2007年02月20日

出産する250人に1人が生命の危険に曝される


出産時に命の危険、年間2300人の妊婦が遭遇 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

興味深い記事である。

 出産時の大量出血などで母体に緊急治療が必要なケースが少なくとも年間2300件以上あり、これに基づく推計で出産の250件に1件の割合に上ることが、日本産科婦人科学会周産期委員会(委員長・岡村州博東北大教授)の調査で判明した。


現在の日本で、出産のうち250件に1件は生命の危険がある、というのは、想像以上に多いなぁ、という印象。実数としては、妊産婦数が12万4595人、うち生命の危険があったのは2325人。
もちろん、そのうち実際に死亡に至る数は少なくて、うち20人。単純計算で10万人中16人。国の統計では10万人中6人くらいということだから、それよりはやや高く出ている。調査対象が「全国の同学会(筆者注:日本産科婦人科学会)卒後研修指導施設と救命救急センター」とのことで、高リスク出産を扱わない開業の産婦人科医院・産院を含まないため、そうなっているのだろう。
そういった偏りも含めて調整して算出した結果として、上記記事中の250人中1人に生命の危険、という結果を出したということだ。

現在の日本は、周産期医療については世界のトップクラスのレベルにある。
いわば、妊産婦の250人に1人は、出産時に自分の生命の危険に曝されている一方で、その救命率は高い。生命の危険に遭う前にそれを予測して回避する、例えば早いうちに帝王切開を選択したり、高リスクの妊婦の場合は妊娠期の早いうちから綿密な検査と継続的なフォローを行ったりすることも、広く積極的に行われている。(参考:帝王切開増加と少子化の関係
しかし、逆に言えば、救命率の高さゆえ、実は出産とは今も昔も体を張った仕事で、自分の命をも賭ける可能性がある、ということを忘れがちでもある。それだけ回避の方法をとっていても、なお250人に1人、年間に2300人が、いわば「死ぬかと思った」思いをしているわけである。それらの例の予後についてはこの記事では述べられていないが、死には至らないまでも、脳出血の例などでは後遺症が残った人もいる可能性がある。

現在の日本でも、出産が命懸けであることは変わりがない。出産そのものは昔から変わっているわけではない。ただ、どんな場合に危険なのかの判断や、判断の材料となる検査や機械の進歩、その危険をどうやれば回避できるかの技術などが良い方に変わってきただけなのだ。
そこがどうも忘れられがちになっているような気がする。
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2007年01月30日

夫婦別姓法制化に関する調査結果に思う

夫婦別姓法制化に関する調査の結果が出ている。

夫婦別姓制度:容認派減り、反対派増える 内閣府世論調査−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ
asahi.com:選択的夫婦別姓、賛否は拮抗 内閣府調査�-�暮らし
夫婦別姓、法改正反対派増え賛否が拮抗…内閣府調査 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

この調査報告の全文については、内閣府ホームページ「家族の法制に関する世論調査」で読むことができる。

報道によれば、夫婦別姓を法的に認めるかについて、5年前の結果と比較すると、認める方向への法改正に賛成の割合が減り、反対の割合が増え、ほぼ同率で拮抗する結果となった、ということだ。
これの詳しい内容について、ホームページで公表されている結果では、以下のようになっている。(前の数字が平成13年調査、後の数字が今回の平成18年調査)

 ・婚姻をする以上,夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗るべきであり,現在の法律を改める必要はない  29.9%→35.0%
 ・夫婦が婚姻前の名字(姓)を名乗ることを希望している場合には,夫婦がそれぞれ婚姻前の名字(姓)を名乗ることができるように法律を改めてもかまわない 42.1%→36.6%
 ・夫婦が婚姻前の名字(姓)を名乗ることを希望していても,夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗るべきだが,婚姻によって名字(姓)を改めた人が婚姻前の名字(姓)を通称としてどこでも使えるように法律を改めることについては,かまわない  23.5%→25.1%

