2006年12月01日

第5回21世紀出生児縦断調査に関する記事あれこれ

我が家の上の娘は2001年生まれ、21世紀ベビーである。
という前置きはさておき、「21世紀出生児縦断調査」という政府の統計調査がある。2001年に生まれた子のうちの一定の集団を、定期的(これまで毎年1回)にさまざまな項目について調査していくものである。母数はかなり多い。
この「21世紀出生児縦断調査」の第5回の結果が先日発表され、それについて各新聞が報道していた。

自分がまず気がついたのは、我が家で講読している日経。ネット上のリンクはこちら。

NIKKEI NET:社会 ニュース 4歳半児、4割が習い事・厚労省調査
記事の内容は、テレビ視聴時間、コンピュータゲームをプレイするかどうか、習い事をしているかどうか、の3点。うち、見出しになっているのは上記のとおり、習い事。

他紙に他にも記事があるかな、と興味をもってネット上で調べてみた。

朝日はこちら。
asahi.com:出産後再就職、正社員は困難 厚労省調査 - 暮らし
朝日の見出しは、正社員で働いている母親は継続調査の中で割合がほとんど増えていないことである。記事内容もその内容に終始し、子どもについての話は全く出ていなかった。

時事通信(新聞社ではないが)はこちら。この記事は各所のネットポータルのニュースでも見かけた記憶がある。
子供との時間、2割が30分未満=父親、仕事で帰宅遅く−01年出生児調査
時事通信の見出しは、父親が子どもと接する時間が大変短いことである。記事自体も短く、見出しの内容を2行で伝えている。焦点は子でも母でもなく、父親である。

ニッカンスポーツでは、こう。
4歳半児、約3割がゲーム - 社会ニュース : nikkansports.com
内容は、日経の記事中でもとりあげられていたゲームのプレイ率の他、朝日でもとりあげられた母親の就職状況、さらに一人で食事をとることがある子の割合、子育て費用が負担かどうかについて、と、かなりの内容が盛り込まれ、行数も多い。
うち、見出しになっているのがゲームのことというのは、スポーツ紙らしいというか。
記事の内容としては、むしろスポーツ紙にしては随分頑張っている、という印象だ。

と思ったら、これはどうやらニッカンスポーツが書いた記事ではなく、共同通信のものらしい。まったく同じ記事を別のところで発見した。

4歳半児、約3割がゲーム 2割は「食事よりテレビ」 [CHUNICHI WEB PRESS]

これは東京新聞(中日新聞)のホームページの記事である。
あのなあ……地方紙とはいえ、仮にも一般紙なら、このへんの記事くらい自前で書け、と言いたい。自社カラーが見えない。

ちなみに、毎日新聞については、検索したり目で見たりして探したが、これに関する記事を見つけることができなかった。スルーしたのか?
全国紙としては取り上げるに値するニュースのような気がするのだが、何か思うところでもあるのだろうか。

タグ:育児 新聞
posted by あずみ at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月30日

「子どもに『ルールは守るべきである』という基本は必要だ」への補足

この前に書いた記事「子どもに『ルールは守るべきである』という基本は必要だ」について、有意義な記事のご紹介をいただいたこともあり、若干の補足をさせていただく。


【補足1】

前記事で紹介させていただいた記事*1の掲載ブログ「suVeneのあれ」のsuVeneさんより、はてなブックマーク経由で次の記事をご紹介いただいた。

メモ - 子どもの素朴な疑問からたどり着くところ*2

赤信号の話について、小学5年生の息子さんに聞いてみた、という話。
この記事は、なるほど納得な記事であった。
どのあたりが納得かというと、幼稚園児と小学5年生の間には、まさに大人と子どもほどの差があるのだなあ、ということであった。

前の記事には特記しなかったが、私があの記事で「子ども」と記載する時、想定しているのは基本的に未就学児、上限を高く見てもせいぜい小学校低学年までであった。
自分の子どもが上が5歳、下がまもなく3歳で、現状の自分がその年齢を相手にしているということもあるのだが、自分の幼少時の記憶や周囲の小学生の様子などを見ても、少なくとも小学校高学年になれば、かなり自律的に多様な判断ができ、刷り込みの必要な時期は過ぎている、という印象があったからだ。
小学校5年生の子が実際に大人が発想するのと同等のレベル、○×ではなくより柔軟に赤信号無視の事情を想像した、という事実に、なるほど、やっぱりそうかー、と思ったのだった。
当然といってはなんだが、幼稚園児レベルでその発想は無理だ。目の前の現象について単純な枠組み(例えば"いい・悪い"や"していいか・いけないか"の二択など)で考えるのが精一杯で、広く周辺の状況を考慮するほどにはまだ発達していないのである。


