんてないじゃない? という意見が出てくることも必至であっただろう。

裁判官の補足意見にもいろいろあるが、それぞれの補足意見を読んでみると、ほぼ裁判官の共通した認識として「現状では法整備が全くされていない」というのがある。
司法府は、法の解釈はするが、立法はできない。この補足意見の裏は、司法府ではこれ以上ゆるい解釈は不可能です、なんとかしたいなら立法府でまず法整備をしてください、というメッセージなのだろうと思う。

代理出産賛成派、反対派、双方とも、とにかく法的にきちんと整備すべし(法体制を整えるなり明確に禁止するなり)という意識は同様にあるだろう。私は基本的に反対の考えではあるが、以前の記事にも書いたように、法的に整備されれば、必ずしも全面的な禁止は必要ないと思っている。

脳死が死と認められ、日本で脳死移植が始まるまでにも、長い年月がかかった。当時、脳死移植が認められたら、救急の場で十分な救命治療が受けられなくなるんじゃないか、という意見を言った人も多数いた。
現状、個人としては脳死や臓器移植を受け入れられない人でも、脳死を死とすることもある法律の下で暮らしており、今後「絶対に脳死は死とはしない」ように法が改正される可能性はほぼありえない。上記のような不信を口にする人もあまり見かけなくなった。

とりあえず、海外で代理出産をして実子を得る、という方法は日本では認められない、とはっきり決定が出たことによって、先に進むことができるようになった。時間はかかるかもしれないけれど、ここからあらためて議論の出発点になることを願わずにはいられない。
タグ:代理出産
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2007年02月26日

赤ちゃんポストを利用するのは誰なのか

熊本の病院が設置を検討していた「赤ちゃんポスト」について、厚生労働省が法的な問題はないと判断した、というニュースが報道された。これによって、病院は実際の設置へ向けて動き出すものと思われる。

asahi.comより
熊本の病院が「赤ちゃん引き取りポスト」 賛否両論
赤ちゃんポスト、厚労省が「適法」 熊本の病院申請分

赤ちゃんポスト(以下「ポスト」)設置については、賛否両論あるもよう。それは当然であろう。
ここでは設置の是非については考えず、ポストを利用するのは誰なのだろうか、ということについて考えてみる。

ポスト反対派の代償的な意見として、「ポストの設置によって育児放棄が増える」というものがある。
これについては、私はいささか疑問がある。
ポストは、その設置の目的上、基本的に以下のような状況で利用されるものである。

  1.出産の事実を隠匿したい
  2.子との関係性を完全に絶ちたい

ポストを利用するのは、いわゆる捨て子に該当する。生まれたばかりの新生児を対象としており、実際、生まれてから何ヶ月か経過した大きな赤ん坊には利用できないだろうし、その理由もない。
産んで育て始めたあとに、育児に疲れた、なんらかの事情(経済的理由、婚姻解消など)で困窮した、というような状況であれば、ポストを利用するようなものではなく、役所や保健所、児童相談所に相談すればいい話である。
仮にそこに思い至らないとしても、捨て子という発想にはならないだろう。既にその親が赤ん坊を育てている、ということがいろいろな方面に分かってしまっている。近所との交流がない場合でも、出生届を受け付けた役所は当然その人が親になったことを知っているわけだ。
いずれにしろ、既に何ヶ月か育てたあとの子どもを捨てるのは、心理的にも状況的にも困難である。たまに報道で耳にする捨て子も、ほとんどが生まれてまもない新生児だ。
こういった事情から、育児の中断という意味での育児放棄は、ポストの存在による増加への影響はほとんど受けないと考えられる。