夫婦別姓が法的に認められた場合、夫婦別姓としたい人にとっては朗報である。しかし、別に夫婦別姓にするつもりがなかったり、あるいは結婚自体するつもりがない人にとっては、率直に言ってどうでもいい話である。それによって大きな不利益を被ることもない。事務が多少煩雑になる可能性はあるが、それも多少の話にすぎない。しゃかりきになって反対するほどの理由ではなかろう。
しかし、実際には、かなりの割合、約3分の1が反対の立場、夫婦は同姓を名乗るべきだ、という考えである。
また、通称で別姓を使えることはいいが、戸籍上では同姓であるべきだ、という考えの人も4分の1だ。
仕事などの現場で夫婦が別姓でも構わない人は半分以上いるが、一方では、戸籍上では夫婦は同姓であるべきだ、という人もまた半分以上なのである。
すなわち、半数以上が、「自分とはなんの関係もない人物であっても、世の中に戸籍から夫婦別姓を名乗る奴がいるのは看過できない」という意見だということである。

さて、このように「戸籍上の夫婦が別姓であることは認められない」という人は多いが、その理由はなんなのだろうか。
それについては、上記内閣府ホームページの調査結果にいくつか興味深い項目がある。
この調査では、他に、以下のような項目も調査されている。

 1)家族内で別姓があると家族の絆に悪い影響をすると思うか
 2)姓の異なる配偶者の親たちとの関係に悪い影響があると思うか
 3)夫婦別姓の場合、子に悪い影響があると思うか

このうち、最初の2項目、1)と2)については、「影響がないと思う」と答えた人が十分に多数。1)は56.0%、2)は77.2%。
対して、3)については、66.2%が「影響があると思う」と答えている。
しかし、一方では、「子どもに影響はないと思う」という人の割合は、過去調査と比較すると、どんどん上昇している。
家族内の絆にはそう影響がないと思う一方、子どもへの悪影響はある、と考えている。とすると、この子どもへの悪影響とは、家族内ではなく外部からの悪影響ということであろう。法的な不利益などはないわけだから、体裁の悪さやいじめの対象になり得ること、受験や就職への影響などを想定しているのだろうか。どうもぴんとこない。
分かることは、特別はっきりした根拠はないが、なにか夫婦別姓に対してバッシングに類する社会的圧力が存在するんじゃないだろうか、という、漠然とした不安が広く存在する、ということだけである。

私自身は、自分は別姓を選択したいとは全く思わなかったし、既に結婚しているので今から当事者になることはまずないだろう(ないことを願いたい)が、夫婦別姓にしたい、と願う人の望みを実現することについては賛成である。
一方、夫婦別姓に対して反対の人も多数いることも理解できないわけではない。実際に、夫婦別姓を認める、すなわち家族内で姓の違う人物が存在する、ということに対して、抵抗感がある人もいるだろうことは分かる。この平成の世ににおいても、いまだ家、家系、血筋や家柄という価値観から免れ得ない人も存在しないわけではないし、こういう考えを変えさせることはまず不可能だ。非常に深い、人格の根源的な部分に根ざすからである。
しかし、一番分からないのは、特に夫婦別姓を否定する根拠をもたないのに、なんとなく夫婦別姓の法制化、つまり他人が夫婦別姓を選択することを忌避する人が存在するらしい、ということなのである。

そこには「夫婦別姓はなにか怖い、よくないものだ」という幽霊がいるんじゃないだろうか。
幽霊相手には、どんなに武器を振るっても倒すことはできない。幽霊などいない、と信じることでしか消すことはできない。


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2007年01月11日

結婚のモチベーションと経済力

MSN毎日インタラクティブより 雑記帳:「結婚したくない」が急増 成人式調査
◇結婚情報サービス「オーエムエムジー」が8日に成人式を迎える独身男女587人に恋愛・結婚観を聞いたところ、「結婚したくない」が20.6%を占め、前年の16.5%を大幅に上回った。


という小ネタのニュース。

文中からは、「生涯結婚したくない」のか「当面結婚したくない」のか、設問が分からない。調査した「オーエムエムジー」のサイトに行ったが、調査結果の概要については情報があったものの、設問や細かい結果の数値までは掲載されていなかった。
とりあえず、「生涯結婚したくない」ものと仮定する。19〜20歳だったら「当面結婚したくない」ほうが圧倒的に多いだろうし。