【補足2】

育児についてこうして記事にすると、焦点を集中的にまとめた内容になるため、文章だけ読むとひどく窮屈でガチガチの育児をしているように見えるかもしれない。
しかし、現実には、育児や道徳教育は親だけでやるものではなく、子どもは多数の人間(大人・子ども問わず)から多数の価値観の影響を受け、その中から取捨選択しつつ成長し、自分を形作ってゆく。それは幼い時からすでに始まっている。

親は「ルールを守るべき」ことを教えることはできるが、「ルールなんて破ってもどうってことないよ」と(言葉でなく行動で、も含め)教える者もやがて周囲に現れるだろう。そして、実際に「ルールを守る」という行為を選択するのは本人にしかできないことなのだ。
親にやれることなんて、所詮その程度のものだ。こんなに口角に泡を飛ばしていても。
それだけに、やれるうち、やることを許されるうちには、やっておきたいと思う。

職人が弟子に技術を教え込んで、その出来がなんとなく自分から見れば不安で不完全であっても、師匠にそれ以上のことはできない。あとは弟子自身が自分で考えて自分の技術を磨き、自分自身の作品を作っていくのを見守ることしかできないし、またそうすべきなのだ。
自分のスタンスは、そんな感じに近い気がする。

*1:この記事自体は、育児・しつけについては全く触れていません。主に、記事についたはてなブックマークコメントを紹介するためにリンクさせていただいた形になりました。

*2:この記事を書いたaozora21さんは、「suVeneのあれ」さんの記事のはてなブックマークコメントでも、最も現在育児している身としての感覚にフィットするコメントをされていた。



タグ:育児 ルール
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2006年11月29日

子どもに「ルールは守るべきである」という基本は必要だ

こにの壺焼 - えっけんさんへ
のなかの一文、
ちなみに、私は息子が赤信号でわたっている人を見て「何故あの人は赤信号で渡っているのに、僕は待たなきゃいけないの?」といわれたら、「あれはダメな悪い大人だから、ああいうダメ人間になっちゃいけないよ」と答えています。

に端を発する一連の各所での記事を読んだ。
例えば、このあたりの記事である。
suVeneのあれ: ルールを守らない人はダメ人間か
草日記 - 道徳的命令に従う訓練ばかりやってると、メリット・デメリットを考えて選択肢の中から合理的なものを選び取るのがヘタクソになりそう

「suVeneのあれ」さんの記事は、「こにの壺焼」さんの上記の一文を受けて書かれたものだが、これに対して「こにの壺焼」のkonichanさんがはてなブックマークで
それでは子供にわかりやすいような説明文を教えて(マジで

とコメントしており、これに対する答えもいくつかはてなブックマーク上で書かれている。
(該当のはてなブックマークのコメントは上記の「suVeneのあれ」さんの記事上で表示されています)

このはてなブックマークのコメント類を読んでみたけれど、育児という視点からみると、参考になる意見はほとんどなかった。ほとんとの人が子どもを必要以上に大人扱いしてるなぁ、という印象である。

なので、自分で考えてみた。

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タグ:育児
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2006年11月26日

理系女子を増やす方法(長い目で)

今日の記事は、半分妄想みたいなものですが。

Say::So? - 理系(特に物理系や工学部)を目指す女の子はなぜ増えないか

先日、上の記事を読んだ。
自分も理系女子の端くれ(ただし医歯薬系)なので、興味深く読んだ。
この記事、特に追記以降の部分を読んで思い出したのだけれど、昨年、日経新聞で読んで、おおそういうものなのか、と認識したことがある。
理系を目指す女子学生を増やすため、理系の楽しさを伝える、という目的で、セミナーが開催された、というものだった。新聞で読んだだけのうろ覚えだが、確かそのセミナーは

