2007年01月25日

何歳から一人で外に出すべきなのだろうか

自分の子らもだんだん大きくなってきて、いつごろから一人で外に出そうか、と考えている。
下の娘は3歳だからまだまだだが、上の娘は年中、次の春には年長になる。既にぼちぼちと単独で家の外に出かけるようにはなっていて、歩いて2〜3分のスーパーまで一人で「はじめてのおつかい」に行って成功したこともある。
身体を動かす遊びが好きな子だから、もっと公園などに連れていってやりたいのはやまやまだが、通園バスの時間の関係で、幼稚園から帰ってくるのは小学生と同じくらいの時間。既に夕方になりかかる頃で、親が一緒に公園に行ってやるにはちょっと遅い。
一人で近場の公園まで行けるようになればいつでも遊びに行けるのだが、それは何歳ごろなのか。そこの見極めに迷っている。

自分の子どもの頃、今から30年ほど前のことを思い出してみたが、参考になりそうにない。
まず、当時の住まいは家の規模にしてはけっこう広い庭のある一戸建てだったので、公園まで行かなくても、家の庭で遊んでいて十分に満足に遊べた。庭に小さな砂場もあった。
もう少し大きくなって、一人遊びがつまらなくなると、近所の子と一緒に、家の前の路地で遊んでいた。住宅地内の未舗装の路地なので、よっぽど車は通らなかった。やがて道は鋪装されたが、やはりあまり車は通らず、近くにオープンな空き地もあったので、遊ぶには困らなかった。よくゴム飛びやかくれんぼなどをやっていた記憶がある。

ちなみに、私の実家と現在の住まいの環境は、ある意味よく似ている。30年前には一面田んぼや畑ばかりの中にやっと拓けた新興住宅地のはしりだったが、15〜20年ほど前から急速に田畑が消えはじめ、最近は次々にマンションや分譲一戸建てが立ち並ぶようになってきた地域だ。

今はどうか。
まず、一戸建て自体があまりない。現在の住まいもマンションだ。なんとか一戸建てに住めたとしても、庭は申し訳程度にあるくらい。子どもの遊べるスペースはない。
そして、当時とは圧倒的に車の通行量が違う。家と家の間の狭い路地でも、抜け道として結構なスピードで車が走り抜けてゆく。とても路地では遊べない。路地が狭くて歩道もないぶん、子どもを一人で歩かせるのでもびくびくものである。
この時点で、自分の子どもの時とは明らかに状況が違う。外で遊ぼうと思うと、まず公園まで行かねばならない。公園まで一人で行かせるなら、それなりの覚悟が必要である。途中の路地で交通事故に遭う可能性、不審者に出会う可能性。公園に不審者が来る可能性もある。
昔のように、家にいても子どもの声が聞こえるような、もし何かあったらすぐに家まで誰か友達が声をかけにきてくれるような、そんな環境で外遊びさせるというのは、環境にもよるが、事実上無理なのだ。

昔は良かった、と言うだけならば誰にでもできる。
昔はこういうことができたのに、今できないのは○○が悪いんだ、と文句を言うことも誰にでもできる。
しかし、世の中は常に変化している。
昔のことを持ち出して、昔はこうだった、昔は良かった、だから昔のようにしよう、と言っても、そんなことはできっこない。現状があるのは、それなりに理由がある。一つの原因だけで現状があるのではない。
例えば、今回の外遊びの話ならば、車を減らせばいい、住宅地は歩行者専用にすればいい、なんて簡単な話ではないことは明らかだろう。住宅地に住んでいる人の車はそこを通らないわけにはいかないのだから。

今の子どもたちは室内で遊ぶことが多く外遊びが少なくなった、ということもしばしば言われるが、上記のような状況があるのだから、それも当然だ。
たまに夕刻に公園へ行くと、小学生くらいの集団が自転車で遊びにきていることがある。その多くが男子である。女子はほとんど見かけない。就学前の小さな子では男児も女児も同じくらい見かけるのに、小学生となると、見かける女子の数が明らかに減る。
私の近くの公園がたまたまなのかもしれない。が。

窮屈で暮らしにくい世の中だって、今自分がそこで生きているのなら、そこでできることをやっていくしかない。
昔はこうだった、昔はよかった、なんてことは、参考にはなっても解決には決してならない。
何もかもが違いすぎる。