上記のニュース記事によると、結婚したくない理由のトップは、男性の場合「金がかかる」(52.7%)、女性は「一人のほうが気楽」(63.6%)だそうである。ちなみに、上記の「オーエムエムジー」のサイトの情報によると、男性側の主な理由として、お金の他に「自信のなさ」も挙げられている。

この結果だけから見ると、男性は経済力があれば結婚へ向かい、女性は経済力があればあるほど結婚から遠ざかるかのようだ。
「一人のほうが気楽」などと言えるのは、経済的な不安がないからに他ならない。仕事につけず食い扶持にも困るような状況であれば、親にでも男にでもすがりたくなる。実際に仕事をもっていたり、大学などを卒業後に就職して自分で稼ぐ気があればこその、この発想である。

経済力*1のある男と経済力のない女が結婚することは、よくあることだった。大黒柱の夫と専業主婦の妻という組み合わせである。これは互いに需要と供給が合致していた。
では、経済力のない男、経済力のある女はどうなるのか。
経済力のない男は、経済力のない女の組み合わせはどうか。もちろん互いに好きになって結婚し、貧しいながらも二人で頑張っていこうね、というのはありだ。だが逆に言えば、それしかありえない。需要と供給はそこに存在しない。
経済力のない男と経済力のある女は、一瞬よい組み合わせのように見えるだろう。ところが、男側の需要はあっても、女側の供給はない。経済力さえあれば、結婚するより一人でいるほうがずっといいからだ。

調査結果からは、そういうことになる。

この、女側の心理は、よく理解できる。
結婚なんて、せずに済めばそれに越したことはないのだ。やむを得ない事情やら理由やら圧力やらがなければ、できればしたくない。大多数とは言わないが、そう思っている女性は少なくはない。
昔(といっても現在の50〜60代くらいまでだろうか)は、そういったボーダーラインの女性に対して、さまざまな社会的家庭的圧力がかけられ、「できればしたくない、じゃ済まないんだから」と嫁に出していた。結婚は積極的にするものだし、することが大人としての義務、とまでは言い過ぎだが、社会における大人としての役割だとされていた。
そういった圧力が減れば、結婚しない人、したくない人が増えるのも当然だろうと思う。

だが、社会的に結婚に向かわせる圧力がある状態が好ましいとは全く思わない。
結婚が減り、出産が減り、若い世代が減ることは、現在のような個々の自由を尊重する世の中では当然起こってくる。そのことを前提にした上で社会的システムを変化させていくしかないんじゃないだろうか。
「一人のほうが気楽」な人を結婚する気にさせるには、よっぽど「一人より二人のほうがお得*2」と思わせるしかないと思うが、そんな方法があるとも思えない。


*1:ここで言う「経済力」とは、生活費を手に入れる能力や現に資産を持っているかどうか、すなわち生活するために必要な金を用意する力を指すとする。

*2:金銭的な得とは限らず、もっと抽象的な意味でも。



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2006年12月04日

帝王切開増加と少子化の関係

先日、日経新聞に掲載された記事より。

6人に1人が帝王切開・昨年9月の妊婦
今回の調査では、2005年9月中に国内で出産した妊婦の6人に1人が帝王切開だったこともわかった。少子化で出産の全体の数が減るなかで、帝王切開の割合は過去約20年間で倍増している。
(上記記事より引用)

この記事中で述べられている「今回の調査」とは、次のリンク先ニュースで取り上げられている、厚生労働省の2005年医療施設調査のこと。(紙上では下記の記事がメインで、それに付随する囲み記事の形で上記の記事が掲載されていた都合。)

病院の小児科、ピークから2割減・05年医療施設調査

この記事も、小児科や産科の減少をはっきりと表していて興味深いのだが、今回特に個人的に興味をそそられたのは、冒頭の帝王切開の記事であった。

帝王切開の割合が右肩上がりに増加している事情について考えられる理由として、上記の記事では、
 1)高齢出産、不妊治療後などの高リスク出産の増加
 2)訴訟を避けるため、早めに手術に踏み切るケースの増加(医療側の事情)
をあげている。
自分はこの他の要因として、
 3)帝王切開手術・麻酔の技術向上や薬品の改良による手術自体の安全性の向上
 4)妊娠週数の短い早期の出生児に対する治療法、救命率の改善
 5)妊婦側の安全に対するニーズの上昇(逆子、多胎児出産など)
というところもあると考える。
いずれにしろ、妊婦側、医療側の双方からのニーズがあり、その目的は、より安全な出産を、より健康な出生児を、ということであるから、自然な流れといっていい。