女子高校生夏の学校 〜科学・技術者のたまごたちへ〜
(メインページ:http://www.gender.go.jp/c-challenge/
これである。

その新聞記事には、理系を目指す女子は、けっこう親や周囲の反対を受けるものであるらしいことが書いてあった。「女の子が理系なんて行ってどうするの」という類のことなのだろう。そういうことも踏まえた上で、理系に進んで現場にいる女性研究者たちが、学問的なことだけでなく、女性研究者の実際の環境などについても話す、というイベントを開催したという話だった。

自分の高校はほぼ100%進学の女子校で、理系コースも当然全員女子だし、両親も、理系でもなんでも行きたい方向に行け、という方針だったので、理系志望の障害はなにもなかった。
学校が女子校なのはともかく、両親に反対されなかったというのは、実は希有で幸せなことだったのか。
上記のSay::So?さんの記事でも、理系進路に対する親の反対については簡単に触れられている。

しかし、根強い親たちの「理系女子バッシング」をそう簡単に変えられるとも思えない。
彼らのバッシングの理由は「理系女子じゃ嫁のもらい手がない」だの「理系女子は就職先に困る」だの「賢い女は可愛げがない」だの「女はそもそも勉強なんかしないでいい」だの、まあ特別根拠もない漠然としたものなのだろうが、逆に、それゆえに反論でねじ伏せることも難しい。

そこで思うのだが、これから先、理系女子を増やすためには、理系女子に対する理解のある親を増やすのがいいんじゃないだろうか。
理系女子に理解のある人物といえば、まずは自分が理系女子だったり、理系女子と恋愛し結婚した男性だったり。
つまり、理系女子がどんどん結婚して子ども(特に娘*1)を産めばいいのだ。
理系母とその夫なら、自分の娘に理系に進みたいと言われて頑として反対する者はまずいないだろう。

無茶苦茶な結論のように見えるかもしれないけれど、実際、優れた女性が子どもを産まないのは、遺伝子的にはちょっともったいない、と思う面もある。
当然、結婚だの出産だのは本人の意志次第のことだし、理系に限らず、子どもは欲しいけれど仕事と育児を両立させる環境が整いにくい、という事情も現実にあったりするから、難しいことなのだけれど。

*1:息子だってもちろんいい。ただ、理系女子を増やすという観点からは、息子だと影響が少ないというだけだ。それを言ったら理系母の娘が文系に進むことだってあるわけだが。


posted by あずみ at 14:40| Comment(6) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月22日

病気腎移植の惜しい展開

しばらく前からいろいろと書かれている病気腎移植のことが気にかかっていた。

気持ちの上で引っかかるものがあるにはあるが、個人的には、病気腎移植そのものを否定する気持ちにはならない。
実際、肝移植の世界では、既にドミノ移植というものが何度か行われている。
これは、健康な肝臓を肝臓疾患で移植が必要な人に移植し、その病気肝を別の移植が必要な患者に移植する、という方法である。
なぜ病気の肝臓をさらに他人に移植するのか、ということについては、理由がある。
ドミノの真ん中にあたる人、つまり移植を受けると同時に病気肝を提供する人の疾患は家族性ポリアミロイドニューロパチー(FAP)という病気に限られる。この病気は肝臓が作り出す異常なタンパク質のために病気が起こるのだが、発症までに20年程度の長い期間があるとされている。*1このため、現時点で肝移植を受けないと近い将来に死亡するという患者の場合、ドミノ移植を受ける意味がある、ということにもなる。
しかしそれは、生き続けていれば将来に間違いなく別の病気(FAP)の発症を免れないことでもあり、健康な肝臓を最初から移植されるほうがいいに決まっている。しかし、脳死移植が可能であっても移植に提供される肝臓が移植の必要な患者数に対して潤沢とはなり得ず、ましてや脳死移植が進まない日本では、移植しないで死ぬよりはドミノ移植のほうがいい、という事情も現実にあるのである。

そんな事情を思うと、病気腎であっても、きちんと機能するなら移植してもいいじゃないか、癌があってもその部分を除いて再発の可能性を非常に小さくしてレシピエント側が納得するならば移植に使ってもいいじゃないか、という意見も、それはそれで筋が通っていると思うのである。
それでも、万波誠医師のやり方がベストだったとは思えなかった。
それがもっとも引っかかるところだった。
その引っかかりが何か、なかなか自分でつかめずにいたのだが、先日このような記事を見た。