タグ:育児
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2007年01月11日

結婚のモチベーションと経済力

MSN毎日インタラクティブより 雑記帳:「結婚したくない」が急増 成人式調査
◇結婚情報サービス「オーエムエムジー」が8日に成人式を迎える独身男女587人に恋愛・結婚観を聞いたところ、「結婚したくない」が20.6%を占め、前年の16.5%を大幅に上回った。


という小ネタのニュース。

文中からは、「生涯結婚したくない」のか「当面結婚したくない」のか、設問が分からない。調査した「オーエムエムジー」のサイトに行ったが、調査結果の概要については情報があったものの、設問や細かい結果の数値までは掲載されていなかった。
とりあえず、「生涯結婚したくない」ものと仮定する。19〜20歳だったら「当面結婚したくない」ほうが圧倒的に多いだろうし。

上記のニュース記事によると、結婚したくない理由のトップは、男性の場合「金がかかる」(52.7%)、女性は「一人のほうが気楽」(63.6%)だそうである。ちなみに、上記の「オーエムエムジー」のサイトの情報によると、男性側の主な理由として、お金の他に「自信のなさ」も挙げられている。

この結果だけから見ると、男性は経済力があれば結婚へ向かい、女性は経済力があればあるほど結婚から遠ざかるかのようだ。
「一人のほうが気楽」などと言えるのは、経済的な不安がないからに他ならない。仕事につけず食い扶持にも困るような状況であれば、親にでも男にでもすがりたくなる。実際に仕事をもっていたり、大学などを卒業後に就職して自分で稼ぐ気があればこその、この発想である。

経済力*1のある男と経済力のない女が結婚することは、よくあることだった。大黒柱の夫と専業主婦の妻という組み合わせである。これは互いに需要と供給が合致していた。
では、経済力のない男、経済力のある女はどうなるのか。
経済力のない男は、経済力のない女の組み合わせはどうか。もちろん互いに好きになって結婚し、貧しいながらも二人で頑張っていこうね、というのはありだ。だが逆に言えば、それしかありえない。需要と供給はそこに存在しない。
経済力のない男と経済力のある女は、一瞬よい組み合わせのように見えるだろう。ところが、男側の需要はあっても、女側の供給はない。経済力さえあれば、結婚するより一人でいるほうがずっといいからだ。

調査結果からは、そういうことになる。

この、女側の心理は、よく理解できる。
結婚なんて、せずに済めばそれに越したことはないのだ。やむを得ない事情やら理由やら圧力やらがなければ、できればしたくない。大多数とは言わないが、そう思っている女性は少なくはない。
昔(といっても現在の50〜60代くらいまでだろうか)は、そういったボーダーラインの女性に対して、さまざまな社会的家庭的圧力がかけられ、「できればしたくない、じゃ済まないんだから」と嫁に出していた。結婚は積極的にするものだし、することが大人としての義務、とまでは言い過ぎだが、社会における大人としての役割だとされていた。
そういった圧力が減れば、結婚しない人、したくない人が増えるのも当然だろうと思う。

だが、社会的に結婚に向かわせる圧力がある状態が好ましいとは全く思わない。
結婚が減り、出産が減り、若い世代が減ることは、現在のような個々の自由を尊重する世の中では当然起こってくる。そのことを前提にした上で社会的システムを変化させていくしかないんじゃないだろうか。
「一人のほうが気楽」な人を結婚する気にさせるには、よっぽど「一人より二人のほうがお得*2」と思わせるしかないと思うが、そんな方法があるとも思えない。


*1:ここで言う「経済力」とは、生活費を手に入れる能力や現に資産を持っているかどうか、すなわち生活するために必要な金を用意する力を指すとする。

*2:金銭的な得とは限らず、もっと抽象的な意味でも。



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2006年12月29日

「塾禁止」に必須なのは学校の厳格な習熟度別コース化

教育再生会議での野依良治座長の「塾禁止」発言があちこちで取り沙汰されている。
asahi.comより 「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調
議事要旨によると、野依氏は「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだ。公教育を再生させる代わりに塾禁止とする」と再三にわたって強調。

該当の議事録(PDF形式)へのリンクはこちら

どちみち、仮に塾禁止などという提言を行ったところでそれが実現するはずもない状況なので、まあ年寄りの戯言か、という程度の話なのだが、あちこちで反応があるのは、それなりに何か言いたくなるような案だ、ということなのだろう。
自分も反応しているし。

もしも塾禁止になったら、学校教育現場はどのようになるか、ということを想像してみた。
ここでいう塾は、野依氏の言うように、落ちこぼれを救うものは除き、学校の勉強の範囲を超えて学ぶ進学塾のようなものを考える。
また、基本的に、義務教育である小中学校を想定する。高校以上は、そもそもそこで学ぶか学ばないかが個人の選択にかかっているので、極端なことを言えば、最初から高校に進まないで私塾で学ぶ、ということも可能であるためである。