だが、個人的な考えだが、これは少子化と相関する事象ではないか、とも思う。
自分自身、2回の出産はいずれも帝王切開であった。
1回めの時、妊娠中毒症のなりかけのため、帝王切開になった。ただ、当時の医師からは、「ちょっと血圧が高いね」とか「赤ちゃんがなかなか下りてこないね」程度の話しか聞いておらず、出産予定日に「これは帝王切開だねぇ」と言われた。*1 結果的には、この時点で帝王切開にしてよかった、という事例だったとは思う。
2回目の妊娠は順調で、臨月になって血圧が上がってくることもなかった。しかし、初産時帝王切開だったため、反復帝切ということで、有無を言わせず帝王切開となった。ただ、前回帝切でなければ、正常分娩で産めるケースだったのかもな、と今でも思う。
このように、初産で帝王切開になると、安全のため、ほとんどの例でそれ以降の出産は帝切となる。1回め、2回めが帝切であれば、3度目以降に帝切はほぼありえない。*2
したがって、初回の帝切が増えれば、自動的に帝切全体の数は増える。

加えて、帝王切開は、母親にとって次の出産をためらう要因となりえる。
帝王切開は2度までだの3度までだのという噂(あくまで噂なのだが)を耳にしたり、次の妊娠が早すぎると子宮破裂が怖いなどという話を見かけたりする環境。加えて、「帝王切開なら痛くなくてよかったね」などの周囲の心ない言葉や、正常分娩で産めなかった、という自分自身への不全感に悩む人もいる。少なくとも、自然分娩に比べると、次の妊娠出産へのモチベーションは下がりやすい。

帝王切開が増えている状況自体は憂うべきものではないと思う。むしろ、これまでは危険があっても強行突破で自然分娩していた例が、より安全に早いうちに帝王切開に移行したり、予定を組んで帝王切開にしたり、というケースも増えているだろうから、その点ではむしろ歓迎すべきだと思う。
ただ、それが間接的にではあるが、少子化のベクトルに関与する可能性もあるのかもしれないな、という印象は持った。

*1:そのあたりは過去のブログにもうすこし詳しい経緯を書いている。以下のリンク→http://azumy.way-nifty.com/blog/2003/09/by_c7ef.html

*2:初産時に正常分娩であれば、2回めが帝王切開だとしても、3回目の出産で正常分娩にトライすることは十分に可能である。一度でも子宮口が十分に開大して新生児がそこを通ったか、が問題であるからだ。

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2006年11月22日

病気腎移植の惜しい展開

しばらく前からいろいろと書かれている病気腎移植のことが気にかかっていた。

気持ちの上で引っかかるものがあるにはあるが、個人的には、病気腎移植そのものを否定する気持ちにはならない。
実際、肝移植の世界では、既にドミノ移植というものが何度か行われている。
これは、健康な肝臓を肝臓疾患で移植が必要な人に移植し、その病気肝を別の移植が必要な患者に移植する、という方法である。
なぜ病気の肝臓をさらに他人に移植するのか、ということについては、理由がある。
ドミノの真ん中にあたる人、つまり移植を受けると同時に病気肝を提供する人の疾患は家族性ポリアミロイドニューロパチー(FAP)という病気に限られる。この病気は肝臓が作り出す異常なタンパク質のために病気が起こるのだが、発症までに20年程度の長い期間があるとされている。*1このため、現時点で肝移植を受けないと近い将来に死亡するという患者の場合、ドミノ移植を受ける意味がある、ということにもなる。
しかしそれは、生き続けていれば将来に間違いなく別の病気(FAP)の発症を免れないことでもあり、健康な肝臓を最初から移植されるほうがいいに決まっている。しかし、脳死移植が可能であっても移植に提供される肝臓が移植の必要な患者数に対して潤沢とはなり得ず、ましてや脳死移植が進まない日本では、移植しないで死ぬよりはドミノ移植のほうがいい、という事情も現実にあるのである。