病気腎移植:1例目はがん患者提供 万波医師が明らかに

毎日新聞が万波医師自身に行ったインタビュー記事。
この中から自分の琴線に触れた部分を引用する。

 −−国が規制をしなければ、今後も続けていきたいという気持ちはあるのか。

 もちろん。捨てるんじゃからな。やるべきじゃないか。ただ認められるのなら組織的な方法をとらんといけないと思う。


 −−病気腎移植が理解されるためには何が必要か。

 腎臓を摘出すべきかどうかという適応基準だ。そこの判断が非常に難しい。医師の裁量権をどこまで認めるのか。(摘出すべきでない場合も)医師の説得で患者がその気になる恐れもある。それを書面に残しても意味があるだろうか。


 −−死体腎も含め移植機会を増やすにはどうしたらいいと思うか。

 私は目の前にいる患者さんを毎日精いっぱい診ているだけ。日本の移植医療をどうするかなんて考えたこともない。


万波医師は病気腎移植に問題があることについてきちんと認識していることが読み取れる。
続けるなら組織的な方法を構築する必要性や腎摘出の基準を明確にすること、医師の裁量を認めすぎることは危険であることもインタビュー内容からは十分理解していると読める。
しかし、学会にも所属せず、生殖医療の根津医師のような表立ったパフォーマンスもせず、ただ目の前の患者さんのことを淡々とこなす。病気腎移植を一般的に認められる医療にしたい、という意志は全く見られず、問題があることは分かっているから、ただ隠れてこそこそと行う。

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2006年11月20日

子ども番組の視聴率一覧

もうかなり以前の話になってしまうが、個人的に興味のあるネタがあったので、古い話だけれど取り上げてしまう。

blog「全てが台無し―雑記帳―」より 06/10月のアニメ視聴率

リンク先のブログは、アニメ(萌え系主体か)についての感想ブログ。
このリンク先記事は、2006年10月初旬のアニメ視聴率データなのだが、アニメに限らず子ども向け番組の視聴率も掲載されていた。
以下、自分の興味のあるところだけ、リンク先のデータから抜粋。なお、これは関東でのデータと思われる。

10/2  しましまとらのしまじろう      2.8
    こどもにんぎょう劇場/他      1.2
    おかあさんといっしょ        3.1
    プチプチ・アニメ          4.0
    アニメぜんまいざむらい       1.4
    クインテットプチ          1.8
    アニメ・だいすき!マウス      2.0
    おかあさんといっしょ(夕)     1.3
    アニメぜんまいざむらい(夕)    2.6
    アニメおじゃる丸          3.2
    アニメ忍たま乱太郎/他       4.6
    天才てれびくんMAX/他      3.6

10/5  ポケットモンスターDP       7.4

10/6  こどもにんぎょう劇場        1.4
    ポンキッキ             2.7
    それいけ!アンパンマン       4.0
    クレヨンしんちゃん         11.1

10/7  アニメ南の島の小さな飛行機バーディー/他  1.9

10/8  ふたりはプリキュア Splash Star   5.6
    セサミストリート          1.9
    轟轟戦隊ボウケンジャー       7.0
    仮面ライダーカブト         7.7

こうして見ると、カバー年齢が広いポケモンや日曜朝アニメ・特撮と比べても、NHK勢がけっこう善戦しているなぁと感じる。視聴率は録画ではなくその時間帯に実際に見ているものを計上しているはずなので、こどもにんぎょう劇場あたりは、おいおいこんな時間に実際にこんなに見ているのかい、と思わないでもないが。

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posted by あずみ at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月16日

「いじめたい」には理由がある気がする

最近の報道は、いじめ自殺の件でかまびすしい。
そして、あちこちで、いじめられっ子への応援だの、いじめっ子への非難だの、いじめ先生への糾弾だの、自殺報道への非難だの、果ては文科省にいじめ告発の手紙まで続々届いたりして、もはやカオス状態である。