まず、塾禁止ということにすると、では学校で教える勉学のレベルをどこに置くか、ということが重要となる。
現状では、学校のレベルが低くても、塾で補うことができるため、特に「ゆとり教育」以降は、平均的な能力の児童・生徒が楽に勉強できるレベルよりもやや低く設定されているように思う。
しかし、塾がなくなると、平均的な学力を引っ張りあげるために、平均よりもやや高めの水準を基本とすることになるだろう。水準が低いままだと、大多数の児童・生徒の力を十分に引き出せないことになり、結局将来的に日本国民の平均レベルがだんだん下がることになるからだ。

しかし、そうすると、当然のことながら、勉強に追いつけない子が今よりも多く出てくることになる。そういう水準に設定するから当然である。
そういう子のために落ちこぼれをすくい上げる塾が多くなるだろうが、それでは本末転倒であるから、塾なしでも十分に落ちこぼれをすくい上げられる仕組みを学校内に作らなくてはならない。
補習を増やすという手もあるが、それでは、議事録に出てくる放課後子供プランとやらと対立する。あくまで学校の正規の授業範囲でなんとかしなくてはならない。
そのためにできる方法は、厳格な習熟度別授業である。
小学校の早いうちから、能力別コースに分け、それぞれのコースに合わせた難易度の授業を行う。もちろんさまざまな判断方法によって、コース間の移動は適宜可能とせねばならないが、進度差が出るために頻回の移動は事実上難しいだろう。多くても学期単位程度が限度だろう。

このようなコース別のクラス分けは、塾でよくされている手法である。
つまるところ、よくできる子をより伸ばし、あまりできない子には丁寧に繰り返し教えてそれなりに伸ばす、ということを目指すなら、このやり方は適しているのである。
勉学に関する子どもの能力の範囲は広い。完全な発達障害を除いても、一を聞いて十を知るような子から、発達障害とのボーダーラインの子まで、公立校には広い能力の子が集まる。その能力のグラデーションのうちのどこに水準を置いても、聡明な子には物足りないし、勉学の苦手な子には難しすぎる。たった一つの基準でそれを回避する方法はありえない。
世代の集団全体のレベルを下げて、その世代が30〜40代になるころに、箸にも棒にもかからず世界と太刀打ちできない国にしてもいいつもりならいざ知らず、そうでないなら、学校教育の水準より高い能力をもつ子には、より高い教育を受けられる状況を用意しておかなくてはならない。
現在は公立小中学校には悪しき平等主義があり、すべての子が同等・同水準の教育を受ける、という建前になっているが、それではもの足りない、つまらない子を補うために塾が存在する。塾がなくなるなら、学校がその足りない部分をも補わねばならなくなるのは当然のことだ。

学校がそこまですれば、塾を禁止することも夢ではないかもしれない。
できるはずもするつもりもないだろうが。
タグ:教育
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2006年12月17日

図工に評点はなくてもいいと思う

自分はピタゴラスイッチや佐藤雅彦さんが好きなので、そのあたりを漁っていたら、このようなページに行き当たった。

がんばれ!図工の時間!!フォーラム
「がんばれ!図工の時間!!フォーラム」は、「図工の時間」の応援団です。

 私たち「がんばれ!図工の時間!!フォーラム」は、子どもたちが期待している図画工作(※1)が、保護者=社会から期待されていない(※2)という事実に、強い危機感を抱いています。

(上記ページより引用)

申し訳ないが、自分も「学校の図工」には期待していない一人。
確かに図工自体は子どもにとって楽しいものだし、手先や道具を使うことや、絵を描くためにいろいろと観察することは、子どもの発達にとって有意義なことだ。また、多人数で大作を作ったり、個人では通常もっていないような道具を使うなど、自宅ではできないが学校ならばできることもいろいろとある。

しかし、それに評点をつける現行の「学校の図工」は必要だとは思わない。
続きを読む
タグ:図工 教育
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2006年12月13日

NHKこども番組プロデューサー、大麻所持で逮捕される


NHK職員を大麻取締法違反の疑いで逮捕


NHKの職員が大麻を所持していて捕まったというニュース。覚醒剤も一緒に持っていたらしい。
このニュースの中で、
NHKによると、猪瀬容疑者は86年に入局し、おもに教育番組の制作を担当していた。

という一文があったので、気になった。おそらくNHK教育の番組という意味なのだろうが、別の報道ではこども番組制作という話もあった。いったい大麻やら覚醒剤やらでラリっている者がどんな教育的番組を作っていたのだろうか?
というか、きちんと作れるのか?