そんな事情を思うと、病気腎であっても、きちんと機能するなら移植してもいいじゃないか、癌があってもその部分を除いて再発の可能性を非常に小さくしてレシピエント側が納得するならば移植に使ってもいいじゃないか、という意見も、それはそれで筋が通っていると思うのである。
それでも、万波誠医師のやり方がベストだったとは思えなかった。
それがもっとも引っかかるところだった。
その引っかかりが何か、なかなか自分でつかめずにいたのだが、先日このような記事を見た。

病気腎移植:1例目はがん患者提供 万波医師が明らかに

毎日新聞が万波医師自身に行ったインタビュー記事。
この中から自分の琴線に触れた部分を引用する。

 −−国が規制をしなければ、今後も続けていきたいという気持ちはあるのか。

 もちろん。捨てるんじゃからな。やるべきじゃないか。ただ認められるのなら組織的な方法をとらんといけないと思う。


 −−病気腎移植が理解されるためには何が必要か。

 腎臓を摘出すべきかどうかという適応基準だ。そこの判断が非常に難しい。医師の裁量権をどこまで認めるのか。(摘出すべきでない場合も)医師の説得で患者がその気になる恐れもある。それを書面に残しても意味があるだろうか。


 −−死体腎も含め移植機会を増やすにはどうしたらいいと思うか。

 私は目の前にいる患者さんを毎日精いっぱい診ているだけ。日本の移植医療をどうするかなんて考えたこともない。


万波医師は病気腎移植に問題があることについてきちんと認識していることが読み取れる。
続けるなら組織的な方法を構築する必要性や腎摘出の基準を明確にすること、医師の裁量を認めすぎることは危険であることもインタビュー内容からは十分理解していると読める。
しかし、学会にも所属せず、生殖医療の根津医師のような表立ったパフォーマンスもせず、ただ目の前の患者さんのことを淡々とこなす。病気腎移植を一般的に認められる医療にしたい、という意志は全く見られず、問題があることは分かっているから、ただ隠れてこそこそと行う。

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2006年10月29日

ブルーベリーではなくてポップアップの落とし穴

ブルーベリーと紹介なんと毒物だった - 芸能ニュース : nikkansports.com

 テレビ東京が27日、同日午前6時45分から放送した「おはスタ」番組中でブルーベリーと紹介した植物が、食べるとおう吐などが起きる「ヨウシュヤマゴボウ」と分かったため、注意を呼びかけた。

というニュースがあったのですが、幼少時、ヨウシュヤマゴボウなど家の周りにこれでもかと生えていてよく見ていた身からすると、どこをどうやったらブルーベリーと間違えるのかと。実の大きさや形が全然違います。
もしかしたら、子どもに「これブルーベリーだよ!」と言われたTV局のスタッフが、実は生のブルーベリーを見たことがなく、ジャムや砂糖煮のイメージが「ああ、こんな感じの大きさだったよな」と思って、そのままろくに調べもせず放送してしまったのかもしれません。それでも十分にトンマでありますが。

そこまでは「あーあ、困ったもんだ、やっぱり民放は(人的財産含めて)子ども向け番組には手をかけてないなー」と偏見たっぷりに思うだけですが、この件で新たに気がついたことがあったのです。

ニュースによると、
同局の夕方のニュースやホームページで食べないように呼びかけた。

とのことだったので、該当ホームページを見に行ったのですが、どこにもその注意は書いてありません。それ以前に、クリックできる場所がありません。
あれ、これどこにも注意書いてないじゃん?と思って、別のページなどもさまよったあげく、しばらくして気がついたのには、ブラウザの情報に「ポップアップがブロックされました」と表示されていたのでした。
そこをクリックしてポップアップを許可したら、案の定、ポップアップに件の注意が書いてありました。

この手の注意やお詫びの類は、プッシュ情報(送り手側から強制的に送りたい)にあたるはずなので、目立つポップアップを使うこともいいのですが、今どき広告などを排除したりセキュリティレベルを上げるためにブラウザ側でポップアップを抑制している人も多いはず。
ポップアップだけでなく、トップページにちゃんと注意を書くことが重要なんじゃないかと思うわけです。
ちなみに、テレビ東京のサイトのトップページには、ページ右上の更新情報欄に「 「おはスタ」に関するお詫びと訂正」というタイトルで小さく書かれていますが、そこをクリックして出るのは結局上記の「おはスタ」公式ページなのです。