自分自身は、いじめらしいいじめを受けることもすることもなく、近くで見かけることもなく、学生生活を終えた。
たぶん、いじめが近くになかったわけではないのだろうが、それがはっきりといじめという形を取ることがなかったのだろう。いじめは多対一の構成である、とどこかのブログで読んだ。人間関係上での確執は、小学校から高校に至るまで確かにいろいろとあったが、多対一という構成をとることはなく、多対多(友達グループ間の確執)であったり、なんとなくクラスの中で浮いていたり避けられがちだったりする子はいても完全に無視されたり暴力的な行為をされることはなかったりと、そんな状況ではあった。

避けられがちだったり、なんとなく友達がいなかったりする子は、本人にそれなりの事情はあった。
自分の記憶にある子では、非常に無口でおとなしく、自分から積極的に動くこともなく、友人としてはどう接していいかわからないような子。嫌われる要素があるわけではないが、いつも一人という感じになり、好きな子同士の班分けをすることになると、結局一人余ってしまう。
また、なぜか服装がみすぼらしく見える子もいた。女の子なのだけれど、いつも暗く色彩の色あせた服で、スカートをはいてくることがなかった。髪も男の子のような短髪。かといってボーイッシュなのでもなく、加えてしゃべり方がなんとなく癇に触るというタイプ。ちょくちょく彼女としゃべる機会もあったが、しゃべっている内容は普通なのだけれど、声質やしゃべり方がどうも好きになれない、という感じであった。

当時、そんなふうになんとなく離れてしまう子でも、あからさまないじめに遭っていることはなかった。もちろん、たまたま自分のクラスがそうだっただけかもしれないが。
積極的に近寄って仲良くしよう、ということはないけれど、積極的にいじめたり無視して仲間はずれにしてやろう、というわけでもない。
そんなのが普通だったような気がする。

いじめという行為は、積極的かつ攻撃的な行為である。
単にその子にあまり興味がない、別に親しくなりたいと思わない、という段階を超えて、その子を傷つけたい、屈させたい、馬鹿にしたい、という暴力的な意志がなければ、いじめは始まらない。
無視によるいじめにしても、何をしゃべってきても、必要があって接することになっても、絶対に無視する、という強固な意志がなければなかなか成立しない。子どもの頃に「もう絶交!」と友達と"絶交"した経験のある人なら分かるだろうが、「絶対に無視する」というのは相当な精神的エネルギーを要するのだ。

そこまでエネルギーを消耗してまで他人を攻撃したい、という気持ちは、正直自分にはよく分からない。
なんとなく、幼児・児童虐待に近い根があるんじゃないのか、と感じている。
幼児・児童虐待の場合、子どもに対する憎しみのために虐待するわけではなく、親自身の抱えている大きなストレスがあり、それを発散するためにより弱い存在である子どもへの虐待によってストレスを解消しようとする、というからくりがある。
いじめも、そういう面が大きいのではないかと感じるのだ。

いじめは、どうしても現実に起こっている現象や、被害者や学校側に注目が行きがちだけれど、本当はきちんと解決したいなら、いじめ加害者側へのフォローが重要なのではないかと思うのだ。
今回の一連のいじめ自殺報道の端緒となった福岡の事件がその典型だと思うのだが、いじめグループは、被害者が自殺したあと、いじめを反省するどころか、今度は別の子を標的としていじめを始めたという。
彼らは、被害者に憎しみがあるからいじめたかったのではなく、いじめという行為をしたかっただけだったのだ。欲しいものがあるから万引きするのではなく、万引きという行為をしたいから万引きするのと同じだ。

彼らはかなり悪質なほうだと思うが、同様に、表立ってはいないが、いじめによってストレスを発散したいがためにいじめをする、という例は数多くあるのではないかと思う。
そういう者たちに「いじめは悪いことだからしてはいけない」と言ってもやめるはずがない。
彼らの抱えるストレスに対し、精神的ケアを行わなければ、いじめは止まらないと思うのだが、実際は、親や家庭に問題があってそもそもストレスの元がそういうところだったりするケースがけっこうあるのではないかとも思われる。
教師ではそこまでするのは専門家でもないし、困難だろうから、スクールカウンセリングがもっと普及すればいいのかな、とも思う。

とりあえず、「いじめは悪いことだから」と言っても、いじめっ子たちの心には全く響かないだろうとは思っている。
posted by あずみ at 12:43| Comment(13) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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