次に、新生児の遺棄について考えてみる。
新生児の時点で捨てたいと思うケースは、まだ育児を本格的に開始する前の段階であることから、育児疲れなどの理由は非常に少なく、最初から子どもをもつことを拒否あるいは否定する状況にある場合と考えられる。子を産んだという事実そのものを否定したいという場合である。
こういったケースの大部分は、日本の場合、妊娠中絶を選択するものと思われる。中絶のほうが10ヶ月近く妊娠を継続し出産という大仕事をするのに比べて総合的な身体的・時間的負担は少ないし、経済的負担も少ない。中絶への障壁は低い。
中絶を選ばないケースは、かなり特殊な場合ということになろう。当初は出産育児に意欲的だったが中絶可能期間を過ぎてから状況が大きく変化した場合や、中絶可能期間を過ぎるまで妊娠に気がつかなかった場合、宗教的理由により中絶しない場合など。そのうち、産んでみたら自分で育てる意欲が出てきた、あるいは周囲(親族、施設などを含む)が育てるという選択をしないケースはさらに少なくなる。
もともと、日本においては、捨て子は極めて限定的で特殊なケースなのだ。ポストが設置されたからといって、うなぎ登りに捨て子の数が増えるとは考えにくい。
末尾にあげた参考文献によると、ドイツでは、2000年初頭に初めて設置された「捨て子ボックス」の利用は、2002年8月までに5件(設置数は当時約30件)。オーストリアでは「捨て子ボックス」が合法化されているにもかかわらず、利用は0件(ただし設置数は8件)とのことである。

オーストリアのケースで興味深いのは、「捨て子ボックス」の設置とは別に、匿名出産すなわち親が誰かを隠匿して子を病院などへ渡す出産が認められ行われていた、それゆえ「捨て子ボックス」の利用がないのだろう、ということだ。
捨て子の本質は、親が育児から逃れることではなく、出産という事実から逃れることである。さまざまな事情で、出産自体をなかったことにせねばならない事態が、捨て子という苦渋の選択をさせる。
これが、上記箇条書きで挙げた項目1.なのである。

項目2.については、1.と重なる部分もある。
しかし、別項目としたのは、親側からの関係断絶だけでなく、子側からの関係断絶を親が求めて子を捨てる、というケースがありうると考えたからだ。
例えば、仮に以下のようなケースを想定する。
不法滞在の外国人が妊娠、出産した。父親は分からない、あるいは頼れない。自分で育てることも仕事上や経済的理由から困難。加えて、不法滞在がばれて強制送還となって、子ども連れで本国に返されたら、親子で路頭に迷う。
こんな場合、あえて子を捨てれば、その子は親が不明の捨て子として日本国籍を得ることができる。
この場合は、親が誰であるか分からないことがその子にとっては有効に働く可能性がある。本国での暮らしが極端に貧しく危険なものであるならば、せめて子どもには施設暮らしでもいいから日本で暮らさせたい、と思う者もいるかもしれない。
実のところ、もしポストが設置された場合、増えるとしたこういうケースなのではないかと考える。
今回ポスト設置が申請されたのは地方都市なのだが、もしこれが首都圏などの繁華街の近くだったら、予想以上に利用が増えるのではないだろうか、という気がする。

以上、あくまで、頭の中で考えたことだ。実際に設置されたらどうなるかは、なってみなければ分からない。
とはいえ、少なくとも「ポストを設置したら育児放棄が増える」ということはないような気がする。もし増えるとしても、3件が4件になったとか、誤差としか言えないような、その程度の話でしかないんじゃないだろうか。

【参考文献】
ひとは如何にして子どもを「捨てる」か ――ドイツにおける「捨て子ボックス」の現状報告――
阪本 恭子
雑誌『医療・生命と倫理・社会』オンライン版 Vol.2 No.1 2002年9月20日刊行(大阪大学大学院医学系研究科  医の倫理学教室)
http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ2-1/sakamoto.htm

オーストリアにおける捨て子ボックスと匿名出産に関する2001年7月27日の法令
阪本 恭子
雑誌『医療・生命と倫理・社会』オンライン版 Vol.5 No.1/2 2006年3月20日刊行(大阪大学大学院医学系研究科  医の倫理学教室)
http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ5/Oesterreich.pdf


posted by あずみ at 00:46| Comment(3) | TrackBack(1) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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