そんなことが勉強になったニュースでした。
勉強しても自分がそれを生かすチャンスはたぶんないのですが。
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2006年10月23日

代理母を守れ 〜代理出産問題に関連して

ここまで代理出産についての記事をまとめて書いたところ、次のブログ記事よりトラックバックをいただいた。

「Because It's There」より
代理出産(代理母)による法律関係〜「代理出産禁止」を見直しを含め再検討へ

反論ということだが、どちらかというと当方の特に法的知識の足りない部分を補ってくれるようなよい記事で、大変勉強になった。
記事を書いた方は、反論とおっしゃっているところから代理出産賛成ということなのであろうが、上記の記事では、主に倫理的な面には言及せず、法的な面から、現状の立法や司法の流れについて解説している。

これについて、自分の記事への補足を兼ねて、短いがご返答したい。

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タグ:代理出産
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2006年10月21日

代理出産はエゴイズムの固まりだ……反対の立場より(その3・結)

代理出産に関する記事の続き。

ここまで、私は、代理出産の問題点ではなく、主に代理出産希望者の問題点について述べてきた。
代理出産に頼らねば実子をもてない状況にある人について、その気持ちは分からないでもない。生物学的な本能として子を残したい、自分の遺伝子を残したいという欲求をもつことは、ごく自然なことでもある。
しかし、それを実現するための手段としては、現状、他者を傷つけ、危険に晒し、苦痛を与える方法しかない。
死や病気の恐れはそうそうあるものではないとしても、代理母は、つわり、身体の倦怠感、貧血といった変化からは逃れられず、約300日にわたって生活を大きく制限されるのだ。腹の中が自分の子ならまだ自己責任の範囲で、というところもあるが、他人のお子様となるとそうもいかない。そして出産時には腹にメスを入れられる。

それでも代理出産を依頼してしまう人がいるのは、なぜなのだろう。
これまでの記事で、私はそれをエゴイズムだとしてきたが、実際には、「他人に何が起こってもどう苦しんでも、自分さえ欲しいもの(子)を手に入れられればそれでいい」と思っているわけでは、決してないと思うのだ。
彼女らは、冷静にものを見られなくなっているだけなのだと思う。
自分の希望することがいかに他人を傷つけることなのか、なぜ多くの国や地域で禁止されたり厳しく制限されたりしているのか、理解しようとしていない、理解したくないだけなのだ。
「子どもが欲しい」という欲求の肥大、妄執のあまり、代理母の背負う苦しみや、代理母をせねばならなかった立場、そして自分が子どもをもたなかった場合に訪れる人生、そこに悲しみだけでなく新たな可能性もあることに、目を向けられなくなっている。

そのような状況に人が陥ったとき、自分だけで這い上がろう、自分の力だけで目を開こうとするのはとても困難だ。特に、代理出産を依頼する人の場合、悪性疾患にかかるなど、既に精神的危機を経験している人が多く、そのぶん出産不能となった自分自身に対する喪失感、敗北感、不全感が強い。独力で乗り越えるにはあまりにも重い。
だからこそ、その人の周囲の近しい人間が、道は一つだけではない、いくつもの道が行く先につながっていて、見た目の形は違えど、それぞれの行く先に良いことがあるはずだ、ということを伝えねばならない。場合によっては専門家の力も借りて。
本人のことを思うなら、結果として実の子をもつかどうかが重要なのではなく、本人自身の気持ちが和らぐことが大切であり目的なのだと分かるはずだ。