と思っていたら、このような記事が見つかった。

ブログ「天漢日乗」より NHKのこども番組担当PD 大麻所持で現行犯逮捕 覚醒剤も所持か

こちらによると、逮捕されたのはNHK制作局青少年・こども番組部のディレクターなのだが、プロデューサーとして名前が出ているのは、何年も前の「天才てれびくん」の1コーナーだけだそうだ。
なーんだ。

「天才てれびくん」(現在は「天才てれびくんMAX」)は、常々箸にも棒にもかからない、どうにもならない番組だと思っていて、たぶん他からとばされた人が作ってるんだろうなぁ、見ていてもなんというかやる気が感じられないんだよなぁ、と思っていたが、なにかそんなごく個人的な印象が裏付けられてしまったような気がする。

タグ:NHK教育
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2006年12月11日

教員の保護者評価には果たして意味があるのか

保護者による教員の指導力の評価を導入する、という方向で行政は話が進んでいるらしい。

教員指導力:保護者も評価へ 教育再生会議が中間報告案−行政:MSN毎日インタラクティブ

YOMIURI ONLINE: 教委設置義務の撤廃見送り、規制改革会議が最終答申案
 同会議は、安倍内閣が教育再生を重点政策としていることを踏まえ、教育分野で、〈1〉生徒や保護者による教員評価や学校評価を法令で義務化する〈2〉中央教育審議会が提言した教員免許更新制度を、不適格教員の排除を可能な制度とする――ことなど、中間答申より踏み込んだ内容も最終答申案に盛り込んだ。
(上記リンク先、YOMIURI ONLINEより引用)

この方向性は、非常に不安である。
なぜなら、評価する保護者の側が、公正かつ冷静な立場で評価ができるわけがないと思うからだ。
ここでの指導力というのを、教え方のわかりやすさや教科の理解力といった、純粋に教科に関する学力だけの問題だと限定すれば、それに対して多少なりとも評価することが可能なのは、実際に授業を受ける児童・生徒だけであろう。親が子どものテストの点や教科の理解度を見ても、それが先生側の問題なのか、それとも子ども側の問題なのか、切り分けることができるはずがない。授業内容を又聞きしても、子どもが正確に伝えない限り、その伝聞内容から指導力のレベルを推し量るのはまず無理であるが、中学2〜3年生ならともかく、小学生の子どもにそんなことを期待するのが無理な話である。

おそらく、この程度の役割しか果たせないであろう保護者の評価で明らかに悪い評価を得るような教員であれば、保護者に聞くまでもなく、同僚や上司(校長、教育委員会など)から見ても言い訳のきかないような指導力不足が見て取れるはずだ。
現在、指導力不足の教員の処分が意外と少ない、ということが問題とされているようなのだが、これは教育現場においての運用が不十分だということであり、評価の仕方自体が甘くなっていることとは別の問題があると思う。
保護者の評価が行われても、その結果を見て処分を決めるのは当事者である教育現場に他ならない。処分を基準を曖昧にしていれば現状と変わらないし、かといって「何人の保護者から×がついたら処分」などという話になったら、保護者たちが簡単に組織票で"気に食わない"教員を処分することができることになってしまう。それはひどい話だ。

外部からの目が必要、ということであれば、利害関係の大きい立場にいる保護者ではなく、少なくとも教育に関する知識をある程度持った第三者が評価すべきである。保護者評価を導入しても、何も変わらない。
むしろ、上記の組織票の例のように、悪い方に向かう可能性すらある。保護者たち自身、レベルはピンキリなのである。自分の子をひいきする教師に良い評価をつけ、子どもを公正に扱う教師に悪い評価をつける保護者だっているに違いない。そういう保護者は、時として地域社会で力をもち、他の保護者たちを動かす力を学外で持っているケースがある。
つまるところ、学外の力関係を学内に持ち込むだけの結果になるかもしれないのだ。

教員の評価を学内の関係者以外が行う、という考え自体が完全に間違っているというわけではないと思う。
しかし、誰が評価をするのか、については慎重に考えるべきではないだろうか。
少なくとも保護者がするべきではないだろう。保護者は期待されるほど公正でも冷静でもないし、的確な判断力を持っているとはいえない。
保護者の大多数は子どもの親であり、親たちは大抵自分の子のこととなると、広い視野で大局的な判断をすることが難しく、多かれ少なかれ感情的な判断に傾きがちなものであるからだ。