代理出産というのは、そういった周りの努力が足りなかった結果、行われる。
報道によれば、今回代理母となった50代の母親は、娘に子宮摘出の手術を説得する際、「私が代わりに産んであげるから」と言って説得したそうだ。おかしな話だ。なぜそこまで娘を想う母親なら「孫を得られないことよりも、あなたを失うことのほうが私にとっても辛い。あなた自身のほうがまだ生まれてもいない子より大切な存在なのだ」と言えないのだ。
また、向井亜紀さんについての報道を見聞きすると、同じく有名人であるはず夫の影が大変薄い。実際、夫にとっては、子どもは必須ではなかったようだ。頑固に突っ走る妻に対して、夫は説得力のある話をしてブレーキをかけることができず、ただ流された。そんな印象だ。
もちろん、近親者が嘆き悲しみ、その解決方法が他にない、となれば、情に流されるのは無理もないことである。しかし、もしそれが法律で禁止されていることであれば、通常はそこで踏みとどまるであろうし、大切な者が法に反しないよう、心底から説得に当たるはずだ。現時点では日本では代理出産は法的に禁止されていないが、禁止すべきという意見、また解禁するとしても厳しい制限が必要だという考えが主流であることは明らかである。法律で禁止されている生体臓器売買や人身売買とは紙一重なのだ。
子宮を失って傷ついた妻や娘をフォローし、実の子はないけれど落ち着いた人生をともに暮らす夫や母も現にいるのだ。表に出てこないだけで。

そういったことから、私は、代理出産を認める前に、すべきことがあると考える。
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タグ:代理出産
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2006年10月19日

代理出産はエゴイズムの固まりだ……反対の立場より(その2)

この前の、代理出産に関する記事の続きである。

前の記事で挙げた、代理出産における当事者のエゴイズムを現していると思う項目

1)自分の子を得るために他人の健康を害することを厭わない。
2)得たいのは自分の血をひく子であり、養子であってはならない。

のうち、2)について。


「子どもが欲しい」という言葉。不妊者に限らず、よく普通に使われている言葉であるが、妊娠する可能性が全くない完全な不妊者、具体的には子宮がなかったり、卵巣や妊娠可能な卵自体を持たなかったり(極端ではあるが、男性同士カップルの男性なども含む)して、なおかつ本人がそれを自覚している人が、それを発言した場合、その内容はいささか複雑である。
通常の妊娠出産は不可能である、という前提にもとづくと、その言葉の真意を分けてみると、こんな感じになるかと思う。

1.自分の遺伝子をひいた子どもをもちたい。
2.育児をしたい。子どもを育てたい。子どものいる生活をしたい。

1.と2.の両方を同時に感じる場合はもちろんある。というより、多数であろう。
が、代理出産を希望する人が、養子をとることを考慮せず、自分の血をひく子に拘るのは、その人の中では1.が重要である、ということになる。
もらいっ子では、楽しく子育てなんかできない、きっとうまくいかない、とどこかで思っているのである。

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タグ:代理出産
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2006年10月17日

代理出産はエゴイズムの固まりだ……反対の立場より(その1)

ここのところ、代理出産に関するニュースをよく聞く。
さっと挙げてみると、このあたり。

50代母、30代娘の卵子で「孫」を代理出産…国内初 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

代理出産の50代、「娘のため」危険承知 : ニュース : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


向井さん夫妻の双子代理出産、出生届認める…東京高裁 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

代理出産で品川区が許可抗告、「頑張る」と向井さん

こういった報道を見ていると、正直、なんとも言えない嫌な気分になる。
抵抗感や違和感といった言葉では足りない、嫌悪感である。
こんなことを言うからには当然、私は代理出産反対の立場である。早急に法的に代理出産を禁止してほしいと思っている。

代理出産にシステム的倫理的に問題が多いことは、既に各所で指摘されている。
その点については、最近に読んだこのブログ記事が大変よく考えられてまとまっており、ここで新たに述べるべきこともないので、下記にリンクを置く。

blog「備忘録です。あしからず」より 代理母の問題点
http://agnos.blog16.fc2.com/blog-entry-13.html

さて、私が代理出産に対して感じる嫌悪感、気持ち悪さは、そういった問題が多々あるにもかかわらず、自分の血をひく子どもを得る(持つとはあえて言わない)ことにこだわるエゴイズムの強さに対して感じるものだと思う。
このエゴイズムの現れは、以下の2つに集約できる。

1)自分の子を得るために他人の健康を害することを厭わない。
2)得たいのは自分の血をひく子であり、養子であってはならない。

まず、1)について。

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タグ:代理出産
posted by あずみ at 11:23| Comment(9) | TrackBack(0) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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