この問題については、やがて小学生の保護者になるであろううちの一人として、そう感じている。
タグ:教育
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2006年12月04日

帝王切開増加と少子化の関係

先日、日経新聞に掲載された記事より。

6人に1人が帝王切開・昨年9月の妊婦
今回の調査では、2005年9月中に国内で出産した妊婦の6人に1人が帝王切開だったこともわかった。少子化で出産の全体の数が減るなかで、帝王切開の割合は過去約20年間で倍増している。
(上記記事より引用)

この記事中で述べられている「今回の調査」とは、次のリンク先ニュースで取り上げられている、厚生労働省の2005年医療施設調査のこと。(紙上では下記の記事がメインで、それに付随する囲み記事の形で上記の記事が掲載されていた都合。)

病院の小児科、ピークから2割減・05年医療施設調査

この記事も、小児科や産科の減少をはっきりと表していて興味深いのだが、今回特に個人的に興味をそそられたのは、冒頭の帝王切開の記事であった。

帝王切開の割合が右肩上がりに増加している事情について考えられる理由として、上記の記事では、
 1)高齢出産、不妊治療後などの高リスク出産の増加
 2)訴訟を避けるため、早めに手術に踏み切るケースの増加(医療側の事情)
をあげている。
自分はこの他の要因として、
 3)帝王切開手術・麻酔の技術向上や薬品の改良による手術自体の安全性の向上
 4)妊娠週数の短い早期の出生児に対する治療法、救命率の改善
 5)妊婦側の安全に対するニーズの上昇(逆子、多胎児出産など)
というところもあると考える。
いずれにしろ、妊婦側、医療側の双方からのニーズがあり、その目的は、より安全な出産を、より健康な出生児を、ということであるから、自然な流れといっていい。

だが、個人的な考えだが、これは少子化と相関する事象ではないか、とも思う。
自分自身、2回の出産はいずれも帝王切開であった。
1回めの時、妊娠中毒症のなりかけのため、帝王切開になった。ただ、当時の医師からは、「ちょっと血圧が高いね」とか「赤ちゃんがなかなか下りてこないね」程度の話しか聞いておらず、出産予定日に「これは帝王切開だねぇ」と言われた。*1 結果的には、この時点で帝王切開にしてよかった、という事例だったとは思う。
2回目の妊娠は順調で、臨月になって血圧が上がってくることもなかった。しかし、初産時帝王切開だったため、反復帝切ということで、有無を言わせず帝王切開となった。ただ、前回帝切でなければ、正常分娩で産めるケースだったのかもな、と今でも思う。
このように、初産で帝王切開になると、安全のため、ほとんどの例でそれ以降の出産は帝切となる。1回め、2回めが帝切であれば、3度目以降に帝切はほぼありえない。*2
したがって、初回の帝切が増えれば、自動的に帝切全体の数は増える。

加えて、帝王切開は、母親にとって次の出産をためらう要因となりえる。
帝王切開は2度までだの3度までだのという噂(あくまで噂なのだが)を耳にしたり、次の妊娠が早すぎると子宮破裂が怖いなどという話を見かけたりする環境。加えて、「帝王切開なら痛くなくてよかったね」などの周囲の心ない言葉や、正常分娩で産めなかった、という自分自身への不全感に悩む人もいる。少なくとも、自然分娩に比べると、次の妊娠出産へのモチベーションは下がりやすい。

帝王切開が増えている状況自体は憂うべきものではないと思う。むしろ、これまでは危険があっても強行突破で自然分娩していた例が、より安全に早いうちに帝王切開に移行したり、予定を組んで帝王切開にしたり、というケースも増えているだろうから、その点ではむしろ歓迎すべきだと思う。
ただ、それが間接的にではあるが、少子化のベクトルに関与する可能性もあるのかもしれないな、という印象は持った。

*1:そのあたりは過去のブログにもうすこし詳しい経緯を書いている。以下のリンク→http://azumy.way-nifty.com/blog/2003/09/by_c7ef.html

*2:初産時に正常分娩であれば、2回めが帝王切開だとしても、3回目の出産で正常分娩にトライすることは十分に可能である。一度でも子宮口が十分に開大して新生児がそこを通ったか、が問題であるからだ。

posted by あずみ at 13:18| Comment(6) | TrackBack(0) | ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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